米アメコミ実写作品の批評スコアは平等か!? 厳しい「批評」は何を生み出すのか。〈後編〉

〈「ロッテン・トマト」の問題点とは!?〉

このコラムの前編で、米国の批評サイト「ロッテン・トマト/Rotten Tomatoes」の批評に不公平なバイアスなどかかっていないことを説明しました。

では、この「ロッテン・トマト」に問題点は無いのか?

まったく無いわけではありません。

それは、先に説明した「支持率」に焦点を当てるシステムです。
批評に書かれた映画やドラマの中身に関する"点数"ではなく、支持率を目立つように掲げることで、よりセンセーショナルな印象をサイトのユーザーや映画ファンに与えます。

仮に、絶賛の内容でなくとも、そこそこ肯定的な内容が批評家たち全員の記事に書かれていれば、その作品は「支持率100%」となり得るし、

逆に、ある作品に関して、やや否定意見寄りの内容を全員が書いていれば、この作品は「支持率0%」の烙印を押されてしまうこともあり得るのです。

映画自体の採点(Average Rating)が、10段階で"4.5~5点"くらいの水準を獲得し、賛辞と批判が半々に書かれているような作品でも、支持率のスコアは「0%」になり得る。
この数字は、読み取る側にミスリードを起こす可能性があります。

この「%」の数字だけをSNSなどでパッと見て、批評記事の内容をほとんど読まずに、

「前者は100%だから最高なんだな!! 後者は酷評の嵐かよ!!」

と、判断されてしまうことがあるとしたら、それはそれでアンフェアな気がします。

但し!! 映画やドラマにとって「最大の不幸」は、製作され、作品が上映・放送までたどり着いたとしても、人々の気にも留められず、無視されてしまうことです。
なので、たとえ作品の支持率が、良くも悪くも"センセーショナルな印象の%"になってしまったとしても、それによって「どんな作品か観てみようか!?」と興味をそそることにつながれば、それは、映画ビジネスとしては必要な"衝撃:センセーション"であると言えるのかもしれません。

もう一つ、数字が生み出す問題点としては...

映画の公開規模や批評家向け試写などの回数の差によって、「ロッテン・トマト」がまとめる批評記事のサンプル数に、大きな開きが出てしまうという事実も見逃せません。

(アメコミとは関係ないですが...)やはり熱烈なファン数の多い『ゴジラ』を例に見てみましょう!

 

今年日本で大ヒットした『シン・ゴジラ』は、米国でも限定1週間前後の公開期間があったのですが、「ロッテン・トマト」上の批評家の支持率は87%と発表されています。ただし、上映期間の短さに加えて外国映画だということもあり、掲載されているのは米公開の10月の時点で「38名」の批評記事でした。それらの記事には、"東宝のゴジラ"を、久々に観ることができたことを喜んでいる、世界的な人気怪獣のカムバックを祝うようなコメントが多々読み取れます。ゴジラは実に愛されているキャラクターなのです!

一方、『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』を監督したことで話題沸騰中のギャレス・エドワーズの米国版『ゴジラ』は、支持率は74%ですが、「287名」の批評家の記事が集められています。全国公開された米国版『ゴジラ』は、もともとゴジラが好きな批評家たちと、SFやモンスター映画のファンではない批評家も含めた、大勢の鑑賞眼にさらされているわけです。
なので、この日米2作の評価を数値だけで単純比較することはできません。

また、「ロッテン・トマト」にまとめられている批評記事は、基本的に英語圏やスペイン語圏のものが多く、それ以外の言語の地域の批評はあまり見られません。

なので英語以外の外国語作品について、どれほど細やかな文化や言葉の奥行き、あるいは演技のニュアンスを批評家たちが受け取り、堪能し、客観的かつ平等に分析し得るのか?
美術や衣装や役柄の設定に日本の要素やアジア(あるいは他の地域)の要素が混じっている場合、その善し悪しを、英語圏の批評家たちがどれほど的確に批評できるか?
その部分も、完全なる数値では測れない、と僕は思います。

