今年も番組改編の春を過ぎ、各局では海外ドラマの新作・話題作がスタートした。現在、CSやBS放送の各局では日本語吹替版か字幕版のみのほか、字幕版と吹替版の同時放送も増えている。
さて以前、人気ドラマ『LOST』を題材に字幕翻訳と吹替翻訳の違いについて触れた。今回はテレビシリーズの翻訳として昔から親しまれてきた吹替版について、ちょっとマニアックな視点で紹介したい。

●吹替翻訳の基本の基本!
【三大ルールは「尺合わせ」「リップシンク」「ブレス」】

セリフは原音の長さに合わせ、できれば口の形に合わせる。またオリジナルの俳優が息継ぎをしてセリフが途切れる箇所も同様に合わせる。
原音の長さに合わせることを「尺合わせ」、口の形に合わせることを「リップシンク」、息継ぎの箇所を合わせることを「ブレスを合わせる」などという。

この尺合わせ、リップシンク、ブレスの「三大ルール」は吹替翻訳者にとって泣き所かつ腕の見せ所だ。登場人物のセリフはキャラクターによって、内容も話すテンポも異なる。早口でまくしたてたり、大きく口を開けたり、絶叫系に徹したり、やたらとブツ切れで話したり......。こういったオリジナルの話者の口調に合わせるべく、翻訳者は数秒単位で映像データを巻き戻し「三大ルール」と格闘する。
1分間のセリフを作るのにかかる時間は30分から1時間。1日8時間の作業で進むのはおよそ10分。従って正味45分間のテレビシリーズ1話を訳すのに4~5日、見直し作業を含めると1話の完成には約1週間かかる。もちろん、原文の意味に添った日本語のセリフにするというのは大前提だ。
このように吹替翻訳は楽しいながらも苦しい作業なのだが、三大ルールを征して心に残るセリフが書けたときは心のなかでガッツポーズをするほどの爽快感だ。初めからそのドラマが日本語で作られたかのような臨場感が生まれ、視聴者には「吹替版」だという事を意識させず、作品を楽しんでもらうことができる。
個人的な感想だが、アジア圏の作品(韓国・中国・台湾ドラマなど)、アジア系の俳優が多く登場する作品の場合、セリフと口の動きがずれていると特に目立つと感じている。そのためアジア圏の作品で突出して素晴らしい吹替版を見かけると驚きも倍増だ。口の開け・閉じの形まで完璧にシンクしつつ、心に響くセリフを言わせている日本語吹替版を見かけると、その作品がもともと日本語で作られていたかのような錯覚さえ覚えてしまう。いちドラマファンとしては大いに楽しみ、翻訳者としては「ハハーっ!」とテレビ画面の前でひれ伏してしまう。

【背後に聞こえる、会話、テレビの音声、警察無線などを吹替翻訳にも活かす!】

海外ドラマには家族団らんのシーンでテレビがかかっていたり、犯行現場で警察の無線が飛び交っていたりする。また、ナレーションの多いシリーズではナレーターの背後で登場人物が話していることがある。これらテレビや警察無線の音声、ナレーションの背後で聞こえる声は、全て吹替翻訳者が台本に起こす。
実はこのようなセリフは原文スクリプト(原文台本)に書かれていないことも多く、必要に応じて翻訳者が創作している。警察無線なら事件現場付近の地図を検索し、実在の通りや建物などを確認しながらセリフを書く。テレビ音声の場合は挿入されている効果音に注目し、アニメーションの音・ニュース番組・クイズ番組など効果音に合わせた内容にする。
たとえば犯行現場で警察無線が飛び交うシーンがある。無線の声の主は映像にないので「三大ルール」はカンケーないように思えるが、じつは「尺合わせ」と「ブレス」まではいきている。というのは、無線では音声の前後に交換手によるノイズが入るため、そのノイズにかぶらないようにセリフを作る必要があるからだ。これはアニメやクイズ番組でも同じ。アニメやクイズ番組ではセリフのあいだに必ずといっていいほど効果音や拍手などが入っている。そのためセリフは効果音のタイミング、原音の尺やブレスに合わせて創作する。
ではなぜ背後の声を創作してまで日本語版に入れるのか? それはズバリ、メインでない背後の音声に至るまでオリジナル作品の演出を再現するためだ。無線のノイズやアニメの効果音、クイズ番組の拍手などの前後にあるべきセリフが抜けていたら間延びした印象になる。またそれらの効果音と関係ない長さでセリフが入ると締まりもないしリアリティもなくなる。ドラマのセリフはメインの会話はもちろん、背景の音声に至るまで全てが必要。意味があるから存在している。細部にまでこだわってこそリアリティと緊張感が保たれた、よい日本語吹替版になるのだ。

【苦労倍増!?な「ガヤ」の収録!】
吹替翻訳の場合「ガヤ」とはレストランや通り、公共のスペースなどで聞こえるザワザワとした話し声のこと。もとの映像にこの「ガヤ」があった場合、メインの音声やBGMとのバランスなどを考慮し、必要に応じて収録する。
「ガヤ」を収録する最大の理由としては無線やテレビの音声と同じで、オリジナルの演出を生かすためだ。画面には大勢の客が集まるレストランなのに、日本語版で「シーン」としていたらシラけてしまう。必要な箇所に必要な「ガヤ」が入ると、音声が立体的になり臨場感が生まれる。
収録スタジオではディレクターの指示のもと、俳優がアドリブでセリフを入れていく。少数によるハッキリとした会話なのか、大勢の人々によるざわめきなのかなど、状況に応じた雰囲気のガヤが収録される。また海外ドラマの1話分の収録には平均4~5時間を要する。新番組の初回分の場合は8時間前後かかることも。

いかがでしたか?
吹替翻訳の小ネタをいろいろと書きましたが、翻訳はあくまで黒子の仕事。翻訳者にとって最良の翻訳とは字幕でも吹替でも「視聴者が翻訳版だと意識しないこと」なんです。視聴者の方に違和感なく楽しんでいただけるよう翻訳者も日々鍛錬しています。日本語吹替版の舞台裏を紹介することで、制作過程にちょっと興味を持っていただき、さらに海外ドラマを愛してくださる方々が増えることを心から願っています。



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