孤独だが心優しい男が歪んだ社会の狭間で“悪のカリスマ”へと変貌していく姿を描き、アカデミー賞で主演男優賞を含む2冠を獲得、世界興行収入(約1500億円)はR指定映画史上最高記録(当時)を樹立した2019年の映画『ジョーカー』。その完結編『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が10月11日(金)より全国公開となる(日本語吹替版・字幕版同時上映<Dolby Cinema/ScreenX/IMAX>)。それに合わせて、トッド・フィリップス監督、ホアキン・フェニックス(アーサー・フレック/ジョーカー役)、レディー・ガガ(リー役)のインタビューを3回に分けてお届けしよう。
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「音楽も演技も、新しい世界を創造することに変わりはない」
――あなたの演じる謎の女リーは、本作で新しいものをもたらしてくれました。何が一番楽しかったですか?
「私はただ、彼女をできるだけリアルにして、この物語に沿って彼女の魂を作り上げたかった。この役を作り上げるのはとても楽しかったし、チャレンジでもあった。彼女の中にたくさんのものを詰め込んだわ」
――あなたとホアキンの相性はとても強烈でしたが、撮影の前にかなりリハーサルをしたのでしょうか?
「ありがとう。シーンのリハーサルは実は一度もせず、すぐ撮影に入ったの。だから、すべてがとても生(ありのまま)で、とても新鮮だった。でも、それについて話し合った。シーンで互いに言うことを話し合い、(そこでの)真実を探したの。でも、事前にリハーサルをすることはなかった。歌のリハーサルも、音楽に関してはその瞬間次第だった。私のキャラクターにとって何が起きているか、彼女が何を言おうとしているのかによって、何通りかの歌い方をした。つまり、曲によってリハーサルの回数も変わったの。そうすることで、それがとても違う場所から来るようにしたのよ」
――ありのままというのは?
「テクニックを駆使して観客の前でステージに立ったとしても、私はそこに生の感情があると思いたい。でも、リーは歌手ではないから、もしも彼女の声が強くなったとしたら、“なぜそうなるのだろう?”と自問したの。この映画では、アーサーが夢見ていたことのせいで、しばしばそうなる。“どうやってその瞬間に彼が必要とする女性になれるか?”と。どこか自分を落ち着かせるために歌っていたこともあるわ。彼女には、そういう落ち着かない感じがある。そして、私が彼女に与えたもので本当に意味のあるものは、音楽が私を包み込む(抱擁する)感じ。音楽は彼女も包み込んだと思うの」
――あなたは歌手の時と同じぐらい、俳優として自信がありますか? 音楽の世界ではあなたはすべてをコントロールできますが、俳優としても意見を言ったり、提案したりすることを気楽にやれますか?
「そうね、俳優としてとても自信を持っているわ。それは多分、私がキャリアを通じてアルバムを通してキャラクターを創造してきたから。それに私は幼い頃から演技もしていた。だから、私にとってはどちらも新しい世界を創造することに変わりはないの。リーの世界は私がステージにいる時とはまったく異なるけど、私のパフォーマンスは常に自分のストーリーや経験と結びついている。夢とも結びついている。そういったことは多くの点で、演技している時と非常に似ているの」
「リーというキャラクターを正確に知ることはできない」
――アーサーとジョーカー、リーとハーレイ・クインのように、本作のキャラクターには二面性があります。レディー・ガガがステファニーから生まれたある種の構造物(解釈)であると考えると、二面性のある役を演じるにあたって、あなたには何か自然な洞察があったのでしょうか?
