(※注意:このコラムの文中のキャラクターの名称や、監督名・俳優名などは、原語または米語の発音に近いカタカナ表記で書かせて頂いています)
まだ日本国内で活動していた2000年代の初頭まで、アメリカのコミックブック(日本でアメコミと呼ばれている米国の漫画本)の文化や歴史に関する僕の知識はほぼゼロに等しかった。例外的に知っていたのは、映画で一世を風靡したスーパーマンやバットマン(共にDC)、スパイダーマン(マーベル)くらいで、まさかアメコミの世界というユニバースに何千ものキャラクターがいるなどとは知る由もなかった。
しかし、2004年に報じられた、渡辺謙さんがクリストファー・ノーラン監督のバットマンの新作映画(『バットマン ビギンズ』)へ出演するというニュースは衝撃だったことを覚えている。『バットマン』シリーズはマイケル・キートンとジャック・ニコルソンが主演した1作目(ティム・バートン監督作)をもちろん観ていたし、ワーナーのこのシリーズには2作目以降にも著名な俳優陣が出演していたからだ。
『ラスト サムライ』でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた謙さんの次回作がアメリカの大人気コンテンツの映画であったことは、日本人俳優がどこまでハリウッドの業界に入っていけるか?を実際に見せてくれる画期的な出来事だった。
その『バットマン ビギンズ』の続編、アメコミ映画の名作『ダークナイト』が米国映画界を席巻したのが2008年。僕の念願だった米国業界への扉が開き、活動拠点をロサンゼルスに移したのが2007年の秋で、「渡米1年目」にこの作品を劇場のスクリーンで目にしたインパクトは大きかった。ジョーカー役の鬼気迫る演技で観客を魅了した故ヒース・レジャーはアカデミー賞助演男優賞を同作で受賞し、「コミック原作映画の未来への可能性」をも見せてくれた。
そして2008年は、アメコミのもう一つの巨塔であるマーベルが映画『アイアンマン』で旋風を巻き起こした年としても記憶されている。軍需産業の御曹司の主人公が改心し、兵器製造をやめる決意を固めるというヒーロー像に魅了された僕は、アメコミの歴史を調べるうちに、それらの原作の世界観には日本人キャラクターが意外にも数多く存在することを知った。
2013年のある日、映画スタジオが林立するバーバンクという街にあるコミックブック店にふと立ち寄った時に、店先で一枚のチラシを見た。テレビドラマのブルーレイとDVDの発売イベントの告知で、この店で近日サイン会があるという。それがDCユニバースのドラマ『ARROW/アロー』で、サイン会にやってくるのは脚本家チーム。その何人かの名前の中に、"SHIMIZU"という日系の名前が含まれていた。
「日系人のライターがアメコミのドラマを書いていたりするんだ...」
と驚き、何らかのインスピレーションを得たいと思った僕は、そのサイン会へ足を運ぶことにした。当日、会場には大小様々なデザインの『ARROW/アロー』のポスターと、ブルーレイディスクのパッケージが並んでいた。そしてサインするデスクに座った5、6名の中にケト・シミズさんという小柄の女性がいた。他は全員白人の男性だったこともあり、シミズさんの存在は異国で闘う日本人の僕にとって非常に新鮮だった。
いつかこういう脚本家のチームが描く世界観の中に登場できたらいいなと、ほのかな希望を抱いた夜だった。
『ARROW/アロー』ではのちに福島リラさんがカタナ(タツ・ヤマシロ)役として複数シーズン連続で出演していることを見ても、アメコミのユニバースとは日本人キャラクターの活躍が普通にあり得る世界だ。DCであれ、マーベルであれ、アメコミの歴史を創ってきたクリエイターたちには日本文化のファンが多いのではないか?という側面が徐々にわかってきた。
今年の夏、日本から訪れた友人家族と一緒に、ワーナーのスタジオツアーに初めて参加した。仕事で同スタジオを訪れたことは何度かあったものの、現在の自宅が目と鼻の先のところにありながら11年間のアメリカ生活で初めて参加したツアーは、見所満載で純粋に映画ファンの心をくすぐられるものだった。実際に使われていた衣装・小道具・車両の展示が溢れており、『理由なき反抗』でジェームズ・ディーンが身に着けた赤いジャケットとジーンズ、『ダーティハリー』のマグナム銃、『インセプション』のセット美術の模型や、『ダークナイト』のバットポッドとバットモービル(タンブラー)などには時間を忘れて見入ってしまった。『ワンダーウーマン』『ジャスティス・リーグ』『ファンタスティック・ビースト』といった旬の展示も実に充実している。
2時間ほどをかけて案内や展示を見終えた最後にカフェ(シットコム『フレンズ』に登場したカフェ「セントラル・パーク」を模したデザインの店)と売店がある。そのカフェでコーヒーを飲んで一息ついている時に携帯でメールを確認すると、1件のオーディション連絡が入っていることに気がついた。
