「ダンスはジョーカーへの変化を表しているんだ」映画『ジョーカー』トッド・フィリップス監督直撃インタビュー

コメディアンを目指していた男アーサーはいかにして悪のカリスマへと変貌したのか? バットマンの宿敵でありヴィランを代表する存在であるジョーカーが生まれた過程を描く映画『ジョーカー』が10月4日(金)から公開される。それに先駆けて、監督・脚本を担当したトッド・フィリップス(『ハングオーバー!』シリーズ)を直撃! 丸一年かけてこの脚本を書き上げた上、この役を演じるのはホアキン・フェニックス(『グラディエーター』『ザ・マスター』)しかいないと確信して口説き落としたという彼が語る、複雑なジョーカー像、印象的なシーンの数々に込めた意図とは。

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――幼い頃、DCコミックのファンでしたか? ジョーカー以外に映画を作りたいと思ったキャラクターはいますか?

子どもの頃は読んでいた。実は初めて面白いと思ったコミックは、マーベルコミックでフランク・ミラーが描いた「デアデビル」シリーズだった。でも、ミラーが「ダークナイト」を描くようになってからはそっちに興味を持つようになった。そこで初めてジョーカーとバットマンに触れるようになった。コミック映画を今回のようなやり方で作りたいというアイディアが浮かんだ時、最初に浮かんだのがジョーカーだった。彼は大混乱を象徴していると思ったし、バックストーリーもない。それが自分にとって魅力を感じる部分でもあった。他のキャラクターをやりたいと思ったことはないよ。ジョーカーだけだ。

――日本ではちょうど先日、DCの有名アーティストであるジム・リーがバットマン80周年の式典を行いました。そんな記念すべき年に今までとまったく違ったジョーカーを作ったことは意図的ですか? また、DCエクステンデッド・ユニバースの中に同作が今後組み込まれる可能性はあるのでしょうか?

2つ目の質問からまず答えると、このジョーカーは独立したものであって、大きなユニバースの一部として作ったものでは決してない。本作を作った目的は、みんなが長い間知っていて、愛着を感じてもいるキャラクターを研究し、しっかりした現実的なキャラクター造詣を作り出すことにあった。これまで何人もの素晴らしい俳優がジョーカーを演じているし、素晴らしいコミックも描かれ、TV番組にも登場してきたがゆえに、挑戦のし甲斐があると同時に怖い気持ちもあったけれど、ホアキンと私にとっては「自分たちのバージョンのジョーカー」を作ることが大切だった。制作している時、すべて可能な限り現実のレンズを通して見ようとした。

ジム・リーがアニバーサリーに来るというのは面白いね。彼とはメールでのやり取りしかしていなくて会ったことはないけれど、本作についてとても良かったと言ってくれた。私たちが知っているジョーカーからはあらゆる点で逸脱しているのにもかかわらず、私たちが作ったこの映画の独特なスタイルが特に気に入ったと言ってくれたんだ。

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――監督がこの作品を通して観客に伝えたいと思った、最も大切なメッセージは何ですか?

映画のメッセージを必ずしも定義したいとは思わない。映画を観に来た人の中には、ジョーカーの原点とした話だと見て、必ずしもメッセージを受け取らない場合もある。あるいは政治的な映画だと見る人がいるかもしれないが、それは私が意図したところではない。また人によっては人道主義者的の映画だと見る人もいるだろう。それは私が意図したところだ。とはいえ、メッセージが何かはすべて観客に委ねるものであって、こちらが観客に代わってこういった経験をしてほしいと定義するものではないと考えているんだ。

――本作の脚本はあなたとスコット・シルヴァー(『8 Mile』『ザ・ファイター』)が丸一年かけて2017年に書き上げたそうですが、その当時の脚本と完成版の映画の違う部分は?

数字で説明すると、映画の80%は元の脚本のままだ。残る20%は当日などの直前に変わった。変更した部分は、ザジー・ビーツが演じるソフィーというキャラクターに関して、またはホアキンと私が話し合った結果、脚本に手を入れて即興にした部分だ。

――どこかかなり劇的に変わった部分はありますか?

