『タクシードライバー』『最後の誘惑』といった社会派作品を数多く生み出し、70代になった今も新作『アイリッシュマン』が高い評価を集めるマーティン・スコセッシ。イタリア系マフィアを描く映画『ゴッドファーザー』シリーズと戦争映画『パットン大戦車軍団』でアカデミー賞の作品賞・監督賞など5つを獲得し、2011年には名誉賞も受賞したフランシス・フォード・コッポラ。そして、労働者階級や移民の厳しい現実を描いた作品が世界中で高く評価され、ベルリン、カンヌ、ヴェネチアの三大国際映画祭で受賞している『ケス』『わたしは、ダニエル・ブレイク』のケン・ローチ。この3人の有名監督が続けざまにマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)のスーパーヒーロー映画について述べた内容が話題になっている。それらの発言とMCUスタッフ・キャストの反響をまとめてお伝えしよう。
口火を切ったのはスコセッシだ。10月初め、英雑誌Empireのインタビューの中で、「(マーベル映画を)ちゃんとは観ていないんだ。観ようとはしたんだがね。あれは映画(シネマ)じゃない。マーベル映画から連想するのは、テーマパークのような作りだということだね。俳優たちはあの状況下でよくやっているよ。だが、人が別の人に感情的で心理学的な体験をさせようという意図で作ったものではないんだ」と述べた。
すると、ジェームズ・ガン監督(『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ)が反応。「スコセッシは僕が尊敬する5人の現役監督の一人なんだ。彼の監督作『最後の誘惑』が観てもいない人たちから批判された時、僕はすごく腹が立った。それと同じことを彼が僕の作品にしているなんて悲しいよ」
Martin Scorsese is one of my 5 favorite living filmmakers. I was outraged when people picketed The Last Temptation of Christ without having seen the film. I"m saddened that he"s now judging my films in the same way. https://t.co/hzHp8x4Aj8
— James Gunn (@JamesGunn) October 4, 2019
そして、あるイベントでレッドカーペットに登場したニック・フューリー役のサミュエル・L・ジャクソンは、スコセッシの発言について質問されて「それってまるでワーナーのバッグス・バニーが面白くないって言うようなものじゃないか? 映画は映画だよ。彼の作品だって誰もが好きってわけじゃないしね」と返答。
お次はアイアンマン/トニー・スターク役のロバート・ダウニー・Jrがラジオ番組『The Howard Stern Show』の中で言及。「実のところ、MCUがこんなに巨大になるとは思っていなかった。まるでいくつも頭を持つヒュドラだよ。劇場で上映されてはいるけれど、僕らにはいろんな視点が必要だから、あれが映画じゃないという意見はありがたく拝聴するよ。なんてったって彼はマーティン・スコセッシだからね。こういうジャンルの映画はいろいろ言われるものだけど、映画という芸術に対する中傷が存在するなら、その問題に関われることは嬉しいね」
様々なリアクションが寄せられる中、10月中旬にスコセッシがあらためて口を開く。「大事なのは、映画を味わうという非凡な体験を守ることだ。今ではいろんなものが生まれていて、クロスオーバー作品ばかりになるかもしれない。現代の映画に求められるのは、テーマパークのような作品なんだ。マーベルのようなタイプのね。今ではまるで映画館がテーマパークで、その中で様々な経験ができる。以前私が言ったように、映画でなく別のものと化しているんだ。賛否は分かれるだろうけど、そういうものばかりになってはいけない。これは大きな問題で、劇場オーナーに対して映画館で物語を綴る作品を上映するよう働きかけるべきだ」
そんなスコセッシに賛同したのがコッポラ。「スコセッシの発言は正しい。なぜなら、映画とは何かを与えるものでなくてはならないからだ。啓蒙や知識、ひらめきをもたらすものであるべきなんだよ。同じ映画を何度も繰り返して観る人はそこから一体何を得られるのか分からんね。(マーベル作品は)映画ではない、というマーティンの発言は優しいと思う。なぜなら、私自身はあれが卑しむべきものだと思うからだ」
