日本人俳優に問われる「英語セリフの精度」と「日本語力」とは?(前編)

ハリウッドではここ20年ほどで日本人俳優の進出が増えてきています。渡辺謙さんや真田広之さんはもちろん、若手世代も「映画界」ではよく見かけるようになりました。しかし「ドラマ界」は事情が微妙に異なるようで...。尾崎英二郎さんが、自身の体験も交えてその事情を紹介します!

いつも様々な海外ドラマを楽しんでいるファンの方々なら、一度はこんなことを思ったことがあるのでは?

「なんでもっと日本人俳優を使ってくれないのかなぁ...」

今回のコラムでは、その理由と事情に迫ります!

2000年代以降、ハリウッドの「映画の分野」では、日本が舞台設定となる作品には日本出身の俳優を積極的に起用する形がかなり見られるようになりました。『ラスト サムライ』『バベル』『硫黄島からの手紙』『ウルヴァリン:SAMURAI』『パシフィック・リム』『沈黙-サイレンス-』など...。

起用理由は様々ですが、もちろん一番大きなものは、クリエイターたちが日本を題材にする際に、日本らしさと真実味に富み、納得させられるクオリティを体現できるキャストを揃えたいからに他なりません。

あるいは企画によっては、ビジネス的観点がやや先行することもあります。特に製作側が巨額の予算を投じ、全世界でのヒットが命題だったりするケースでは、実力があり、なおかつ日本やアジアで著名なキャストを揃える方が日本市場での観客動員にもつながり、一石二鳥の成果が得られます。そうプロデューサーたちが判断するのは当然です。

では、ハリウッドの人気テレビ&ストリーミング配信ドラマシリーズの場合はどうなのか?
そこには「映画」とはまた少し異なる事情が、俳優の起用理由に加わってきます。

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著者の尾崎さんが出演した『エージェント・オブ・シールド』のひとコマ。シーズン2の第8話に登場した

~ドラマシリーズへの抜擢は長丁場~

まず第1に、

ドラマシリーズは"単発"のプロジェクトではない、ということ。

ドラマシリーズというフォーマットは、もし人気が高まれば何シーズンにもわたり製作され続けるという前提に基づいて作られます。

ある俳優が、第1シーズンでブレイクして大人気となれば、当然製作サイドは2シーズン目、3シーズン目にもその人材を起用し続けたい!というプランで進んで行きます。

そういう未来の展望を見据えた場合、基本的にはシリーズに抜擢した俳優たちが北米で働き続ける資格を持っていてくれないと困るのです。
(※1シーズンで完結するようなミニシリーズなどは別ですが)
つまり、北米での労働ビザや永住権を有し、長年にわたって働けるというスケジュールが確保できる人であり、なおかつ役を演じる才能を持っている人を製作チームは発掘し、主要キャストとして番組に迎えたいわけです。

単発の映画であれば、「3週間拘束」や「2ヵ月拘束」、どんなに長くても「半年前後の拘束」くらいで撮影は済みますから、その後のスケジュールの縛りはありません。なので北米以外の海外からの積極的なキャスティングもしやすくなります。
また、舞台設定やロケの誘致が(北米以外の)海外になる場合、SAG(全米映画俳優組合)の俳優を起用せずとも、役柄に適したキャストの配役をロケ地のプロ俳優たちで組むことができますから、《人種の多様性》を生み出すことにも貢献することができます。

しかし、テレビ&ストリーミング配信ドラマシリーズは何年にもわたる長期間の撮影を目標としていますから、ハリウッド作品であれば北米(米国国内とカナダ)で撮るのが定石であり、海外で長年撮り続けるということは滅多にありません。

これは、日本の連続テレビドラマであれば日本国内のスタジオとロケ地で撮るのが通例であることと同じです。邦画でも単発の企画であれば、外国での全編ロケを敢行することもありますし、現地の外国人俳優を起用するケースも見られます。

以上がまず、法的・地理的あるいはビジネスルール的な側面の理由です。
映画やドラマシリーズに臨むにはこれら様々な条件をクリアした上でなければ出演チャンスはなかなか巡ってはこないのです。

~ハリウッド作品への起用でシビアに問われる資質とは?~

今回のコラムの本題はここからです!!