「そうね、実際、それは私がこの映画をやりたかった大きな理由の一つなの。というのも、私が音楽のキャリアで作り上げたものは、多くの点で完全な反抗だった(笑) そういったことがいろんな意味でこのキャラクターにも反映されていると思う。それは、1作目からのアーサーの物語の一部でもある。“自分のアイデンティティをいかに武器にしてコミュニケーションを取るか。そして多分、その人でない時にはどう言えばいいか分からないことを言う”というのは。それが、人々が前作に夢中になった理由だと思う。なぜならアーサーはものすごくパワフルなキャラクターだけど、普通の日常生活では人々に完全に脇に追いやられてしまうかもしれない。そしてジョーカーは目を離すことができない人。彼が部屋にいると、彼がその部屋を支配してしまう。だから面白いの。同じ人間であることに変わりはないのに、彼自身の考え、彼の重厚さは完全に変化する。そして、私にとって、リーにとって、この映画でその変化が起こる時について、私たちはたくさん話し合った。アーサーが彼女を望んだこと、彼がそれを必要としたことで、“リーがどのように生き生きとしてきたか? アーサーの心の中にあるリーのバージョンはどういったものか? そして、彼女のバージョンはどういったものか?”といったことについても。私たちが自分自身を見る目と、恋人が私たちを見る目もまた、まったく違うものなの」
――あなたが演じたリーは、あなたのマザー・モンスター(レディー・ガガのこと)に通じるものがありますか?
「ある意味ではそうだけど、ある意味ではまったく違う。彼女がどういう人物なのかを理解するには、映画を観ないといけないと思う。彼女は本当に複雑なキャラクターなの。リーは…ちょっと定義できないわ。彼女を正確に知ることはできないの。人があなたが誰であるかを語ろうとする時、最も自由な感情はそれに反抗すること。だから、彼女の反抗と同じように、それは私個人と関係していると言える。でも、私はステファニーであり、ガガでもある。その両方なの。そのうちの一つは偽りではない。皮を被っているようなもの。あるいは変身する。誰もがそういったことをしていて、やり方が違うだけなの」
「アーサーに感情移入して泣きたくなる」
――1作目が大好きだそうですが、どういったところに感銘を受けたのでしょう? また、本作をオファーされた時はどう感じましたか?
「1作目で感銘を受けたのは、あのキャラクターにホアキンが与えた深みね。今でもあの映画を観るし、あのキャラクターにとても感情移入して泣きたくなってしまうの。この作品のオファーをもらった時は、物語の続きを任せてもらえることを心から光栄に思った。もちろん、リーを演じるのは大好きだった。でも、この仕事の一部は、一緒に仕事をしている俳優をサポートし、ちゃんと監督をサポートし、ストーリーを語ること。そして私は、アーサーの残りの物語を語る手助けをしたかった。だって、アーサーのような人が愛することができないと誰に言えるの? この映画の中で、彼に愛する能力があるということがとてもクールだと思った。そして彼女は完全に自分自身でいるけど、時には自分が誰であるかを完全に消し去る。なぜなら、彼女は彼以外の何も知らないから。彼女の人生のすべての瞬間が彼(ジョーカー)なの。リーは犠牲者ではなく、いつもジョーカーを求めている」
――メイクは人の感情に特別な影響を与えるものです。リーとしてジョーカーのようなピエロのメイクを試した時、どう感じましたか?
「本当に強烈だった。いつもステージでメイクの実験をしている私でさえ。私は彼女にたくさんの意味を込めていたので、そのメイクが何を意味するのか分かっていた。それは彼から派生したもの。リーのメイクは彼への執着から来ているの。“自分自身を発見しながらも、そのすべて(メイクをすること)に完全に夢中になっているのはどんな感じだろう?”と思ったわ。それと、リーがアーサーにジョーカーのメイクを施すのもとても楽しかった。私はずっと、あのシーンはパワフルだと感じていた。彼女は自分が幸せになるために、彼が強くなると感じるものを武器にするのよ」
――長年アーティストとしてキャリアを築いてきたあなたにとって、本作に出演したことはどのような意味を持ちますか?
