ジェシカ・ラングの主演女優賞を始め、第61回エミー賞6冠に輝いたHBO製作のTVドラマ『グレイ・ガーデンズ 追憶の館』。主人公は、実在したニューヨークの名家出身のセレブ、エディス・ブーヴィエ・ビールという同じ名前を持つ母娘で、母親は"ビッグ・イディ"、娘は"リトル・イディ"と呼ばれていました。WOWOWでの11日3日の放映に先駆け、主な舞台となったイーストハンプトンとマンハッタンのロケーション、そして彼女たちを最初に紹介したドキュメンタリーについてガイドしちゃいます!これでドラマ『グレイ・ガーデンズ』が100倍楽しめる!?
■イディ母娘の足跡を辿って...イーストハンプトンからマンハッタンまで
<イーストハンプトン>
グレイ・ガーデンズ Grey Gardens
ドラマの主人公であるエディス・ブーヴィエ・ビール母娘が人生の大半を過ごした、ニューヨーク州ロングアイランドのイーストハンプトンにある屋敷。19世紀末に建てられた2エーカー(約2400坪)の邸宅で、ビッグ・イディの夫フィラン・ビールが、1923年に妻のために購入した。当初は、使用人やビッグ・イディの歌のために伴奏者を雇い、セレブの集うパーティ三昧をしていたものの、大恐慌の影響で贅沢な暮らしを維持できなくなる。夫婦は1946年に離婚し、1948年のビッグ・イディの父親の死後、働く術を知らない母娘は20年余りもの間、世間と隔絶し、限られた遺産での貧困生活を余儀なくされる。
いつしか住み着いたネコやアライグマ(!)にエサを与えても、掃除や家事をしないライフスタイルから、屋敷は経年と共に荒れ果て、山積したゴミが近所迷惑になるほどの異臭を放つ。近所の通報によって1971年に保健所の立ち入り検査が入り、この出来事は母娘がジャクリーン・ケネディ・オナシスの父方の叔母と従姉妹だったことから、全米が知るニュースとなる。不祥事を知ったジャクリーンから32,000ドルの寄付を受けて屋敷の掃除や修理を行うことができ、母娘は屋敷の取り壊しと強制退去を免れた。
リトル・イディは母親の死後、1979年に元ワシントンポスト紙の編集者であるベン・ブラッドリーとジャーナリストの妻サリー・クィンに、屋敷を取り壊さないことを条件に220,000ドルで売り、夫妻は修復を約束する。修復した屋敷は現在、人に貸しており、イーストハンプトン歴史協会の主催する見学ツアーやイベントに利用されることもある。名前の由来は、近くのビーチの砂と海風から発生する霧、ガーデンを囲む塀の色から。
イーストハンプトン East Hampton
マンハッタンから車で約3時間の、ニューヨーク州のロングアイランドの東端近くにある高級リゾート地。20世紀初頭から富裕層が豪奢な夏の別荘を建てるようになり、その多くはグレイ・ガーデンズのような建築様式の屋敷だった。
ジャクリーン・ケネディ・オナシスがこの地で幼少期を過ごしたことは有名。また、画家のジャクソン・ポロックも1940~50年代に住んでおり、その時代のことを描いた映画『ポロック 2人だけのアトリエ』(2000年)はイーストハンプトンで撮影された。今なお豪邸の立ち並ぶ、セレブの夏の避暑地として知られ、不動産価格は非常に高い。
ジョージカ・ビーチ Georgica Beach
ドラマの中で度々登場するのは、イーストハンプトンの大西洋に面したジョージカ・ビーチという設定。グレイ・ガーデンズから1ブロック、徒歩5分のところにあるこのビーチには、リトル・イディがよく1人で訪れた。現在は、メモリアル・ディ(5月の最終月曜日)からレイバー・ディ(9月第1月曜日)まで海水浴できる。ビーチ周辺にセレブの別荘も少なくない。
モスト・ホーリー・トリニティ・カトリック・セメタリー
Most Holy Trinity Catholic Cemetery
ドキュメンタリー映画『Grey Gardens』が公開された1年後の1977年にビッグ・イディが死去。イーストハンプトンにあるこの墓地で、父母や兄(ジャクリーン・ケネディ・オナシスの父)の近くに眠る。2002年にフロリダで亡くなったリトル・イディは、母の隣に埋葬されるよりも、火葬してその灰が海にまかれることを希望。灰の残りは、ニューヨーク州ロングアイランドのローカスト・ヴァレー・セメタリーに埋葬されている。
<マンハッタン>
ピエール・ホテル The Pierre Hotel
リトル・イディが、1936年元旦に華々しく社交界デビューを飾る場所。セントラルパーク東南の入口の向かいに位置し、世界大恐慌直後の1930年に建設された格式ある5つ星ホテル。そのラグジュアリーなボールルームは、上流階級の社交界デビュー、ウエディング・パーティなどのイベントに使われてきた。1959年に上層階部分が居住用アパートとなり、エリザベス・テーラーもその住人となった。今年の6月には2年に渡る1億ドルかけた改装工事が完成し、再オープンしたばかり。
バービゾン・ホテル・フォー・ウィメン The Barbizon Hotel for Women
リトル・イディが1947年からグレイ・ガーデンズに"連れ戻される"1952年まで住んでいた女性専用のホテル。キャリアを求めてニューヨークに出てきた良家の子女が安心して暮らせる居住地として利用されていた。当時はドレスコードや規則が厳しく、男性は1階ロビーまでしか入ることはできなかった。2002年に改装されて「メルローズ・ホテル」と改名するも、2005年にコンドミニアムになり現在に至る。セレブの居住者には、グレース・ケリーやライザ・ミネリもいた。
■ドキュメンタリー『Grey Gardens』を製作したメイズルス兄弟とは...
