"欲望"という名の電車に乗って、"墓場"に乗り換えて、"極楽"にたどり着いた女----ブランチ・デュボア。
名家出身で気位の高いお嬢様が、行き場をなくし、妹ステラのところへ身を寄せる。1部屋をカーテンで区切るしかない小さなアパート。ブランチは、そこに居候することに。しかし、元軍人で粗野な工場労働者である妹の夫スタンリーと、お高くとまったブランチとは折りが合わない。やがてスタンリーが、ブランチの隠れた過去を暴き出し......。
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1947年にニューヨークで初演されたテネシー・ウィリアムズの戯曲は、アメリカ演劇界の古典として何度も上演されている。当時、ロンドンでも上演され、ブランチ役は『風と共に去りぬ』のヴィヴィアン・リーが演じた。リーはそのまま1951年の映画にも出演し、2度目のアカデミー賞主演女優賞を受賞。それだけでなく、南部の名家から落ちぶれ、過去の栄光にすがって生きるブランチは、『風と共に去りぬ』のスカーレットの"その後"を思わせることから、以来、ブランチは、ヴィヴィアン・リーという伝説的女優の名演技によって映画界、演劇界の歴史に刻まれることになる。
この舞台が、ナショナル・シアター・ライブで日本にいながら楽しめる。映画もいいが、やはり舞台が原点。
人は夢を見る。だが、事実に裏打ちされてない夢はもろく崩れてしまう。語った言葉が現実となるブランチと、起きた事実が現実だとするスタンリーの対立を通して、夢に逃げ込むしかない哀しい女の真実を描き出す。ブランチを演じるのは、『Xファイル』のスカリー捜査官でおなじみのジリアン・アンダーソン。スタンリー役を『フラッシュ・フォワード』のベン・フォスターが野性味たっぷりに演じている。
□美貌でならした女優たちが、一度は挑戦してみたい難役!
過酷な現実の前に、夢想の中に逃げ込むことは誰でも経験したことはあるだろう。しかし、現実逃避はいつまでも続けられないものだ。いつかは終わる。
ブランチは、現実世界の真実ではなく、自分が真実であるべきだと思うことを信じたい女。外見的な美しさ、若さ、そしてこうあるべきだという自分に対する理想に縛られた不自由な女でもある。
彼女は「20代の若さはない」という事実よりも、「私はいつまでも20代の頃と変わらない」と、自分が信じたいことを真実としている。だから、「おばさん」という現実を正直に言ってしまうスタンリーのような無遠慮な男が我慢ならない。どこかで事実をわかっているけど、その現実は過剰なまでに拒否して、見ないようにしてきた女なのだ。
過酷な現実、消したい過去、女の弱さ、メスの本能、そして容姿の衰え、若さへの執着......ブランチは、女が内包する闇をすべて抱えているような難しい役。
若さという女の武器が失われた時、何が残るのか。女という生き物が持つ負の本質をついているからこそ、30代後半から40代に突入し、恋愛映画のヒロインから脱却したい女優たちにとっては、まさに演じがいのある役になる。女優版ハムレットと言えるかもしれない。ただし、亡霊と妄想、ウソの重ね方は、女と男ではまったく違う。そんな男と女の"壊れ方"の違いが楽しめる舞台でもある。
最近では、ウディ・アレン監督『ブルー・ジャスミン』で、ケイト・ブランシェットが現代のブランチを演じ、アカデミー賞主演女優賞を獲得している。
ブランチは、美しいだけではない。"女"という生き物を演じきる演技力があることを証明するための憧れの役なのだ。
□古典に新たな視点を吹き込むヤング・ヴィック・シアター
ロンドンのヤング・ヴィック・シアターは若手の演出家や俳優などが活躍する劇場だ。そのため、常に他ではやっていないような新たな挑戦を模索し続ける演劇人が集まる。
今回、上演された『欲望という名の電車』でも斬新な演出方法がとられている。舞台は中央で、その周りを客席が取り囲んでいる。これだけならばよくある円形舞台と変わらないが、今回、この舞台がゆっくりと回っているのだ。この演出は、ロンドンでも賛否両論だったが、とにかく落ち着かない。それはライブのスクリーンからも伝わるだろう。映像でも落ち着かず、ゾワゾワ感が半端ないのだから、ナマで見た観客はどんな気持ちだったのか、どんな演劇体験をしたのか、想像が膨らむ。そのあたりもナショナル・シアター・ライブの面白いところだ。