俳優を役に抜擢する際の、最大にして、最重要視される起用理由は、やはり「演技」がその役にマッチしているかどうか、作品が伝えたいものを体現できるかどうか、に尽きます。

「演技」には、大きく分けて二つの面があると言えるでしょう。

一つ目は、感情を駆使する内面的な表現。

二つ目は、言語を駆使する情報伝達的な手腕。

(※実はもう一つ、見た目で役の性格や背景が伝わる、役に合った容姿的な表現がありますが、それはこのコラムのテーマではないので今回は多くは触れません)

一つ目の感情を駆使する表現、これはハリウッド、英国、フランス、日本、香港、韓国、中国、インド、どこの産業であろうがベースとしては同じです。「演技」の基本。これが備わっていなければ、視聴者や観客の心を捉えることはできません。ですから、感情に溢れ、自然で、迫力を生み、普遍的に理解される気持ちの表現能力や技は国境を越えて評価の対象、そして起用の理由になります。

表現が国境を越える上で、一番高く、分厚い壁になるのは二つ目の、言語を駆使する伝達表現の手腕です。

つまり、「セリフを操る」能力。

北米の作品であれば、まずはもちろん英語。
これが生命線でもあり、致命的な欠点にもなり得る、最大の壁です。

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東京生まれだが幼い頃に渡米したマシ・オカは、『HEROES』のヒロ・ナカムラ役で4シーズンにわたってレギュラーを務め、続編の『HEROES REBORN/ヒーローズ・リボーン』にも出演。『HAWAII FIVE-0』でも約100話に登場した

単発の映画であれば、撮影に入る前にダイアローグコーチによる集中的な指導の下で猛練習して英語セリフを覚え、「演技」として昇華させることは可能です。1~2ヵ月、もしくは数週間、それに打ち込むことができれば、名演や名シーンを生み出すことも決して無理ではありません。

但し、ハリウッドで制作される映画やドラマは、世界市場に配給・配信する前提のスケール(ほぼ全英語圏に行き渡る)で作られていますから、"ジャッジの目と耳"も非常にシビアです。

まず、発する言葉に強過ぎる訛りがあれば、その「音」はほぼ敬遠されます。

映画であれば、上映時間は2時間前後ですから、わずかな訛りであれば、本物感やリアルさを重視する観客や批評家は腰を据えて観てくれます。しかし、その訛りがキツ過ぎて、俳優が特定のセリフやキーワードを正しい音で発話できない場合は、オーディションの時点でやはり落とされるのです。
もしくは役を勝ち取り、本番で懸命に演じたとしても、北米の観客が聴き取れない「音」があれば、その俳優が演じた「音」は吹き替えられてしまいます。その音が一箇所、二箇所であれば良いのですが、全編にわたってイントネーションや発音が不安定で「これでは商品にならない」と見なされれば、ほとんどのセリフを丸々吹き替えられてしまうこともあります。たとえ外国の市場ではスターでも、北米の市場ではこの点は容赦がありません。
製作側は、密かに本人に声がそっくりな俳優をオーディションで探し直し、絶妙に音声だけを入れ替えてしまうのです。当然このプロセスでは撮影後に余計な予算や手間が生じることになります。

それでも、前述したように単発の映画作品ならこのやり方でも乗り越えることができます。

ところがドラマシリーズでは20話、50話、100話と続いていく可能性がある中で、視聴者が「(耳を傾ける)努力をしないと聴き取れないような英語」はまず避けられてしまいます。長年にわたって俳優本人の音声を毎回別の人間が吹き替えていくのは非現実的です。
オーディションの段階で、

「この人のセリフは、誰でも聴き取れる」

と言葉の明瞭度にお墨付きがもらえない限り、役を獲得するのは難しいのです。

日本語の訛り(アクセント)で色付けして演じても明瞭度を失わないレベルを保てる。英語ネイティヴのアジア系アメリカンの俳優が、日本人の役も獲得できることが多いのは、それが大きな理由の一つです。莫大な予算をかけていくシリーズですから、言語的に(NGテイクも音声の録り直しも少ない)安定したペースと確かさで演じていける俳優を揃えたいのは製作陣の本音でもあるでしょう。リスクを避けるのもプロデューサーたちの職務なのです。

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~日本人の「間(テンポ)」は武器でもあり、課題にもなり得る~

