シャナン・ドハティ、『ビバヒル』解雇を招いた遅刻の真相を語る

1990年代に大ヒットした青春ドラマ『ビバリーヒルズ高校白書/青春白書』(以下『ビバヒル』)のブレンダ・ウォルシュ役で知られるシャナン・ドハティ。数年前からガンを患い、今もステージ4のガンと闘う彼女は最近、自身のポッドキャスト番組に元共演者や友人を呼び、いろいろな思いを正直に打ち明けている。今回、『ビバヒル』で双子の兄ブランドン・ウォルシュを演じたジェイソン・プリーストリーをゲストに迎え、当時シャナンが解雇された時のことを語った。米ETなど複数のメディアが報じている。

遅刻を繰り返した原因の一つは…

『ビバヒル』で中西部ミネソタ州からカリフォルニア州ビバリーヒルズに引っ越してきた双子の兄妹、ブランドン&ブレンダ・ウォルシュを演じる最終候補者だった二人。シャナンのポッドキャスト『Let's Be Clear With Shannen Doherty(原題)』の最新エピソードに出演したジェイソンは、『ビバヒル』最初のオーディションは製作総指揮を務めたアーロン・スペリングのオフィスで行われ、その後に米FOXのスタジオで2度目のオーディションを受けたと回想。それを聞いたシャナンはジェイソンとともにFOXのスタジオでオーディションを受けたことを思い出し、その競争は凄まじいものであったことを述べた。

二人は、キャストが米Rolling Stone誌の表紙を飾ったことが『ビバヒル』の成功を実現する転機となったと話している。またシャナンは、同作出演時期に直面した苦労、つまり成長痛や個人的な葛藤が撮影現場でのプロ意識に影響を与えたと告白。当時20代前半だったシャナンは結婚生活が破綻しており、夫が薬物中毒であったため、時間通りに職場に向かい仕事に集中することができなかったと明かした。「私はとても酷い結婚生活を送っていて、その中では仕事の時間を守るのが本当に難しくなるようなことが起こっていた」

1994年に4シーズンで『ビバヒル』をクビになったことを振り返ったシャナンは、この件に関して自分の責任を認めている。ただ、遅刻の常習犯だったことが解雇につながることを誰かがもし教えてくれていたら…、と自分の行動の結果についてもっと透明性のある対話があれば良かったとも話した。結婚生活がぎくしゃくしていたため、当時は家を出ることさえ難しかったというシャナンは、そのことは自分に責任があるとしながらもジェイソンにこう言った。「あの時、誰かが私に、“いいか。このままじゃ最後は解雇になる。もう皆、ついていけないんだ。私生活で問題を抱えているのは分かっている。でも、それを仕事に持ち込んではいけない。しっかりするんだ!”と叱責してくれていればとも思う」 また、「私の父親は病的な人間で、当時の夫もヤク中だった。私が家を出たら薬を買うんじゃないかと思って、家を離れられなかった」と述べた。

しばしばキャストの間で"クォーターバック"(アメフトの要のポジションに絡めて「頼れる存在」という意味)と呼ばれるジェイソンは、シャナンに「皆、私にいてほしくないと思っていたでしょ」と問われ、少し間を置き「そうだ」と返答。そしてシャナンが現場に来るのを待つ間とても大変だったことや、その後にプロデューサーのスペリングやポール・ワグナーと交わした会話について語った。

それと同時に彼は、当時のシャナンのプライベートの問題についてもっと知っていれば、違う形でなんとかできたかもしれないが、(その問題を)知らなかったとも述べた。また、「一番大変だったのは、『ビバヒル』がもともとブランドンとブレンダという双子の家族の話なのに、その片方がいなくなったらどう進んでいったらいいんだということだった。だから、自分にとっては特に大変だった」とシャナンが抜けたことに対する個人的な見解を述べた。

もちろんシャナンは今では、自分の行動に責任を持ち、私生活をもっときちんとすべきだったと反省している。彼女は『ビバヒル』で一躍有名になったことをきっかけに、ナイトクラブに行ったりするようなライフスタイルの罠にはまったことを認め、ジェイソンに対して「あなたには特にちゃんとすべて話すべきだった。100%私の責任」と述べた。

シャナンは1993年から1994年までアシュレイ・ハミルトン、2002年から2003年までリック・サロモン、そして最近では2011年から2023年までカート・イスワリエンコと結婚していた。(海外ドラマNAVI)

参考元:米ET

Photo:『ビバリーヒルズ高校白書』©90-91 CBS Paramount International Television