なぜ脚本と映画の違いにそれほど固執するのか分からないし、ここと言って指摘する部分はないけれど、ある瞬間は脚本と違ったりする。この点がなぜそれほど興味深い点なのか理解できないけれど、脚本はあくまでも映画の青写真的なもので、今後に生きていくものは映画だよ。

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――ジョーカー(アーサー)は何度か印象的な踊りを披露しますが、参考にしたものはありますか?

初期にホアキンと話したのは、アーサーとジョーカーの頭の中には常に音楽が流れているということ。これを表現する方法として考えたのがダンスで、さらにダンスは彼の変化も表しているんだ。初めて彼が真剣にダンスしているのは、身を守るためにとコメディアン仲間から銃を渡された後。アパートの中で銃を持ちながらダンスをしている。その次は地下鉄の中である事件が起きた後、トイレで踊っているが、前よりもダンスが少しうまくなっている。これはアーサーの中からジョーカーが出現していることをダンスで表しているんだ。その部分を楽しみながら作ったよ。そしてダンスは、終盤に自宅近くの階段で最高潮に達する。彼はアーサーを捨ててジョーカーを受け入れているんだ。

――本作には何度も階段のシーンが出てきます。アーサーは階段を上がるとリラックスしているように見えましたが、あなた自身がかつてリラックスできる場所はありましたか?

質問の意味を十分理解しているかどうか分からないが、作業をする場所、編集したり書いたりしている場所はある。本作の階段が表現しているのは、アーサーは重い足取りで日々暮らしていて、階段を上がるのは、社会のシステムのどこかに属そうとしていることなんだ。逆に階段を下りるのは、狂気に落ち込んでジョーカーになってしまうことを表現している。ただし、僕自身の人生の中でそのようなものを模倣するものはないね。

――あなたの作品における特徴の一つが音楽の使い方です。本作でもアーサーがトークショーに行く場面で使われるRock & Roll Part2などが印象的ですが、音楽はどのように選ぶのですか?

使う音楽は脚本に前もって書いていることもあるし、ポストプロダクションの段階で決めることもある。あのシーンの音楽は脚本に書き込んであった。アーサーが狂気へと落ちていく過程で彼の頭の中で流れている曲だ。アメリカではこの曲はずっとスポーツの競技場で使われていて、チームが競技場に入っていく時にかかる音楽なんだ。このシーンにはばからしい雰囲気が欲しかったので、この音楽を選んだんだ。

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――ロバート・デ・ニーロとホアキン・フェニックスの共演について、何かエピソードがあれば教えてください。

怖気づいたと言っていいのか、私とホアキンは二人ともロバート・デ・ニーロが最高の俳優だと思っているんだ。ニューヨークにあるボブ(デ・ニーロ)のオフィスにこの映画を作ることを話に行った時、ホアキンは彼とは一度も共演したことがなく、また彼を崇拝している(私もそうだけど)からとても緊張していた。私自身、ホアキンとボブと一緒に映画を作る話をしたことはとても現実とは思えなかったね。

最終的に彼ら二人が顔を合わせるあのシーンを撮影した時は、ホアキンはすっかりジョーカーとして自分の世界に入り込んでいた。9~10ページに及ぶシーンを4、5日かけて撮影した。その時はもうホアキンはキャラクターにすっかり入り込んでいたから、デ・ニーロと会う前の怖気づいたような様子は消え失せていたよ。この二人の俳優の間に座ってその演技を眺めていたのは素晴らしい経験だった。

――あなたは『ハングオーバー!』シリーズのほかにも『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』『デュー・デート ~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断~』などこれまで多くのコメディ映画を作っており、そこで様々なジョークが描かれていますが、本作におけるジョークの意味とは?

