アメリカの労働組合

 

日本とアメリカのドラマ制作の、大きな違いは数々あるが、最大な相違点は、労働組合の存在だろう。

アメリカのドラマ制作の上で、労働組合のもつ影響力はものすごい!絶対に避けて通れない。これは、基本的にテレビ局のサラリーマンであるスタッフと、プロダクションのサラリーマンである俳優が携る、日本のドラマ制作との、最大な違いだ。日本の制作が、みんなで我慢して平和を保つ江戸時代だとすると、アメリカの制作は戦国時代って感じ。後ろからさされたり、敵から助けられたり。

あるプロデューサー兼監督。自分の全財産プラス借金をして、やっとパイロットのテレビ映画を作った。というか、作ろうとした。で、お金を集めるのには、名のある俳優を使わないと。ということで、俳優組合を使ったのが運のつき。何しろ新人プロデユーサーなので、組合の規則を知らずにやった、小さなスケジュールミスが原因で、俳優組合の裁判所に引き出され、せっかく完成した番組も放映出来ず、一文無しになった。
そのくらいアメリカの労働組合は力強い。

あたしが女優を目指したとき、最初の目的は俳優組合に入ることだった。女優を目指す人はたくさんいたが、組合員というと、格が違った。ただし、皆同じことを狙うので、キャトルコールというと、一つの役に何百という女優が並ぶ。(キャトルコールとは、読んで字のごとく、キャトル(水牛)コール(呼ぶ)ちょい役を、一般募集するときなどに使われる。)まるで、草原で、家畜を集めて列に並ばせて行進をさせるように。その列の中で。どきどきして。もしかしたら、今回はあたしになるかも。あたしが選ばれたらどうしよう!いやいや。どんなスピーチをしよう。そして、毎回がっかりする。それでも寝る前に、あきらめちゃいけない。ポジテイブに。と言い聞かせて。神様仏様キリスト様にみんなにお祈りをする。

そして、その中から、数人のラッキーな人間だけが選ばれる。

その中に選ばれたとき、あたしはこれで、女優として輝ける。こんにちは個室のドレッシングルーム。こんにちはエミー賞。こんにちはアカデミーと浮き上がった。 アカデミー賞のスピーチの練習もした。
あたしが組合員になった時期、 昔のハワイファイブオーのレギュラーだった人が、演技を教えてくれていた。その当時のあたしにとっては、彼は神様のような存在。彼は、ハワイの俳優組合の組長だったし、レギュラー番組をもっているし、ハワイ大学の教師もやっている。あたしの、始めての組合の仕事がついたとき、将来の計画を希望に満ちて彼に話した。彼は冷静に聞いていて、"で、どうやって暮らしを立てるの?" "え、女優として。"とあたし。

その時の彼の静寂。弱ったような、悲しいような、怒ったような、遠慮したような。憤慨した。なんで?なんでもっと喜んでくれない?っと。が、今になってわかる。

それほどあこがれの組合に入って初めて気がつくことは、組合員の5%だけが、俳優として充分な生活費を稼げるということ。確かに組合員になると、最低のギャラ、昼休み、休暇、ドレッシングルームの確保など、撮影時には保証される。けれど、だから?っていうと、それだけ。ってこと。次の仕事は保証されない。

知らないでほうが幸せな静寂がたくさんある。ドラマの裏には。

俳優組合員には色々ベネフィットがあるが、あたしが興味があるベネフィットは、カリフォルニアのバレーにある俳優組合専用の老人ホーム。老人ホームというより、キャンプ場のような、のんびりとした作りで、 一定のギャラを稼ぎ続けた勝ち組のメンバーだけが、入れる資格をもっている。
元俳優女優。一年中、高校の学芸会のような楽しいホームなのか、昔話の競い合いデスマッチなのか。 恐いもの見たさもあって、一度訪れてみたいと思うが、そこに住むのはちょっと、遠慮しておきたい。と、そう思うのは、あたしの負け惜しみだろうか?