すると再びガン監督がリアクション。「僕の祖父の世代の人々は、ギャングの映画はどれも同じで卑しむべきものだと捉えていた。そして僕の曽祖父の世代は西部劇に対して同じ考えを抱いていて、ジョン・フォード、サム・ペキンパー、セルジオ・レオーネの映画はどれも一緒だと考えていた。『スター・ウォーズ』について熱心に語っていたら大叔父からこう言われたよ。観たけど退屈だった!ってね。スーパーヒーロー映画は、現代のギャング映画でありカウボーイ映画であり宇宙が舞台のアドベンチャー映画なんだ。その中には、ひどい出来のものもあれば素晴らしい作品もある。どんなジャンルの作品でも、全員を満足させられるわけじゃない。天才も含めてね。でも、それでいいんだ」
ジェーン・フォスター役のナタリー・ポートマンはMCUを擁護。「映画にはいろんなタイプがあるものよ。芸術を生み出す方法は一つじゃないの。私が考えるに、マーベル映画が人気なのは、人々が望むエンターテイメント性にあふれているからじゃないかしら。仕事終わりなんかに、現実世界の厳しさをしばし忘れさせてくれるような特別な時間を過ごしたいのよ」
そんなナタリーの主張を裏づける発言をしたのは、ウィンター・ソルジャー/バッキ―・バーンズ役のセバスチャン・スタン。10月半ばにテキサス州で行われたイベントにて、「僕にとってヒーローの一人であるコッポラ監督の言葉をさっき聞いたけど、ここではファンが僕に歩み寄ってきてくれて、"ウィンター・ソルジャーを演じてくれてありがとう。この映画に助けられたよ"とか、"この作品にインスパイアされて気分が良くなり、今ではあまり孤独を感じなくなった"って言ってくれるんだ。だから人の助けになっていないなんて言えないんじゃないかな?」と、ファンの励ましになっているMCUの作品は間違いなく映画だという論調を展開している。
また、タイカ・ワイティティ監督(『マイティ・ソー バトルロイヤル』)はAP通信のインタビュー中に、スコセッシとコッポラの主張にジョークを交えて反論。「もちろん(マーベル映画)はシネマだよ! だからこそ、マーベル・シネマティック・ユニバースと名乗ってるだろ?」
"Of course it's cinema! It's at the movies." Director Taika Waititi (@TaikaWaititi) of "Thor: Ragnarok" and "Jojo Rabbit" responds to Martin Scorsese's criticism of Marvel movies as "not cinema." pic.twitter.com/rs9Q6jTnMq
— AP Entertainment (@APEntertainment) October 20, 2019
スコセッシとコッポラが唱える作家性の重視に賛同しているのは、ドクター・ストレンジ/スティーヴン・ストレンジ役のベネディクト・カンバーバッチ。「誰だって一人の王がすべてを支配しているような状況は嫌だと思う。僕もそれには賛同するよ。MCUはその例に当てはまらないと願いたいけど。僕らはこれからもあらゆるレベルの映画作家を支えていくべきだ」
アントマン/スコット・ラング役のポール・ラッドは、「僕は誰からどんなことを言われてもけなされたとは考えないよ」と断った上で、マーベルが映画か否かについては「映画だと思う」と発言。「結局、映画で観客が気にするのは特殊効果ではなく人間関係なんだ。みんな、人がどんな振る舞いをして、どんなことを言うのかが観たいのさ。『アントマン』は僕演じるスコットと娘の関係、そして彼がスーパーヒーローとして努力する姿を描いている。"乗り物"だけじゃなくて人が抱える問題も扱っているんだ」と、スコセッシの発言に絡めて反論した。一方で、中規模予算で映画が作られることが減ってしまったことから多くの人材がTV界に流れており、映画界では小規模か大規模かの二極化が進んでいると指摘している。
一方、ジョン・ファブロー監督(『アイアンマン』)は様々な意見があっていいと考えている。「スコセッシとコッポラは僕のヒーローで、自分の意見を述べる権利がある。彼らがインスピレーションをもたらすような作品を作ってくれたおかげで、今の僕があるわけだからね」
10月下旬には、ローチ監督もスコセッシとコッポラに続いた。英Sky Newsのインタビューで、「マーベル映画は退屈で、ハンバーガーのようにすっかり商品化されている。人と人とのつながりも、想像力もない。大企業のやり方だよ。大衆向け商品にすることで利益を生み出すんだ。彼らが気にするのは、映画の芸術性には何の関係もない市場の傾向だけだ。現実を反映した作品は素晴らしいのにね」と、大企業や国がもたらす問題を訴える作品が特徴の監督らしい視点から批判している。
批判、反論が次々とあがっている今回の論争。ナタリーが言うように多様性を認めてほしいものだが、この調子だともうしばらく続くかもしれない。