今から15年以上前、時代の寵児だったオリバー・ストーン監督のおめがねにかない、そのころ日本人として初めてストーン作品に出演した、OL出身女優がいる。映画『ナチュラル・ボーン・キラーズ』の中村佐恵美さんだ。今ではハリウッドで活躍する数少ない日本人女優となった佐恵美さんに、海外ドラマナビが話を聞いた。
ちょっとだけ当時を振り返ってみよう。“中村佐恵美”の名前を広めたのが、ストーン監督作品なら、実は佐恵美さんが渡米を決めたのもストーン監督だった。
東京でOLをしていた20代の頃、結婚を決めていた恋人の仕事優先の態度に落胆した佐恵美さんは、人生に一度だけ自分のしたいことをしてみようと考えた。十代の頃見た映画『フェイム』や『フラッシュダンス』で貧しいけれど、夢がある、そんな米の若者たちのパッションに憧れを抱いていたのである。
「会社を辞めてアメリカに行くと言ったら、結婚する人がいるのに、バカじゃないかと言われました。皆からバカだバカだといわれて、私はそんな気の狂ったことをしようとしてるのかしらと、ドンと落ち込んだときがあったんです。そんなとき歯医者さんで見た雑誌にオリバー・ストーン監督のインタビュー記事がありました。(その記事を読んで)ハリウッドでは、演劇学校で私が猿回しみたいなことをしても、お前はバカだとかいう人はいないんじゃないかと思ったんです。アメリカに行ったらきっと私は真面目に受け入れられる、やっぱり行こうと」
こんな小さな記事で励まされたんです!と、佐恵美さんはタバコの箱くらいの四角を手で作って笑った。きっと走り出した頃を思い出したのだろう。
その4年後、日本には戻らず、ハリウッドで女優の卵になった佐恵美さんは、ストーン監督『ナチュラル・ボーン・キラーズ』のオーディションに参加することができた。しかし、一方的とはいえ恩人の作品である。極度に緊張した。オーディションはうまくいかなったが、すがる気持ちで
「『私はオリバー・ストーン監督と仕事をするために日本から来たんです』と言ったら、皆すごく笑ったんです」
その場でキャスティングディレクターがビデオに撮影。佐恵美さんのビデオメッセージはストーン監督の心に響いた。翌日にもストーン監督と面会を果たす。ストーン監督もご機嫌で、主演のウッディ・ハレルソンが「Who are you?」と声を掛けにきたほどだった。
結局、佐恵美さんはTVリポーターの役と日本人少女役の2役をもらえた。どちらも端役ではあったが、この映画が公開されたのは、1995年である。今と違い、当時は黒人俳優でさえ活躍の場は数えるほどで、日本人俳優にとってハリウッドは夢のまた夢。佐恵美さんの体当たりの挑戦は、のちのちハリウッドに活躍の場を求める日本人俳優たちとって、道しるべとなったかもしれない。
佐恵美さんの活躍の場は、今ではTVドラマが主になっている。最近では『Heroes/ヒーローズ』でマシ・オカ演じるヒロの姉役でおなじみ。
「“ヒーローズ”のオーディションには、ジョージ・タケイさんも来ていらっしゃいました。キャスティングの部屋に入ると、プロデューサーや脚本家など10人くらいが並んで座っていて、その前で英語で台詞を読み始めたら、皆が「オー、ノーノー!」って止めたんです。台詞を全部、日本語でしゃべれというんです。日本語でやっても分からないだろうと思ったんですけど(笑)。エージェントからも日本語で準備してゆくように言われていなかったので、ビックリしました。いくら日本人でも、英語の台詞を即興で日本語に換えることはできないので、翻訳したいので、一人になれる場所を貸してほしいと頼み、オフィスを貸してもらって、しゃべり易いように訳してから全部を暗記するまでたんまりと時間をかけました」
このとき、佐恵美さんは少しイライラしていた。というのも、日本語で台詞を読むとうことを知らされていなかっただけではなく、最初、オーディションの日程も間違って知らされていて、この前日には、寝ないで台詞を覚えて出かけたユニバーサル・スタジオのゲートで、「サエミのアポイントメントは今日じゃなくて、明日なのよ」と、門前払いを喰わされていたからだ。
で、時間をかけた日本語オーディションの結果は?