オリジナルのドキュメンタリー映画の監督であるデイビッドとアルバート・メイズルス兄弟は、ビートルズの来米4日間を追った『What"s Happening? The Beatles in the USA』(1964年)やローリング・ストーンズの伝説のライブを記録した『Gimme Shelter』(1970年)などで知られるドキュメンタリー作家。アーティストを追った作品が多く、クリスト&ジャン・クロード(美術作家で作品は「梱包されたポン・ヌフ」など)やホロヴィッツ(20世紀を代表する天才ピアニスト)、小沢征爾(日本の高名な指揮者)などがその対象となっている。
1973年に撮影を開始した『Grey Gardens』(1976年)では、弟のアルバートが16ミリカメラを回し、兄のデイビッドが録音を担当するシネマ・ヴェリテの手法(演出トリックなしで取材者とその対象の関係をそのまま記録するドキュメンタリー手法、真実映画)で製作。兄弟がビールス親子と築いた親密な関係により、2人の素の姿をとらえてその浮世離れした生活と愛憎入り交じる関係を浮き彫りにした。
アルバートは後に、ビールス母娘のふるまいは自然で、オンカメラとオフカメラ時の差がないと語り、リトル・イディと手紙での交流は、映画が公開された後もずっと続いたという。
2006年に未公開のシーンを編集した『The Beales of Grey Gardens』を発表し、オリジナルのファンを喜ばせた。同作品では、オリジナルには入りきらなかった母娘それぞれの貴重な発言が見られ、特にリトル・イディの独自の思想とオリジナリティ溢れるファッションがふんだんにフィーチャーされている。
■TVドラマにも影響を与えたドキュメンタリー『Grey Gardens』
ドキュメンタリーの『Grey Gardens』は公開当時、批評家には賛否両論だったが、落ちぶれても歌やダンスを楽しみ、自分たちのライフスタイルを貫く母娘の姿に心打たれた観客は少なくなかった。そしてその後もカルト的な人気を保ち続け、『エンタテイメント・ウィークリー』誌では「不変のトップ50カルト映画」に選ばれている。
また、リトル・イディの独創的なファッションセンスが、マーク・ジェイコブスやトッド・オールダム、アイザック・ミズラヒなど、多くのファッションデザイナーにインスピレーションを与えている一方で、TVドラマ界にもその影響がチラホラとうかがえる。
● 『ギルモア・ガールズ』シーズン3
ギルモア・ガールズ2人が家で見ているお気に入り映画がドキュメンタリーの『Grey Gardens』。そして自分たちも行く末はビールス母娘かと話すシーンが!
● 『Lの世界』シーズン2
ジェニーとシェーンの新しいルームメイトとなるドキュメンタリーのフィルムメーカーのマークが、好きな映画に挙げているのが『Grey Gardens』。
たぐいまれな母娘の生き様を映したドキュメンタリー版『Grey Gardens』は、なぜ? どうして? と謎を呼ぶもの...。そのドキュメンタリーを下敷きに、関係者への取材など多くのリサーチのもとに作られたという本作、ドキュメンタリーでは語られなかった背景などがわかるというウワサも。果たして、彼女たちをとりまく謎はとけるのでしょうか!?
取材・写真撮影:ほりうちあつこ