また、この戯曲は当時(40年代後半~50年代)を舞台にすることが多いが、今回は現代に設定を移している。「シェイクスピアだってセリフはそのまま、現代に舞台を移して上演するのだから、この戯曲もアリでしょ」という考え方だ。
そのため、ジリアンが演じるブランチは、お金持ちのビッチなお嬢様風。理想は高く、発言は常に上から目線。"かわいい女はこうあるべき"、"男はこういう女が好き"という一般論を持論のごとく主張し、モテ女を気取る。つまり、かなりイタい女なのだ。
しかも、ちくちく嫌な言い方をして、隙あらば嫌味を差し込む。「別に私はいいんだけど...」と言い訳をしながら、自分のプライドを保つために、自分の常識を押しつけ、一言嫌味を言わないと気が済まないのが、ジリアンが作り出したブランチだ。これだけ言うと、とても好きになれそうにないビッチだろう。しかし、どんどん哀れで、かわいそうな女になり、最後は彼女を守ってやりたくなる...。女のどうしようもなさが痛いほど伝わってくるのだ。
ジリアンのブランチは、好景気バブルのイケイケお嬢様の末路...のような印象。無邪気に恋をして、遊んで、結婚を夢見た。だけど、気がつくと男なしでは生きられなくなっていた。その現代的な女の悲劇を見事に体現している。
女は時として、自分すらだまし、自分が幸せになるためのウソをつく。
その女という生き物が心の奥底で飼っているメスが、ブランチなのだ。
しかし、男はそれを許さない。スタンリーにとってブランチの真実はただのウソ。だからこそ事実で彼女を追いつめていく。
□演劇的な楽しみ方のヒント
今回の舞台は、役者にとっても挑戦的だ。一度舞台に出たら逃げ場がない。そのため役者の緊張感も高まり、映画とは違う、舞台ならではの演技の生々しさをより一層際立たせる。
当然ながら、役者にとって観客は"見えていない存在"だ。一方、観客は舞台を様々な角度からつぶさに観ることができる。まるでマジックミラーの背後から、舞台に登場する人間たちの行動をつぶさに観察しているような構図だ。
「こいつはウソをついているのか」「なぜ、そんなことを言ってるのか」「今のは彼女の見栄だな」など、刑事のごとく『欲望という名の列車』事件の容疑者たちを観察するのも面白いかもしれない。
演劇の面白さの1つは、人間観察だろう。「どうしてそうなってしまうのか」という原因はすべて目の前の人間が語る。すでにこの戯曲のストーリーをご存じの方は、ぜひ、スクリーンで観察と分析を楽しんでいただきたい。
この戯曲は、「欲望と死」、「夢想と現実」、そして「部屋の中と外の世界」という対立を軸に描かれている。この軸を意識しながら観ると、ブランチのセリフや外と中を隔てるドア越しの演出などにさらなる発見があるかもしれない。
また、人間性や心理を探るヒントとして、主に「明かり」「お風呂」「お酒」に注目してほしい。
例えば、「お酒」は飲み方にその人らしさが出る。ブランチは自分を隠すために飲む、いわば非社交的な飲み方に対し、スタンリーは友達と遊ぶ時や子供が生まれたお祝いに飲む社交的な飲み方。しかし、二人とも飲み過ぎると破壊的な行動に出てしまうので、そこをステラが...という具合に(語り出すと長くなるので、この辺りで口をふさぐが)細部に仕掛けられたキャラクターたちの心理を探ることで、さらにこの舞台の魅力が味わえるだろう。
古典と称され、長年にわたり何度も役者をかえ、演出をかえて上演されている戯曲は細部に魂が宿っている。ぜひ、この機会に名戯曲の世界をさらに深く楽しんでいただきたい。
ナショナル・シアター・ライヴ2015
『欲望という名の電車』
演出:ベネディクト・アンドリュース 作:テネシー・ウィリアムズ
出演:ジリアン・アンダーソン、ベン・フォスター、ヴァネッサ・カービー ほか
☆公式サイトはこちらから
Photo:ナショナル・シアター・ライヴ2015 『欲望という名の電車』