【お先見!海外ドラマ日記】『ショーシャンクの空に』の監督が手がけた、ちゃんとしたゾンビドラマ『ウォーキング・デッド』を、今のうちに堪能すべし(注:シーズン2まで)

ニューヨークの街角で、たまにゾンビとすれちがうことがある。聞けば、ゾンビ愛好者たちの集会が定期的に催されているという。ハロウィンでもないのに、ゾンビに仮装した若者たち(中にはそう若くないのもいる)が、街中をワラワラと集団で練り歩く。ちょっと異様な光景だ。先日などは、私が地下鉄に乗っていると、目の前のドアから血まみれのゾンビたちがぞろぞろ入ってきて、肝を潰した。ゾンビたちは怖がるリアクション見たさに私をじっと睨むし、私は驚きのあまり固まって動けないしで、たいそう居心地の悪い空気のまま時が止まった。アメリカ人のゾンビ好きにも困ったものである。ウォーキング・デッド

かように米国で絶大なる人気を誇るゾンビなのだが、AMCのドラマシリーズ『ウォーキング・デッド』においては、彼らは「ゾンビ」とは呼ばれない。もっと優雅(?)に、「ウォーカーズ」と呼ばれている。まるでどこかの情報誌のようだ。かつて人気アニメ『ガンダム』で、ロボットのことを「モビル・スーツ」と呼んだときのような響きのよさと、品のよさがそこにはある。そしてその品のよさは、このドラマ全般を貫いている。

こう言ってはなんだが、『ウォーキング・デッド』はとてもちゃんとした、真面目なゾンビドラマだ。ゾンビ系には『バタリアン』や『ショーン・オブ・ザ・デッド』のように、ゾンビをだしに使って笑いをとる傑作コメディもあるのだが、『ウォーキング・デッド』にはゾンビを笑いのネタに使おうという姿勢はほとんど見られない。むしろゾンビの恐怖を背景に、極限状態におかれた人間を丁寧に追っていく直球勝負の作風で、そういう意味ではスピルバーグ監督の出世作『ジョーズ』に近いかもしれない。ウォーキング・デッド

実際、『ウォーキング・デッド』のシーズン2では、『ジョーズ』におけるサメ同様、ゾンビが暴れるシーンはさほど多くなく、大半の時間は緊迫した人間ドラマに割かれる。その絶妙なバランスが適度な緊張と緩和を生み、このドラマを単なるショッキングホラーではなく、大人の鑑賞に堪えうるサスペンスドラマにまで押し上げることに成功している。同ドラマのクリエイターである、フランク・ダラボンの功績は大きいだろう。かつて映画『ショーシャンクの空に』で、刑務所の中でおこる出来事を見事な緊張と緩和のバランスで魅せてくれた名匠の技が、ここでも生かされている。

シーズン2で、ドラマの軸となるのが主人公のリック(アンドリュー・リンカーン『ハートブレイカー』)と、親友のシェーン(ジョン・バーンサル『ザ・パシフィック』の対立関係だが、このシェーンの悪玉っぷりがすばらしい。自分が生き残るために、他人の命を犠牲にすることも厭わないシェーンの自己チュー具合はどこまでもわかりやすく、すがすがしくさえある。クソまじめで面白くも可笑しくもないリックとは好対照で、物語をグイグイ引っ張っていく。同ドラマにおける二人のキャラの立ち位置は、往年の野球マンガ『ドカベン』における山田と岩鬼のそれに似ている。主人公は山田だが、物語を刺激的に展開させてくれるのはワガママで強引な岩鬼なわけで、『ウォーキング・デッド』もシェーンがいなければ、今のようなエキサイティングな展開にはなりえなかっただろう。ウォーキング・デッド

米国では、現在シーズン2の前半が終了したところ。ほどよい緊張感の中で静かに進行していた物語が、シェーンの自己防衛からくる強引な行動により、ドカンと大事件が発展したところで「つづく」となった。来年の2月から始まる後半が楽しみだが、気になるのは、これまで同ドラマの脚本総指揮を務めていたフランク・ダラボンが降板してしまったこと。ダラボンは、シーズン3の第1話まで脚本のディベロッパーとしてクレジットされているので、少なくともシーズン2いっぱいは彼のテイストが残されているはずだが、シーズン3から先はどうなるかわからない。

そういう意味で、ダラボンの置き土産となるシーズン2の後半は、心して味わっておきたい。今シーズン面白いドラマが、必ずしも来シーズン面白いとは限らないのだから。シーズン3以降の『ウォーキング・デッド』のクオリティが、生ける屍=ゾンビとならぬことを切に願う。20111221_c04.jpg

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