日本を含むアジア以外にも、中東やアフリカ等、特に"西洋"以外の文化の要素が入った物語の映画やドラマになればなるほど、採点に不確かな部分が生まれてしまうかもしれません。
今後は、少し幅広い人種(&言語・文化)を交えた批評家が増えていくことを望みます。

〈アメコミ映画は、アメコミファンのためだけに創っているのではない!??〉

もともと、文化や歴史に関する見識や造詣、また鋭い感受性を求められる批評家という立場の方々の目線からは、コミック作品や、コメディ作品、ものによってはバイオレンス作品といったものは、アカデミックやドラマチックな作品群とは同等に評価されにくい土壌があります。

しかしその土壌も、今後はかなりのスピードで変わっていくのではないでしょうか。

 

今年、満を持して公開し、興行的にも成功を遂げたDCの『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』、マーベルの『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』は、双方とも、社会にヒーローたちが存在することのリアリズムを物語の中で色濃く表現し、感情的にも多分にドラマチックな展開を含んでいました。

前述したDCの『ダークナイト』傑作シリーズも、リアリティ描写という面において、アメコミ作品の金字塔として、計り知れない影響力を及ぼしています。

本年のDC作品への批評家たちの厳しい批評と、それに対するファンの猛烈な反発は、裏を返せば、それだけ高いクオリティーと創造性を人々が求めていることを証明しているのです。

DCのキャラクターというのは、スーパーマンにしてもバットマンにしても、他社のコミックヒーローものと比較しても、もともと圧倒的に知名度が高いので、当然、観る側の期待値が上昇してしまうという点があります。特に、『ダークナイト』がすべての"アメコミ映画"のイメージを塗り替えた「革命的な作風」となって以降は、DC原作の映画には、独自のハードル、観客たちの求める強い期待の壁が常に存在する、と言っていいでしょう。スーパーマン、バットマン、ワンダー・ウーマンらのヒーローや、ジョーカーといった悪役は、米国の老若男女なら、誰もが昔から知っていて、新作が出来る度に、過去作を超えて欲しいという願望を、つい皆が抱いてしまいます。その期待や願望に応えるという"宿命"こそが、DCの「真のライバル」かもしれません。

(※【基礎知識4】現に、DCエクステンデッド・ユニバースの最新作『スーサイド・スクワッド』では、DCコミックスで最も悪名高く人気のあるヴィランである"ジョーカー"を、アカデミー賞受賞俳優のジャレット・レトが演じることが、大きな注目ポイントの一つでした。
予告編の内容から、批評家たちもファンたちも、かなりの期待を胸に劇場に足を運んだことは間違いなく、そのジョーカーの登場シーンが(群像劇なので他のキャラクターとのバランスを取るためか)完成作ではかなり少なく編集されていたことなどが、多くの観客たちの「もっと観たかった!!!」という方向の反発を招きました。
短期間で書かれたと報道されている脚本によってなのか、あるいは編集の最終的な決断などによってなのか、何人かのキャラクターの描写が不足していることへの不満は、批評家にもファンにも共通した反応だったようです。
しかし同時に、批評記事やファンの感想のほとんどが、ハーレイ・クイン役のマーゴット・ロビーやデッドショット役のウィル・スミスの演技や存在感を賞賛しており、批判ばかりで埋め尽くされたわけではありません。男女両ファンから強い支持を得たマーゴット・ロビーは、ハーレイ・クイン役を中心とした続編で、再びこのユニバースに戻ってくると、すでに発表されています。
そして、本来、最も注目されていた"ジャレッド版ジョーカー"やハーレイ・クインの、残念ながら本編に残らなかった、しかし見応えのある場面のいくつかは、『スーサイド・スクワッド』のエクステンデッド・エディションに収録された未公開シーンで観ることができるので要チェックです!)