そのオーディションが、DCのドラマ『レジェンド・オブ・トゥモロー』だった。
『レジェンド・オブ・トゥモロー』とは、米国で人気のCWネットワークで放送されている"ARROWVERSE(アローバース)"の世界観の中のドラマの一本で、過去に『ARROW/アロー』や『THE FLASH/フラッシュ』などのDC作品に登場してきたヒーローやヴィランが再集結しているシリーズだ。ホワイトキャナリー役のケイティ・ロッツ、アトム役のブランドン・ラウス、ジョン・コンスタンティン役のマット・ライアンらが登場しているので、スーパーヒーロー好きには彼らの丁々発止のやり取りだけでも楽しい。これら異色のヒーロー混成チームがタイムトラベルし、世界を危機から救っていく奮闘が描かれる。いくつもの時代へと飛び回り、若き日のジョージ・ルーカス監督、ビートルズ、マリリン・モンロー、やがて大統領となるバラック・オバマ氏ら、様々な歴史上の人物と遭遇する大胆なストーリー仕立てなので、視聴者がノスタルジックな思い出にも浸ることができるのが特徴だ。シーズンを重ねる毎に批評家たちの支持率も上がってきている、珍しいシリーズでもある。
僕は日頃から、世の中で起きていることはその多くが「必然」だと考えているタイプなので、初めてワーナーのスタジオツアーに参加していたその時に、ワーナー/DC製作の番組の連絡が舞い込んだことに運命を感じた。そして縁を感じたのはそれだけではなかった。そのメールにあったオーディション情報には、番組タイトルや監督名の他に「脚本:ケト・シミズ」と書かれていたのだ。しかも彼女はこの5年の間に、担当番組を『ARROW/アロー』から『レジェンド・オブ・トゥモロー』へ移し、番組の共同ショウランナーへと出世していた。
シミズさんはあのサイン会に日本人の客がいたことなど覚えてはいないだろうが、僕にとっては5年間待ったチャンスの到来だ。DC作品のオーディションを受けること自体も初めてのこと。しかも、挑む役はゲストスターの枠。なんとしても製作陣の記憶に爪痕だけでも残したい...そういう、勝負の一番だった。
しかし、セリフが難しい。モノローグ(独白の長ゼリフ)を含めて、約200単語はある、深刻な感情の場面だった。全てが英語の台本で、それだけの分量になると、日本人役とはいえアジア系のアメリカ人俳優が勝ち取ってもおかしくはない。
オーディションの時点では台本の役名は「Ren(レン)」と書かれていた、40代の独創的な映画監督であり、「monstrous(怪物のような、恐ろしい)」な何かが現れる、とされている。セリフの中には「the ruins of Hiroshima(広島の廃墟、残骸)」という言葉が含まれていた。レンは荒廃した広島を回想するのだ。
偶然なのか、必然なのか、ワーナーのスタジオに行く計画を固めたのが米国時間の8月6日。スタジオ内でオーディション連絡を受けたのは翌7日。その夕刻から懸命にセリフを叩き込み、セルフテープ(自分で作成する演技テープ)を作成。テープを提出した締め切りが8日、最終選考に呼ばれたのは8月9日だった。
「the ruins of Hiroshima」から想像するのは言うまでもなく「原爆」であり、そこから連想する「怪物的なもの」と言えば日本人にとっては"ゴジラ"である。"怪獣映画の監督"がモデルの架空のストーリーになるのだろう、ということだけは予想がついた。
日本人の監督で、しかも広島の惨状を語るという役柄が、米国のドラマの脚本に描かれることなど滅多にあることではない。集中力を最大限注ぎ込んで挑まなければならないオーディションだと心した。
最終選考の日。この日は万全の準備で、並々ならぬ気迫で臨んだ。オーディションの部屋に入ると審査するスタッフがズラリと並んでいた。「何か質問は?」と聞かれたので、「この物語が起きているのは何年ですか?」と尋ねた。広島の鮮烈な記憶を戦後すぐに語る役なのか? それとも60年代や80年代、もしくは2000年代に思いを馳せて語る役なのか? それだけでも役の心情や場面のトーンは大きく変わるからだ。同席していた共同脚本家のオバー・モハメドは、「1951年よ」と教えてくれた。
「やはり、戦後間もない頃だ!」
それを聞いて、演じる想定が固まった(ちなみに第1作目の『ゴジラ』は1954年に公開されている)
勝負は1テイク。
練習以上のものが溢れ出た手応えがあった。
審査をする側の表情に光が見えた。
翌日、すぐにスケジュールを押さえたいとの連絡が入り、後日、出演決定の報が入る。
そして僕が演じる役が、実は『ゴジラ』を監督したご本人、本多猪四郎監督その人なのだと、出演決定時に初めて知らされた。
撮影本番まで、あと1週間という時だった。
(文・写真/尾崎英二郎)
Photo:
『ラスト サムライ』で共演した渡辺謙とトム・クルーズ
(C)FAMOUS
『ダークナイト』
(C)FAMOUS
『レジェンド・オブ・トゥモロー』
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