「バッチリでした(笑)。大体うまくいったときは、ピタっとはまるような感覚があるんです。ヒロを叱るシーンだったので、イライラしていた感情をそのまま使ってシーンを演じました。やり終えたら『ビューティフル』というどよめきと同時に拍手まで聞こえたので、決まったかなと思いました。」
面接官(この場合はキャスティングディレクター)に、もう一回再面接を頼んだり、時間をくれ、なんて“就活”の学生には決しておすすめできない大胆不敵である。けれどそこはハリウッド、遠慮したり、皆と同じじゃダメなのだ。全力を尽くすために、何事にもひるまない。
「気にいられたい、上手にやりたい、仕事をもらいたい、そういうエネルギーじゃダメなんです。自分を100%出す。私はこれだけできるのよと、自分をプレゼン(発表)しないといけないんです」
とはいえ、ライバル女優たちもそれぞれ同じ思いである。時には演技以外の“決定打”を感じることがある
「この間も『フリンジ』のオーディションを受けました。知り合いのキャスティングの方だったんですけれど、何も反応がなかった。どうしたのかなと思っていたら、ジョーン・チェン(『ツインピークス』)が出ていました。やっぱり名前のある女優さんがいらっしゃると、私にとって(役を取るのは)は難しい」
佐恵美さんは、これまで『NIP/TUCK マイアミ整形外科医』『ザ・ユニット 米軍極秘部隊』など人気ドラマのゲストスターとして出演してきた。出演ドラマのほとんどは日本でも放送されているので、登場回を覚えている方も多いはず。『クローザー』でも印象的な日系人の母親役を演じた。このとき共演した主演のキーラ・セジウィックに、佐恵美さんは好印象を持っているという。
「『クローザー』のキーラ・セジウィックは、すごく感じのいい人でした。シーンが終わると、ちゃんと誉めてくださるし。(ドラマの)レギュラーの方たちは、毎日同じ人たちと顔を合わせるわけですよね。やってるうちに皆ファミリーみたいになって、気心が知れてくる。でも私みたいにゲストスターで行くと、知らない人たちの中でポンと入っていくわけです。役者が長い方はそういう(不安な)のを分かってて、気持ちを和らげるために『ウェルカム』とすごく優しく声をかけてくださる。嬉しいですね」
最近では、TVコマーシャルに出演することも多くなってきた。先ごろ、AT&T社のCMを撮り終えたばかりだ。もちろん女優として常に演じる場所を探している。だから…
「マシ・オカ君が同じようなことを言っていましたけれど、役者としてできることは限られているんです。彼は自分でスクラッチから(ゼロから)やりたいと言っています。私も作文に毛が生えたようなものですけど、自分でも書いて、何か作ってみたい」
すでに日本語ではエッセイなど自著を何冊も出している佐恵美さんだから、“作文に毛が生えた”は謙遜だが、英語で書いているという舞台劇はかなり具体化されているようだ。舞台劇について話す佐恵美さんはイキイキとしている。頭の中で次々とアイデアが浮かぶ…その瞬間が楽しくてたまらないのだろう。
それが演じることであろうと、書くことであろうと、これからも挑戦は続く。自分自身が主役の人生のシナリオは、キーボードを叩くようには思う通りに進まないけれど、その舞台だけは変わらない。中村佐恵美の舞台はハリウッド、その進行形のストーリーが最高に楽しい。
-
東京出身。青山学院女子短期大学卒業後、大手不動産会社に入社。OL生活を経験後、単身渡米。ロサンジェルスで日本語ローカル放送局でニュースキャスターの仕事を経て、現在まで、ハリウッドの映画、メジャーネットワークのTV番組、多数のコマーシャルに出演する。
主な出演作に『ナチュラル・ボーン・キラーズ』『ザ・デンジャラス』『トゥルーマン・ショー』『ヒマラヤ杉に降る雪』『LAX』『NIP/TUCK』『TheUnit』などがある。
【著書】恋に懲りないハリウッドの男と女(河出書房新社)他