『GCHQ:英国サイバー諜報局』(原題は「The Undeclared War」=宣戦布告なき戦争)は、2022年にイギリスで放送されたばかりのスパイサスペンスドラマだ。
『GCHQ:英国サイバー諜報局』あらすじ
物語の舞台は2024年という極近未来のイギリス。主人公はバングラデシュ系イギリス人のサーラ。大学生である彼女がGCHQ(政府通信本部)のインターンに選ばれたのと時を同じくして、何者かによるマルウェア攻撃によって国内大手通信会社のシステムがダウンする。サーラはインターンであるにもかかわらず、そのマルウェアを解析して第2の攻撃が仕込まれていることを発見、これを阻止する。イギリス政府はこの攻撃をロシアの仕業と考えて厳しい対応を講じるが、ロシア側の謀略にはもっと大きな目的が隠されていた。果たしてサーラ、そしてGCHQの面々はイギリスを重大な危機から守ることができるのか……。
本作の面白さは、近年その脅威が現実のものとして幾度も報道されているインターネットを介した諜報活動や破壊工作、コンピュータ・ウィルス(マルウェア)によるサイバー攻撃や、SNS上などで展開されるフェイクニュースの流布による情報攪乱などをテーマにしているところにある。人知れず暗闘するスパイの話ではなく、我々の目に触れる場所で起こるスパイ事件を扱っているところが新しいのだ。
新鮮な主役と脇を締める名優たち
主人公サーラを演じるハナー・ハリーク=ブラウンは、本作が初主演となるイギリスの若手女優で、映画『バービー』への出演も決まっているという期待の新星だ。今作では、有能ではあるが経験が絶対的に不足していて、公私ともに重圧に押しつぶされそうになりながらも奮闘する学生インターン役を熱演している(余談だが、彼女がネット上でデータを調べている様子を、現実の場所を冒険している姿として比喩的に表現している“コードワールド”は、他のサイバー犯罪ものと違って視覚的に分かりやすくて面白い)。
また、脇を固める重要な役どころをベテラン二人が演じているところも良い。冷静で穏やかなGCHQ作戦本部長ダニーを演じるのは、スパイ映画『ミッション:インポッシブル』シリーズに3作目から登場、トム・クルーズ演じるイーサン・ハントを助ける諜報員のベンジー役をはじめ、『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2004年)、『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』(2007年)など様々な映画で活躍しているサイモン・ペッグ。そして、局内で孤立しがちなサーラと親しくなる風変わりな超ベテラン職員ジョンを演じるのが、『ブリッジ・オブ・スパイ』(2015年)で実在したソ連スパイ、ルドルフ・アベルに扮してオスカーを含め様々な映画賞を総なめにした名優マーク・ライランス。
本作の二人は、それぞれのトレードマークとも言えるコミカルさやアクの強さを抑え、ペッグはリアルで落ちついた上司を、ライランスは謎めいた老職員を好演し物語を支えているところが実に良いので、そちらにもぜひ注目してほしい。
スパイものの本場イギリス作品の魅力
本作に限らず、イギリスには第一次世界大戦当時から優れたスパイスリラーを連綿と生み出してきた歴史と伝統がある(最初の現代的なスパイ小説と目されるジョン・バカンの「三十九階段」が発表されたのが1915年、サマセット・モームの「アシェンデン」発表が1928年)。
だが、スパイスリラーが大きなブームを巻き起こしたのは、イアン・フレミングが「カジノ・ロワイヤル」(1953年)を皮切りに発表した〈007〉シリーズの成功に負うところが大きい。酒と美食とギャンブル、そして美女たちを愛する非情なスパイ、007号ことジェームズ・ボンドの冒険譚は、当時熱狂的な支持を得た。特に『ドクター・ノオ』(1962年)以降の映画シリーズのインパクトは強烈だった。007の成功は世界中に飛び火し、各国で様々なスパイスリラーが、小説や映画はもちろんテレビドラマとしても量産されることになったのである。
中でもアメリカにおいては『0011ナポレオン・ソロ』(1964〜68年)、『アイ・スパイ』(1965〜68年)、『スパイ大作戦』(1966〜73年)などが放送され、世界各国で人気を博した。特に『スパイ大作戦』は、続編『新スパイ大作戦』(1988〜90年)や映画版『ミッション:インポッシブル』シリーズ(1996年〜)が作られるなど、今もなお人気を誇っている。
