大ヒットドラマ『ブレイキング・バッド』のスピンオフ『ベター・コール・ソウル』で、ボブ・オデンカーク演じるジミー・マッギルの相棒キム・ウェクスラー役のレイ・シーホーンが、幼少期に日本にいたことや、俳優への道に進んだ経緯について米WSJに語った。
現在49歳のレイは、『Veep/ヴィープ』 や 『クローザー』にも出演していたが、『ベター・コール・ソウル』がブレイクした作品と言っても過言ではないだろう。そんな彼女は、引っ越しの多かった幼少時代と俳優になったきっかけのどちらも父親が関係していたことを話している。
「小さいころはよく引っ越しをしました。父のフレッドは海軍捜査局の特別捜査官で、長期間の転勤を余儀なくされ、色々な事件に取り組んでいました。 私が2歳のとき、一家でバージニア州ノーフォークから日本へ引っ越したんです。祖母に手を振って別れを告げ、とても悲しかったのを覚えています。でも、日本やアリゾナなどを発つ時も、先生や友人と別れるのがつらかったです。私が9歳の時、転勤が終わり、バージニアビーチ周辺に落ち着くことになりました。でもその数年後、両親は離婚しました」
そんな引っ越しばかりの幼少期だったレイが演劇に目覚めたのはもっと先のことだったという。「私は観察力のある子どもでした。自分の周りで起こっていることを調べ、世の中の人の行動を観察し、その動機を探るのが好きだったのです。高校はバージニア州ケンプスビルにありました。英語と美術が得意で、他の教科もよくできる方でした。良い成績でいたかったのです。
卒業後はジョージ・メイソン大学に入学し、絵画とデッサンを学びました。ですが、1年生が終わる2カ月前、父が亡くなりました。私は父と仲が良かったので、父の訃報は衝撃でした。父が亡くなった後、大学の選択科目としてダンスと演技を履修しました。物語を書くのが好きでしたし、誰にも言いませんでしたが、心のどこかで役者になりたいなと考えていました。幸いなことに、演劇科の教授が私の才能を見出して、指導してくれることになりました。私は、テレビに出ているような綺麗な女優のようなルックスではなかったのですが、(ロサンゼルスやニューヨークと違って)ワシントンD.C.の演劇界では、それで大丈夫だったのです。1990年代にワシントンで上演されたコメディの公演で、初めてチケット代を払って私を観に来てくれた人がいました。
今では、『ベター・コール・ソウル』で知られるようになり、キャリアの上で新しい可能性と役柄が見えるようになってきました」
父親が亡くなるまでは、演劇の道を専攻していなかったというレイ。そんな彼女の原動力は両親にあったという。「私の原動力のひとつは、離婚後、母が自分を変えていった姿を目の当たりにしたことです。母はエグゼクティブ・アシスタント、パラリーガル・アシスタント、海軍の訓練品質管理マネージャーとして働いていました。父はといえば、ボートを買って、餌と道具の店を開けばよかったと言うのを聞いたことがあります」
ハリウッドでは遅咲きとも言えるレイだが、今はパートナーと共に幸せな日々を送っている。「フィアンセのグラハムと一緒にロサンゼルスに住んでいます。家を購入しようと探しているところなので、かわいい賃貸物件に住んでいます。グラハムは不動産屋さんなので、購入に関しては安心して任せしています。一番大事なのは、私たちの通勤時間と子どもの通学時間が短くて済む家ですね。今の私のマイホームの夢は、ロサンゼルスに一軒家を持ち、ニューヨークにアパートを持つことです。それを目指しています」
『ベター・コール・ソウル』ファイナルシーズンは、日本ではNetflixにて毎週火曜日に新エピソードが配信中。(海外ドラマNAVI)
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Photo:『ベター・コール・ソウル』©Greg Lewis/AMC/Sony Pictures Television