 

近年のアメコミ映画は、どれだけ多くの観客を楽しませることができるか? を重要視する宿命を担っています。
というのも、作品の製作スケールが非常に大きくなり、莫大な予算がかけられているため、続編などを作っていくためにも、そのコストを回収する必要があるからです。

そのため、一言に"アメコミ作品"や"ヒーローもの"といっても、物語の構成や緻密さ、キャスティング、撮影、編集、衣装デザイン、美術、音楽、アクション、VFXなど、すべての部門において各社が切磋琢磨し、年々そのクオリティーを高めているわけですから、批評家たちの眼が厳しくなっていることも当然とも言えます。

たとえば「ヒーロー作品のアクション場面」という、ビジュアル的には花形である要素も、これまで業界の権威の眼からはなかなか認知されにくかった部分かもしれません。
しかし12月14日に発表された本年度のSAG(全米映画俳優組合)賞の最優秀スタント・アンサンブル賞のノミネートでは、映画部門に『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』『ドクター・ストレンジ』、テレビドラマ部門には『ウォーキング・デッド』『デアデビル』『ルーク・ケイジ』の名が挙がりました。
同時に5本のアメコミ映像化作品が並ぶことは、これまで無かったのではないでしょうか?
アメリカ国内で一年間に製作される、優れたアクションを含む実写映画やドラマの全体の本数を考えれば、「アメコミ作品」全体のスタンダードが向上し、賞レースで争い、他のジャンルの作品群を凌駕し得るほどのパワーで席巻していることは、目を見張る潮流です。

 

映画会社は、「特定のファンの目」だけを喜ばせるために作品を創るわけにはいきません。
熱烈なファンの方々は、ほぼ確実に映画館に駆けつけてくれます。
でもアメコミファンの絶対数というのは米国内でも、世界的にもまだまだ限られているのです。
むしろアメコミファンじゃない観客をどこまで引き込めるか?
初めてアメコミ映画を見る観客たちをも巻き込んで、どれだけ楽しませることができるか?
一般の観客にも興味を抱かれ、評価されるような映画製作が不可欠になっています。

広く、世界中の観客や視聴者たちから支持を得るには、

優れた"アメコミ実写版"である前に、
優れた"映画"、優れた"ドラマ"として成立していることが絶対条件となります。

特にアメリカの映画業界では、「配役(演技とキャラクターの描写)」、そして「脚本」が何よりも重視されますから、批評家たちもファンたちも、《唸るような出来映えのストーリー》をいつも待ち望んでいます。
一般的なジャンル作品と違わず、アメコミ映画・ドラマ作品群も、脚本の善し悪しが最も厳しく分析され、そこに不備が見られれば、容赦なく糾弾されるのがアメリカの業界です。
まず基本に、ストーリーありきなのです。

現在の潮流のまま、このジャンルのレベルアップが進んでいけば、『ダークナイト』のヒース・レジャーがアカデミー賞の主要部門に食い込み受賞したように、近い将来、再びDCやマーベルやその他のアメコミ作品群から、業界や批評家が決定する作品賞・監督賞・脚本賞などに名が挙がってくる...そんなことも夢ではないのかもしれません。

 

〈健全で厳しい批評が、なぜ大切なのか?〉

アメコミファンにとっても、映画ファンにとっても、ドラマファンにとっても、批評家の方々が時に厳しい意見で作品を斬るからといって、「敵」ではありません。

"素晴らしい批評"というのは、作品にとっても、ファンにとっても、大きなメリットのはずです。

批評家の方々は、様々な作品を見て評論するプロです。あなたが観たことのない映画やドラマを沢山観ています。クリエイターや監督や俳優たちの生い立ちや過去作までリサーチしたりすることで、作品の名前の意味や由来、セリフの面白さ、音楽の特徴や意図、美術やセットのこだわり、制作秘話、構想のアイデアの元ネタ、など知り得なかった知識を我々にもたらしてくれます。