一方、イギリスにおいては007の成功は、それとは正反対のシリアスでリアリスティックなスパイスリラー群の登場を促すこととなった。その代表的作家が、ジョン・ル・カレとレン・デイトンだ。二人の小説はいずれもアクションはほぼ皆無で、権謀術数渦巻くスパイ戦を己の頭脳を頼りに戦い抜く孤独なスパイと、個々人を機械の部品のように犠牲にしていく国家の冷徹さを描いたそのリアルさで人気を得た。両者の作品は映像化が多いことも共通しており、ル・カレ原作の『寒い国から帰ったスパイ』(1965年)や『裏切りのサーカス』(2011年)、デイトン原作の『国際諜報局』(1964年)、『パーマーの危機脱出』(1966年)、『10億ドルの頭脳』(1967年)はつとに名高い。
テレビドラマもイギリス製は渋くてリアルなものが多い。『特捜班CI☆5』(1977〜83年)、『MI-5 英国機密諜報部』(2002〜11年)、『MI5:消された機密ファイル』(2011年)に始まるジョニー・ウォリッカー三部作や、『窓際のスパイ』(2022年〜)など、いずれもやはりアクションよりも頭脳戦がメインなのが特徴だ。
ちなみに上記の『国際諜報局』は、昨年『ハリー・パーマー 国際諜報局』(2022年)として新たにドラマ化され、スターチャンネルEXで配信中だ。同作の製作総指揮には、『国際諜報局』や初期のジェームズ・ボンド映画シリーズを手掛けた大物プロデューサー、ハリー・サルツマンの子どもたちであるヒラリーとスティーヴンも名を連ねる。
現代スパイ戦の最前線
本作ももちろんそうしたシリアスなイギリス製スパイスリラーの伝統を継承しているのだが、斬新な特徴として、主人公たちが所属する組織GCHQが、偵察衛星や電子機器を用いて情報収集や暗号解読を行う「シギント」と呼ばれる諜報活動を業務とした部署であることが挙げられる。
ここまでに紹介してきた作品で登場人物たちが所属するのはSS(通称MI5)やSIS(通称MI6)といった、人間同士の諜報活動を指す「ヒューミント」と呼ばれる作戦を行う部署で、だからこそスパイ同士の熾烈な争いが物語の題材として選ばれてきたわけだが、GCHQは人間を相手とせず、あくまでも情報そのものを取り扱っているところが大きく異なる。
GCHQの前身は第一次世界大戦後に設立、第二次世界大戦中にドイツの暗号「エニグマ」を解読したことで戦後有名になるGC&CS(政府暗号学校)だ。このGC&CSに勤務していた天才数学者アラン・チューリングにベネディクト・カンバーバッチが扮した『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(2014年)でも描かれていたように、エニグマの解読が第二次世界大戦における連合国側の勝利に大きく貢献したことはよく知られている。つまり、一見地味なシギントこそ戦争の勝敗にまで影響する、ヒューミントと同等かそれ以上に重要な諜報活動なのだ。
そして、その重要性は近年ますます増大している。本作はそうした現代諜報戦の核心に触れているという点が面白くて恐いのだ。
作品の持つ恐るべきリアリティ
本作がイギリスで放送されたのは前述の通り昨年だが、その制作は2021年には終わっている。しかしその内容は、2022年に勃発し、現在進行形で展開しているウクライナ・ロシア戦争において、ロシア側がウクライナに仕掛けた諜報活動と酷似しており、そのリアリティに目眩がしそうなほどだ(ロシアの近年の諜報活動の詳細については、「ハイブリッド戦争 ロシアの新しい国家戦略」廣瀬陽子/講談社現代新書や「現代ロシアの軍事戦略」小泉悠/ちくま新書を参照されたい)。
この物語はロシアがイギリスに仕掛けたサイバー戦を描いているが、同様の事態は今や他のどんな二国間でも起こり得る恐怖なのだと言える。もちろん本作はあくまでもフィクションなのだが、もし日本でもこんなことが起こったら、と考えると背筋がゾッとするではないか。そのリアリティこそが本作の大きな魅力でもある。そんな恐怖に満ちた事態を懸命に解決しようとする主人公たちの姿をぜひとも存分にお楽しみいただきたい。
『GCHQ:英国サイバー諜報局』はAmazon Prime Video チャンネルの「スターチャンネルEX」にて、7月3日(月)から独占日本初配信スタート。「BS10 スターチャンネル」でも8月より放送予定。公式ページはこちらより。
(堺三保)
Photo:『GCHQ:英国サイバー諜報局』©︎ Playground Television UK and Stonehenge Films MMXVIII. All Rights Reserved.