オスカー俳優アラン・アーキンが89歳で永眠。マイケル・ダグラスら元共演者が追悼

オスカー俳優のアラン・アーキンが6月29日、カリフォルニア州カールスバッドにある自宅で息を引き取った。享年89。米Varietyほか複数のメディアが報じている。

歌手としてキャリア開始、すぐさま花開く

彼の息子でそろって俳優でもあるアダム、マシュー、アンソニーの3人が30日に声明を発表。「私たちの父親は、アーティストとしても人としても生まれながらに才能にあふれていました。愛すべき夫であり父、祖父、曾祖父でもありました。彼のことが恋しくなるでしょう」

死因は明らかにされていないが、New York Times紙はアランが心臓の病を抱えていたという息子マシューの言葉を伝えている。

1934年生まれのアランは、1950年代にフォークバンドのリードシンガーとなったことから、映画や舞台に歌手として参加するように。それをきっかけに、1959年に立ち上げられたシカゴのコメディ劇団「セカンド・シティ」の初期メンバーとなる。1961年にブロードウェイでデビュー。その2年後にはトニー賞に輝いた。その後、映画界へ本格的に進出し、1967年の『暗くなるまで待って』ではオードリー・ヘプバーン演じる目の見えない女性を襲う犯人の一人を演じた。2006年の映画『リトル・ミス・サンシャイン』で孫娘を応援する祖父を好演し、アカデミー賞助演男優賞を受賞。1966年の『アメリカ上陸作戦』と1968年の『愛すれど心さびしく』、2012年の『アルゴ』でも同賞にノミネートされた。高齢になっても俳優活動を続け、2018年からは2シーズンにわたってコメディドラマ『コミンスキー・メソッド』に出演し、エミー賞候補になった。映画やドラマ、舞台で60年以上にわたって活躍し続け、出演した映画やドラマは100本を超える。監督としての顔も持ち、1971年の『殺人狂想曲』などでメガホンを取った。さらに舞台演出でトニー賞候補となっている。

『コミンスキー・メソッド』『リトル・ミス・サンシャイン』共演者が追悼

そんなアランの死を受けて、かつての共演者たちが追悼のメッセージを発表している。

『コミンスキー・メソッド』で共演していたサンディ役のマイケル・ダグラスは、Instagramに彼とのツーショット画像を掲載し、以下のように添えた。「我々の業界で過去70年にわたり決して消えることのない業績を残してきた名優、知的でコメディセンスと素晴らしいプロフェッショナリズムを持った人物が失われてしまった。アランと一緒に働けたことは非常に思い出深い」

フィービー役のリサ・エデルスタインは、アランらと撮影の合間に撮った写真とともに、「才能にあふれ、面白くて(そして思わず笑っちゃうくらい意地の悪い)アラン・アーキンと働けたことは本当に幸運だったわ」と綴っている。

ミンディ役のサラ・ベイカーは、アランと授賞式や撮影現場で撮った画像、彼がウォーク・オブ・フェイムの仲間入りを果たした時に同席した際の動画などを投稿。さらに彼に対する熱い思いを吐露している。「アランといると、ほかの誰も目に入らなかった。彼はその並外れた才能によって周りの人から畏敬の念で見られていたけど、彼自身は冗談を言うのが大好きだった。そんな彼を笑わせられるととても幸せな気分になれた。彼との友情を大事にしていくわ。もう一度会えたら良かったけど、彼は私がどんなに大事に思っているかを知ってくれていた。大好きよ、アラン」

『リトル・ミス・サンシャイン』で孫娘を演じたアビゲイル・ブレスリンは、「アランは、私がこれまで一緒に仕事をした中で最も優しくて親切で楽しい俳優の一人でした。もちろん私たちは血縁関係にはありませんが、私の心の中では永遠におじいちゃんです」と“祖父”へメッセージ。

『ミス・リトル・サンシャイン』や『ゲット スマート』で共演したスティーヴ・カレルは、アランとの初対面を回想。「初めて会った時、アランが名刺をくれたんだ。そこには、『アラン・アーキン:俳優、監督、ミュージシャン。マニュアル免許と自前のタキシード所持』と書いてあった。彼は僕のアイドルであり友人だった。彼のことが大好きだったよ」

亡くなる間際まで活動し、私たちを楽しませてくれたアランの冥福を祈りたい。(海外ドラマNAVI)

参考元:米Variety

Photo:アラン・アーキン ©NYKC/FAMOUS