この映画で表現しようとしたことは、ホアキンがセリフで言っている。「今まで僕の人生は悲劇だと思っていた。だが今分かった。僕の人生は喜劇だ」とね。コメディ映画を多く作り、面白い人たちと仕事をしてきた僕が感じたのがこの言葉だった。それを本作で探求したいと思ったんだ。

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――ホアキンのジョーカーは素晴らしいと思いますが、監督のご感想は?

ホアキンが毎日この役作りでもたらしてくれたものは驚きの連続だったね。それまでにも彼はあの世代で最も優れた俳優だと思っていたけれど、彼がもたらしてくれるものには常に驚かされた。説明するのは難しいんだがね。脚本を読んで、そのシーンが演じられるのを目の当たりにしていれば分かるかもしれないけれど、ホアキンのような俳優がどれほどこの役を素晴らしいものにしてくれるのかを数値で示すことはできない。見ている方は口をポカンと開けてしまうような状態になる。カメラのオペレーターに向かって「今見ていたかい? 信じられない!」と言っていたほどなんだ。それほど素晴らしいけれど、説明するのは難しいな。

――アーサーは喜劇王チャップリンが好きですね。あなた自身のチャップリンに対する思いを教えてください。

脚本を書いている時、何度も見たものがある。その中の一つがサイレント映画の『The Man Who Laughs(原題)』で、これはコミックのジョーカーのクリエイターが見た作品でもある。そのほかに何度も見たのがチャーリー・チャップリンの作品だ。なぜならアーサーにはちょっとチャップリン的なところがあると感じたから。道化師になろうとしている時や、チャップリンの体で表現するコメディの部分は特にそうだと思う。つまりチャップリンは映画の中で大きな役割を果たしているので、本編でも登場しているんだ。

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――あなたと『ハングオーバー!』シリーズの時から組んでいるブラッドリー・クーパーが本作のプロデューサーとして関わっていますね。彼がこの映画にもたらしたものとは何でしょう?

私たちはお互いの映画を製作している(編集部注:ブラッドリーの監督作『アリー/スター誕生』をフィリップスが製作)。つまりお互いにフィードバックし合っているんだ。脚本に対してのフィードバックもそうだし、そして編集室に一緒に入る。私にとってブラッドリーは編集室においてかけがえのない存在で、彼は何日も来ては一日中、カット、シーンを見ては気づいたことをメモしてくれる。これは『アリー/スター誕生』で私がしたことと基本的には同じだ。素晴らしいパートナーシップで、『ハングオーバー!』シリーズの1作目の撮影で知り合ってから12年が経つが、最も信頼している親友でありコラボレーターの一人だよ。

――本作は1970年代を舞台にしているようですが、これはあなたがその年代が好きという以外に、ジョーカーの物語を描く上でこの時代の社会が適切だったからなのでしょうか?

自分たちの頭の中では、このストーリーは1970年代後半から1980年代初期の設定だ。これには多くの理由があるが、主な理由はDCのユニバースから切り離すため。今までの映画で描かれてきたジョーカーと本作のジョーカーが共存することは避けたかった。だから意図的にすべての話が起こる前に設定した。『タクシードライバー』『狼たちの午後』『キング・オブ・コメディ』といった映画の時代に起こった出来事として作りたかった。当時のスタジオはキャラクター描写の作品を制作していた時代でもあった。そういった理由でこの時代に設定したんだ。

――続編はないとおっしゃっていますが、もしもホアキンがやる気なら状況は変わりますか?

たしかにそれなら状況は変わるね。本作をホアキンと作ったことで映画人生の中で最も素晴らしいと言ってもいい経験をすることができた。彼と仕事ができるのであれば何でもやるよ。彼とは、冗談で続編はどうなる可能性があるかといった話はしたけれど、真剣に続編を作ることを話したことは一度もないんだ。もし彼が本気で「もう一本作るべきだ」と言えば、それについて彼と話したいし真剣に考える。彼は本当に素晴らしいからね。

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『ジョーカー』(配給:ワーナー・ブラザース映画)は日米同日10月4日(金)全国ロードショー。

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トッド・フィリップス監督
『ジョーカー』
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