『名探偵ポワロ』『ミス・マープル』の生みの親アガサ・クリスティーの作品に毒殺が多い理由

12月といえば、かつてのイギリスでは同国が誇るミステリーの女王、エルキュール・ポワロとミス・マープルという二人の有名な探偵を生んだアガサ・クリスティーの新作が出版されていた時期。そのため、この時期になると寒い外へは出ずに暖かい家の中で書籍や映像作品を通してミステリーの世界に没頭するという人も多いのではないだろうか。そんなクリスティーのファンなら、彼女の作品ではかなりの数の被害者が毒によって命を落としていることをご存じだろう。今回は、クリスティーと毒の関係についてご紹介しよう。

アガサ・クリスティー作品で、毒は死因第1位の39%!

毒はクリスティーの多くの作品――長編なら処女作『スタイルズ荘の怪事件』をはじめ、有名な『そして誰もいなくなった』や2017年に映画化された『ねじれた家』のほか、『三幕の殺人』『雲をつかむ死』『もの言えぬ証人』『杉の柩』『五匹の子豚』『蒼ざめた馬』『死との約束』『動く指』『ポケットにライ麦を』『ヒッコリー・ロードの殺人』『カリブ海の秘密』『鏡は横にひび割れて』などに登場する。

彼女の作品で描かれた毒殺の割合は、長編ミステリー66冊で見てみると、全部で161人いる被害者のうち39%に当たる62人と、死因として最多。なお、2位以下は、射殺が23人(14%)、撲殺が21人(13%)、刺殺が16人(10%)、絞殺が15人(9%)と、毒殺の数値を大きく下回る。

全体の39%を毒殺が占めるということがいかに凄いかを示すため、クリスティーも若い頃に愛読したとされるシャーロック・ホームズの作品と比較してみよう。ホームズ作品では、文中で回想として語られるものも含めて50人程度いた死者のうち、毒による死者は8人と20%にも満たない。それ以外の多くは、銃で撃たれたりナイフで刺されたり撲殺されたりといった暴力的な形で死を迎えている。作者のアーサー・コナン・ドイルは自らが医師で、ホームズは探偵だけでなく科学者としての顔も持ち、ホームズの助手であるワトソンも医師だったにもかかわらず、その作品では薬物に対する言及が少なく、8人の死因となった毒物に関しても未開の地のものといったあいまいな描写がほとんど。『緋色の研究』と『四つの署名』に出てくる毒がアルカロイド系の猛毒だと書かれている程度だ。

実務経験で毒のエキスパートに

なぜクリスティーの作品ではそんなにも毒に関する描写が多かったのか? その答えの一つは、彼女が持っていた豊富な知識にある。第一次世界大戦中、クリスティーは故郷トーキーの病院でボランティアとして働いていた。当初は看護師だったが、その後、調剤師(薬剤師の助手)の資格を取って調剤室で勤務するように。それに加えて近所の薬局でも教わり、実際的な知識を身に着けていった。クリスティーは第二次世界大戦中も再び調剤師として働いており、長きにわたって薬・病気と向き合うことで、新たに開発された薬や薬剤の用法に関する最新情報を手にすることができたのだ。

彼女の毒に対する知識量の多さは、作品に出てくる毒の数にも表れている。ほかのミステリー作家に比べて非常にバラエティ豊かで、代表的なものだけでも、砒素、ストリキニーネ、アヘン、ベラドンナ、ジギタリス、ベラドンナ、トリカブト、シアン化物、エゼリン、ドクニンジン、リン、ニコチン、タリウム、ベロナールとおよそ15に上る。タバコに含まれるニコチンのような、我々が普段あまり毒物として意識していないものも使っているのが彼女の玄人ぶりを表していると言えるかもしれない。

名探偵ポワロ

もちろん作中で描かれるそれらの毒を過剰摂取した際の症状や毒物の効用、検出の可能性なども正確で、彼女は30歳だった1920年に発表した処女作『スタイルズ荘の怪事件』ですでにストリキニーネに関する詳細な知識を披露している。その正確さがゆえに、「調剤学時報」誌で毒薬に関する描写が評価されたほどだ。また、実際に起きた毒殺事件を調べていた病理学者が、クリスティーの著作を参考にしたという逸話まである。

