今年の二月、米国でこれまでのシリーズドラマの常識を覆す、革新的なドラマが公開された。ケヴィン・スペイシー主演・製作、デヴィッド・フィンチャー監督・製作の『ハウス・オブ・カード 野望の階段』。このドラマの何が新しかったか。
1)テレビ放送は一切なく、インターネット・ビデオ・ストリーミングのみで公開されたこと
2)シーズン1・全13エピソードが一挙に公開されたこと
TVで放送されなかったのは、『ハウス・オブ・カード』がTV局で製作されたドラマではないから。同作をプロデュースしているのはNetflix(ネットフリックス)。米国の映画好きドラマ好きで知らぬ者はいない、アメリカ最大のオンラインDVDレンタル/動画配信会社である。
TV放送がなかったにも関わらず、この『ハウス・オブ・カード』が全米のドラマ好きの話題をさらったのは、なによりもまずドラマ自体がめちゃくちゃ面白かったからだ。ケヴィン・スペイシー扮する政治家が、次期国務長官のポストを約束されていたにも関わらず、その約束を反故にされる。そこから始まる彼のリベンジ・ストーリーなわけだが、このケヴィンの悪徳政治家っぷりがたまらない。ありとあらゆる汚い手段を使い、政治家同士の生き残り頭脳ゲームが展開する。『ハウス・オブ・カード』は、血湧き肉踊るポリティカル・スリラーなのだ。
なにしろこのドラマ、いったん観始めると先の展開が気になって仕方がない。ひとつのエピソードが終わるやいなや、もう次のエピソードが観たい。しかも、これが実際に観れてしまう。シーズン1の全13エピソードが同時公開されているので、TVドラマのように次週まで待つ必要がない。エンドクレジットが終わったその瞬間には、もう次のエピソードがローディングされている。そのため、ところかまわず一気観する人が続出。 筆者の職場の同僚などは、昼休みにオフィスのPCで『ハウス・オブ・カード』を観ていた。
上述のように、『ハウス・オブ・カード』は現在Netflixのインターネット・ビデオ・ストリーミングでしか観ることができない。まだDVDにもなってないので、このドラマが観たければNetflixのメンバーになるしかないのだが、Netflixのストリーミングの会費は一か月8ドル(=約750円)ほど。この料金で何万タイトルという映画やTVドラマが見放題になると思えば、悪い話ではない(たとえば、『Glee』や『ウォーキング・デッド』の過去のシーズンのエピソードなども揃っている)
実際、ストリーミングは便利だ。PCはもちろん、スマホ、タブレット、スマートテレビ でも観ることができる。スマートじゃない旧式のテレビでも、Wiiやプレイステーションなどのゲーム機器を繋げることで視聴可能だ。TV放送のようにコマーシャルに中断されることもなければ、DVDのように返却する必要もない。そのように考えると、ここ4~5年でレンタルDVDの店がNYの街中から軒並み姿を消してしまったのも、 時代の自然な流れだと思えてくる。
若者を中心に、Netflixのストリーミングの人気は高い。昨年のクリスマスイブの夜、同社のストリーミング・サービスが技術的問題で一時的にダウンすると、多数の視聴者から苦情が殺到し、そのことが大きなニュースとなった。また、今年の3月28付のNY株式市場では、S&P(スタンダード&プアーズ。投資情報会社)総合500種が 過去最高値を更新したが、そのうち最もパフォーマンスの良かった銘柄がNetflix株だった。同社は今や、映画やテレビの業界関係者が無視できないほど巨大な存在になっている。
そんなNetflixが、『ハウス・オブ・カード』プロデュースのために出資した金額は1億ドル。円に換算すると約94億円という、日本のドラマ制作スタッフが聞いたら泣いて悔しがるような数字だ。このように巨額の資金を、同社初の単独プロデュースとなるシリーズドラマによくもまぁ惜しげもなく、と思ってしまうが、しかしNetflixの上層部には、『ハウス・オブ・カード』がヒットすることは撮影が始まる前からわかっていたという。なぜなら、これまでの同社のストリーミング・サービスからの膨大なデータがあったからだ。
米国内で2700万人、全世界では3300万人がユーザーとなっているNetflix。同社ほど、視聴者のデータを大量に保持している会社もないだろう。米国では、ピーク時のインターネットのダウンロードの3分の1は、Netflixのストリーミングに占められているという。また、昨年はDVDで映画を観た人よりも、ストリーミングで映画を観た人のほうが多かった、という情報もある。
Netflixが提供しているストリーミング・サービスでは、視聴者がいつどの映画(あるいはドラマ)を再生し、どの場面で停止したか、あるいは、最初から最後まで観たか、それとも途中で観るのをやめたか、などのデータがすべて記録されている。そのため、 デヴィッド・フィンチャー監督作品『ソーシャル・ネットワーク』を多くの視聴者が最初から最後まで観たこと、ケヴィン・スペイシーが出演している映画はいつもよく観られていること、『ハウス・オブ・カード』の元ネタである英国版ドラマがよくストリーミングされていることなどを、 Netflixは知っていた。だから同社は『ハウス・オブ・カード』のヒットを確信し、パイロット版をチェックする必要もなく、2シーズン全26エピソード分を一気に発注できたというのだ。
ビッグ・データに支えられているNetflixのドラマ製作は、もちろん『ハウス・オブ・カード』だけでは終わらない。 かつてFOXが打ち切ったシットコム『アレステッド・ディベロプメント(邦題:「ブル~ス一家は大暴走!」)』の新エピソードを製作し、来月には14話分をストリーミングで公開するほか、年内にさらに3本の新シリーズドラマの公開を予定している。そして来年には、映画『マトリックス』をクリエイトしたウォシャウスキー姉弟による、新しいSFシリーズドラマが始まるという。
このようにインターネット経由のオリジナル番組製作を進めているのは、Netflixだけではない。やはりストリーミング・サービスを提供しているAmazonは、少なくとも6本のコメディドラマと、5本の子ども向け番組のパイロットを発注している。かのMicrosoftもLAにTVスタジオを建設中で、こういった動きは今後も加速していくと予測されている。本格的なインターネット・TVの時代が、すぐそこまで来ている。
ドラマの選択肢が増えるのはありがたい話だが、それはすなわちドラマ番組の競争の激化を意味する。『ハウス・オブ・カード』のような質の高いドラマが量産されるようになれば、視聴者はインターネット経由のドラマへと流れていくだろう。かつて4大ネットワークのドラマに甘んじていた視聴者が、ケーブル局製作の『SEX AND THE CITY』や『ウォーキング・デッド』に流れていったように。ネットTV時代の到来は、新たなシリーズドラマ戦国時代突入へのファンファーレを鳴らす。
インターネット経由の番組が充実してくれば、 これまで暴利をむさぼってきたケーブルTVと視聴者が決別し、本格的に「テレビはネットで観る」時代がくるのかもしれない。事実、若者の間では既にそうした動きが進んでいる。多くのテレビ番組がhuluなどの動画配信サービスで視聴可能だからだ。たとえば5年後、大多数の視聴者がそうなっていないとは誰にもいえない。この5年で、スマホがかつての携帯電話を駆逐してしまったように。
我々は今、TV変革時代の真っ只中にいる。後世の人々が今の時代をふり返ったとき、『ハウス・オブ・カード』はその変化の最初の大きな一歩だったと認識されるのかもしれない。
Photo:ケヴィン・スペイシー (c)Megumi Torii/www.HollywoodNewsWire.net デヴィッド・フィンチャー (c)Ima Kuroda/www.HollywoodNewsWire.net