通常、ドラマは大体1エピソードが50分前後。展開もドラマチックで速いものが多い中、ネイティヴ俳優たちの会話のリズムについていくことは実に大変です。例えば、昨年僕がゲスト出演したDCコミックス原作の『レジェンド・オブ・トゥモロー』は、ケイティ・ロッツら女性キャラクターたちの丁々発止のやり取りの面白さが売りで、テンポの良いコミカルな会話のスピードには圧倒されました。3、4人のセリフが目まぐるしく飛び交う感じで、よく聴いていないと自分のセリフのタイミングや感情の流れを失いそうなくらいです。いくら日本人役とはいえ、当然ながら僕にも演出上スピードが要求されます。演じる速度を上げれば、セリフを言いよどんだり、噛んでしまう確率は上がります。『ゴジラ』の本多猪四郎監督という大役を演じる責任も大きいですから、正直内心はピンチの連続でした。

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ギリギリ綱渡りのように乗り切ることができたのは、セリフを何百回と繰り返し唱えるように練習し、血肉のように、自分の感情を伴って語れるように準備したからだと思います。でも、撮影時は冷や汗を何度もかき、自分の将来への課題もハッキリ見えた現場でした。

英語でも日本語でも、練習不足で"覚えたばかりのセリフ"というのは、ネイティヴの製作者・キャスティング担当者・共演者、そして視聴者にもバレてしまうものです。僕ら俳優は、一つ一つのセリフをあたかも自然に発話しているように流暢に語らなければ、観て下さる人々を(いい意味で)巧く騙すことなどできません。

共演相手が演技の勢いやトーンを変えてきた時に、こちらも勢いやタイミングを瞬時に変えて呼応するくらいでないと、生き生きとした演技にはならないのです。

撮影本番に臨むまでには、英語で演じる際には、文の冒頭を口に出したら、あとは自動的にすべてが流れて出てくるくらい、もしくはどのシーンのセリフでもスラッと自然に口をつくくらいにまで徹底して叩き込んでおかないと、現場で、ネイティヴの俳優たちには太刀打ちできません。

これまで言ったこともなかった専門用語や、初めて目にするような固有名詞でも、血肉になるまで練習しておかないと、本番中の緊張やハプニングに意識を遮られ、

「あれ? 何だったっけ!?」

「あぁ、この単語、言い難い...」

と咄嗟に我に返ってしまい、感情の流れがプツリと切れることでセリフをど忘れしたり、噛んだりしてしまいます。

母国語である日本語のセリフならば、失敗後にすぐに気持ちを立て直すことはいくらでも可能です。

しかし、英語の場合は、

「ここのセリフ、まだ(心身に)沁み付いていない...!!」

と、自分の練習不足を本番の真っ只中に気づいた時には、もう遅い...。一気にパニック状態になります。そんな状態に陥ってしまったら演技どころではありません。セリフを言うことだけで精一杯になって、素晴らしい感情や自然さは絶対に出てはきません。

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2シーズン関わってきた『高い城の男』というドラマは、"歴史改変SF"というジャンルですが、第二次大戦に勝利したナチスドイツ&日本がアメリカを占領した後に繰り広げられる、いわば「政治劇」ですから、出演話数が増えるにつれてセリフの難易度は上がっていきました。僕が演じたイノクチ提督(海軍大将)という役は、威厳や貫禄を感じさせる独自の「間」を持ちながらも、軍の中枢を担う指揮官としての洗練された口調やペースを崩さないバランス感覚が求められました。いつかこういう難しい題材に挑んでみたいという願望はありましたが、ハードルが高くなれば、その分もがき苦しむことになります。そしてその苦心の連続が、成長の幅を生んでくれるのです。

「演技」は母国語でも難しいのですから、それを異国の地で、その国の言語で説得力をもって演じきるということは、相当に厳しい関門だと言えます。

ドラマは"単発"ではありませんから、製作陣や視聴者に気に入られれば、役が大きくなっていくというシリーズゆえの醍醐味と達成感があります。しかし一方で、労働条件やスケジュールが折り合わなくなってしまったり、演技や言語的な能力面で失格の烙印を押されるようなことがあったりすれば、次のエピソードの出演シーンが台本から削除されるか、最悪の場合、どんな重要なキャラクターであっても(突然に...!?)その番組から退場となります。

なので、毎回がオーディションであるかのような危機感を失わないようにして、飽きるほどに訓練するしかないのです。僕自身、異国の産業で働く以上、ずっとこの苦しい戦いが続くのだと思いますが、「英語セリフ」は「演技」と同様に終わりのないライフワークだと開き直っています。

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~外国の産業で闘い続けるには~

このコラムの冒頭に書いた、

「なんでもっと日本人俳優を使ってくれないのかなぁ...」

という疑問を、日本の映像市場に置き換えてみてください。

「日本のテレビドラマや映画に、なんでもっと外国人俳優が登場しないのかなぁ...」

と考えたことはありませんか?