「本当に本当に感謝しているの。私は10代の頃からこの業界にいて、アーティストである私の発言をみんなが気にかけてくれるのは本当に光栄なこと。それが、自分が期待できるすべて。これからキャリアを築こうとしている若いアーティストたちに託したいこと、言いたいことは、自分自身であることがアーティストであることの最も価値ある部分であるということ。なぜなら、あなたの視点こそがあなたをユニークな存在にしているから。それは、人々がここにいる理由でもある。だから、みんなが私の視点に興味を持ってくれることには本当に感謝しているの。そしてリーを演じるのはとてもクールなこと。なぜなら、私がそれをどうやるかに人々が興味を持つから。そして、私は本当にありがたいと感じている。それは決して変わらない。どんなアルバムでも、どんなショーでも、どんな映画でも。私はいつも興奮させられるし、とてもありがたいと感じているわ」
「本作出演は音楽のキャリアに影響を与えている」
――リーの歌い方は、レディー・ガガとしてあなたの歌い方とは大きく異なります。リーを演じたことは今後あなたの仕事、音楽でのキャリアに影響を与えると思いますか?
「間違いなくね。すでにそうなっているわ。私が創造したキャラクターはすべて、私の音楽に影響を与えるの。なぜなら、それはすべて一つのものだから。私は、自分が作ったものがセクションやコンパートメントに分けられたり、ブランド化されなければならないと考える人間ではない。実際、それらを衝突させるのは本当に楽しいと思う。そういったことをする人たちは、(アートの)歴史の中でも私のお気に入りのアーティストたちで、彼らの作品を見ると、“ああ、彼らが前にやったことにまだ影響を受けていて、こんなことが起きた”と思うの。そういったことはいつも私を興奮させてくれる。私は実際、この経験を使ってもっとそういうことを称えるようにし、(アーティストとして)定義できるようになるために自分にプレッシャーをかけないようにしてきた。エンターテインメントに携わる者として、人々は常にあなたが誰であるかを伝えようとしている。あるいは、“これを私に説明してください。あなたが何者なのか説明していただけますか?”となるの。そうした問いに“ノー”と言うことにはかなりの自由がある。“私は自分が誰であるかを完全に理解しているかどうか分かりません”と答えることには。でも、音楽、映画、ステージ・パフォーマンス、メイク、ファッション、これらが私のコミュニケーションの手段だということは、確かに把握しているわ」
――あなたはリーとジョーカーの関係をどのように感じましたか? 彼女は彼に執着しており、それが彼女をある意味で傷つきやすくしていますが、同時に彼女は彼に対してある程度の力を持っています。それはどのように機能しているのでしょう?
「あなたが言ったようなことを私は受け入れ、それが彼女の緊張になるようにした。人生では時々、物事が理にかなっていないことがある。何かを作っている時は、すべてが理にかなっているようにしたいという欲求が湧くもの。1+1=2となって“この二つの色でこの色を作る”となる。でも人間は、私たちは常に間違いを犯す。私たちは歩く矛盾なの。私たちはあることを言い、別のことをする。それでも、それはすべて私たちなの。実際、今の時代に、ある男性に夢中になって、それが彼女の存在のすべてを定義するような女性を演じるというのはどういうことなのか、よく考えたわ。彼女がするすべての選択、彼女がするすべてのこと、あらゆることがすべて、一人の男性に根ざしている。そして、“それがどうやって彼女を脆くしてしまうのか? でもまた、彼女がどのようにして常にコントロールしているのか?”ということを。そして間違いなく、彼女の過去を掘り下げて、なぜ彼女がこのようになったのかを問うことができる。そして、恐らく彼女は、ある人々にとっては、彼女の境遇や育てられ方を反映した人物となる。私自身は、脇に追いやられた誰かに対する彼女の称賛に集中していた。それと、彼が人生で力を取り戻したことを彼女がいかに心から尊敬するかということに。私たちは実際、彼女が本当に愛している人について、セットで何度も行ったり来たりした。なぜなら、ジョーカーに対する彼女の愛を私は理解しているけど、彼女はアーサーのことも愛していたと、常に信じていたの。この物語では、彼女は完全にジョーカーを、このジョーカーを、アーサーを愛することなしに、愛することはできないと思う。それは私がそこに持ち込める、女性としての私のユニークな視点のようなものなの。その両方を保持できるという見方はね」
『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』は10月11日(金)全国ロードショー。(海外ドラマNAVI)
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