ある映画やドラマを観ようかどうしようか迷っていた人が、それらの批評の斬り口から、「やっぱり観てみようかな...」と思いを固め、劇場に足を運ぶ場合もあるのです。

絶対に観ると決めている映画なら、作品を観る前の段階では批評を読む必要はないかもしれません。
しかし、観賞後に批評を通じて内容をより詳しく知ることで、「もう一回、あのシーンを観てみたいな!」と思わせるような効果も生むのです。

あるいは、「ロッテン・トマト」上の支持率が、厳しい数字の結果に現われた場合、それは製作者たちへの"危機を喚起させるサイン"ともなるわけですから、それによって、次回作のクオリティーをもっと上げようという強い決意が製作側に生まれるでしょう。
映画やドラマの質が上がってくれるなら、次回作を観るファンにとって損な面は一つもないのです。

今の時代、レストランで美味しい食事をしたい時でも、批評サイトで店の評価を確認してから店に行くことが増えました。
厳しい論評や、お客の感想が伝わった方が、店の質は改善されるでしょう。それらの意見は、店=ビジネスを運営する側にとっても《貴重なデータ》であるはずです。

スポーツでも、同じです。
野球をスタジアムで観戦し、臨場感や勝利の興奮を楽しむことが最高の娯楽であるファンの方々ももちろん沢山いますが、その一方で、テレビで観察力のある解説者が一球一球毎のピッチャーの心理や、内野や外野の守備位置の変更の意図や、監督の采配の絶妙さをハッキリ解説してくれる方が、試合を観ていて充足感を得る人もいるはずです。
あるいはワールドカップのサッカーで、日本代表選手の闘いぶりを、解説者や評論家がただ褒めることしかせず、サポーターたちがそれに同調してしまったら、結果としてチームは強くなってくれないかもしれません。

批評は、絶賛評であれ、酷評であれ、しっかりとした客観性と知識と根拠を含んだものであれば、読み手は、多角的な解釈で作品・商品・ビジネスの奥行きを知ることができ、観る眼は肥えていきます。

観る側の眼が肥えれば、作る・運営する側の努力も必ず増していくのです!!

そして、もっと面白い、素晴らしい作品が生まれる可能性が高まります。

作品に「手厳しい批評」とは、

実は映画やドラマファンの「味方」なのです。

大切なのは、どういうメディアの批評家によって、どんな評価が書かれているのか、
中身をじっくり読み解き吟味して、そこから聞こえてくる真の「声」や「熱量」を把握し、
映画やドラマの価値を自分で判断することです。

本コラムの冒頭でご紹介した、熱意あるファンによる批評家サイトに対する訴えの中にある、

You may enjoy a movie regardless what the critics say about it
批評家たちがどんなことを言ったとしても、あなたは映画を楽しめるかもしれないのだ

この言葉だけは、この通りだと僕は思います。

どれだけ多くの、優れた観察眼の批評家がいても、記事の数があっても、
その作品を観て、あなた自身がどう感じたのか!?

それが最も重要です!!

あなたの眼が、耳が、心が抱いた感想は、

この世に一つしかないのですから。

Photo:
ハリウッド版『ゴジラ』プレミアでのギャレス・エドワーズ監督 (C) Izumi Hasegawa/www.HollywoodNewsWire.net
『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』 (c)2016 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.,RATPAC-DUNEENTERTAINMENT LLC AND RATPAC ENTERTAINMENT, LLC
『スーサイド・スクワッド』ジャレッド・レトー演じるジョーカー (C)2015 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC., RATPAC-DUNEENTERTAINMENT LLC AND RATPAC ENTERTAINMENT, LLC
『ウォーキング・デッド』 (C)AMC Film Holdings LLC.All rights reserved./Provided by FOX channel