"人種のるつぼ"である米国と、単一民族のイメージ色濃い日本で比較してみると、実際には日本の映画テレビ産業の方が、はるかに外国人の登場する(雇用される)チャンスは少ないのではないでしょうか。

ここ10年ほどの間に、日本の連続テレビドラマで活躍した外国人俳優を思い浮かべてみて下さい。皆さんの目にまず浮かぶのはNHKの連続テレビ小説『マッサン』で日本国民のハートを掴んだシャーロット・ケイト・フォックスさんでしょう。でも、その他は? 彼女の他に日本市場の第一線で継続して活躍している外国出身の(演技分野のみで闘う)俳優が思い当たりますか?

彼女が2014年に『マッサン』で挑んだチャレンジは、在英語圏で活動する日本人俳優の僕らの体験よりもはるかにハードなものです。彼女はそれまで日本語を話したことがなく、完全に未知の言語。撮影当初は全てのセリフを phonetically(音声的、音感的)に覚えるしかなく、同時にセリフの中の単語の意味などを少しずつ学んでいくという、演技者として非常に困難な役作りに挑みました。このプロセスを通じて、セリフに感情を溢れさせ、視聴者を感動させるというのは至難の業です。僕は彼女の演技に思わず目が潤んだことがありましたが、後日彼女の撮影中のドキュメンタリーを見て、その努力の舞台裏に驚嘆しました。

phonetically(音感的)に覚えたところから、"自分の中から生まれる発話"の感覚へと創り上げていくという作業は並大抵のことではありません。誰もができることでは決してないのです。話したこともない言語で、その国の人々を感動の渦に巻き込むということは、偉業です。

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16年前に『ラスト サムライ』で渡辺謙さんが経たプロセスも同じです。2003年に公開された同作が初の洋画だった謙さんは、演技とコミュニケーション(特に耳の良さ)のセンスを携えていて、なおかつ撮影に向けて計り知れない努力をされたからこそ、広く評価を得たわけです。その実績と信用を武器に、大作映画やブロードウェイの舞台というさらに責任の重くなる場に次々と挑み、今も膨大な英語セリフを「自分の演技」へと織り込みながら活躍し続けています。

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同じく『ラスト サムライ』で米国市場に進出した真田広之さんは、ドラマシリーズにも活躍の場を広げました。『LOST』や『リベンジ』にスペシャル・ゲストスター枠で参加したほか、『HELIX -黒い遺伝子-』と『エクスタント』では2番組連続でシーズンレギュラーとしての出演を果たしました。宇宙飛行士、科学者、企業のCEOのような役柄の難易度が高く圧倒される量の英語セリフに直面しても、自然な佇まいで「自分の言葉」として駆使し、演じきることを可能にしている、凄まじい日々の努力が常に水面下にあります。

謙さんも、真田さんも、シャーロットさんも、海外の業界で生き抜くための姿勢と取り組みを顕著に体現されている好例であり、お手本です。

【後編】はこちら

Photo:

『硫黄島からの手紙』撮影現場での渡辺謙と監督のクリント・イーストウッド
©Capital Pictures/amanaimages
『エージェント・オブ・シールド』
©Everett Collection/amanaimages
マシ・オカ(『HEROES REBORN/ヒーローズ・リボーン』)
©2015 Universal Studios. All Rights Reserved.
『レジェンド・オブ・トゥモロー』
© Warner Bros. Entertainment Inc. DC’S LEGENDS OF TOMORROW™ and all pre-existing characters and elements TM and © DC Comics.
『高い城の男』
『ラスト サムライ』の渡辺謙とトム・クルーズ
©Everett Collection/amanaimages
『エクスタント』
©2014 CBS Broadcasting Inc. All Rights Reserved.