そのように毒に対する知識が抜きん出ているクリスティーが作品に架空の薬を登場させることはほぼなかった。しかも実際に登場人物に使ったのは『鏡は横にひび割れて』のカルモだけだ。

毒が巷にあふれていた時代

クリスティーが登場人物を殺す手段として毒をよく用いたのは、当時は毒が今よりももっと身近な存在だったことも一因だろう。毒薬の中でも特に有名な砒素を例に挙げて説明しよう。古代エジプトのクレオパトラが自害する際の手段として考慮したとも言われるほど、砒素は古くから毒薬として知られてきた。ただしかつては非常に高価で、ルネサンス時代のイタリアやフランスの貴族階級でしか利用することができなかった。ボルジア家の有名な毒“カンタレラ”は、砒素を豚の内臓と混ぜて腐敗・乾燥・粉末化させたものと言われており、彼らが邪魔な人々を排除する上で大いに活躍した。

しかし、18世紀半ばから19世紀にかけてイギリスで始まった産業革命により事態は一変。需要が急激に高まった鉄や鉛などの金属は、鉱石として発掘される際に地中に含まれている砒素で汚染されていることが多く、それを精製する過程で多量の砒素が生成されることに。そうした砒素は廃棄物として処分される代わりに、市場に安価で出回るようになったのだ。

そうして大量に出回るようになった砒素をはじめとした毒の多くは、害虫駆除、化粧品、壁紙、強壮剤、ケーキのトッピングといった様々な日用品として市民の生活に入り込んだ。その中には長期的に摂取したり一度に大量に取ったら、あるいは特定の接種方法を採れば、ひどい中毒状態になったり致死量となるものもあったという。つまり、ヴィクトリア時代の遺体から砒素が見つかるのは、別に意外なことではなかったのだ。それがゆえに、毒殺事件を起訴するには、死因が偶発的なものではなく砒素によるものであることを証明するだけでなく、どのように砒素が入手され、被害者に投与されたのかも証明しなければならなかった。また、例えば砒素による中毒症状は当時よくある病気だったコレラや赤痢に似ていたため、そういう意味でも毒が原因だと疑うのは難しかったのである。

クリスティーの作風と毒の相性の良さ

ミス・マープル

そうした時代背景に加えて、クリスティーの作風も毒との相性が良かった。彼女の作品によくある展開といえば、家や列車、豪華客船といった一種の閉鎖された空間にいる人たち(一族や旅行客)の誰かが襲われ、彼らの中に犯人がいる、というもの。被害者がしばしば大金持ちだったり嫌われ者だったりするため容疑者候補は複数おり、誰がいつ手を下したのか、というのが読者の興味をそそることになるわけだが、犯行手段が毒薬だと犯人の選択肢は大きく広がる。被害者の飲み薬などに細工して何日も前に前もって仕込んでおくことも可能なのでアリバイ工作に便利だし、知識さえあれば腕力は必要ないため女性や子どもでも人を殺すことができるからだ。

実際、クリスティーは被害者が毒を盛られた方法について、いくつもの選択肢を提示してミステリーファンを惑わせる手法がうまい。また、時には犯人が自分から疑いをそらすために自らが狙われた体を装うこともあるが、誰かに刺されたり殴られた風を装うよりも毒を死なない程度に口にする方が偽装しやすい。そしてもちろん、毒を賢く使うことができれば、心臓発作や食中毒といった自然死、薬を誤って過剰摂取してしまったがゆえの事故死などに見せかけてターゲットを葬ることが可能だ。クリスティー作品を毒に意識しながら見てみると、彼女がいかに毒を使ってうまく話を展開させ、見る者を惑わせ、それでいながらもひそかに解決につながるヒントを与えているかに気づくことだろう。

クリスティー作品は、『名探偵ポワロ』がNHK BSプレミアム/BS4Kにて毎週水曜日の21時より放送中。また、AXNミステリーではクリスティーの作品や関連作品、著者のドキュメンタリーなどの特集を実施中だ。そしてU-NEXTでは、『名探偵ポワロ』と『ミス・マープル』のほか、『オリエント急行殺人事件』や『そして誰もいなくなった』 といった有名作品の映画版など多数のラインナップが配信中だ。

Photo:『名探偵ポワロ』© ITV PLC/『ミス・マープル』© 1987 BBC WORLDWIDE