
ギネスブックが「史上最高のベストセラー作家」と認定したというアガサ・クリスティー原作の人気シリーズ『名探偵ポワロ』。その主人公エルキュール・ポワロを25年もの長きにわたって演じ続け、原作に最も忠実だと世界中で評されているデヴィッド・スーシェ。ポワロを演じる際の苦労話やポワロへの思いなどを語っていただきました。
――ポワロ役をオファーされた時は?
原作の長編小説を参考にした。30冊ほどあり、何冊か読み始めたんだ。自分でも驚いた。未見のキャラクターについて、私は突然 読みふけたんだからね。昔から様々な俳優によりポワロが演じられてきたが、当時の私は誰かが演じたポワロを観ていなかったんだ。胸が躍ったよ。"ぜひ演じたい"と返事した。楽ではないと知りつつもね。
――ポワロに"なる"方法を教えてください。
原作から学んだ情報を膨大な資料にまとめた。ポワロの人物像の描写はすべて書き留め、ポワロに関するファイルを完成させた。私はそうやって役作りしたんだ。
私は典型的な性格俳優だ。個性派ではない。私は役に没頭し、全神経を集中させることで、別人になることが可能だ。演じる役を脚色して、自分と同化する俳優ではない。私がやっても失敗するからね。私は自分の個性を殺してその役になりきるんだよ。私は原作の彼の台詞とその読点の位置、彼の使う英語を研究して、ポワロの話し方を学んだ。フランス人と間違われるような訛りも身に着けたよ。フランス人と思われてしまっては意味がないんだ。彼は、フランス語を話すベルギー人だからね。
彼の歩き方については、原作の中にこんな描写があった。"ポワロは小刻みな足取りで芝生を横切った""足元にはいかにも窮屈なエナメル革の靴"。「これだ!」と思って、歩き方の練習を重ねて、彼の特徴を覚えた。あとは、コーヒーや紅茶に入れる角砂糖の数、トーストの食べ方や食事のとり方。住居や習慣などをポワロというキャラクターに肉付けしていき、立体的な人間像を完成させていったんだ。
――ポワロとの共通点はありますか?
顔立ちは、幸いなことに、かけ離れてないと思う。私の頭は卵形で、ほとんど左右対称だ。ポワロの頭は、卵形と描写されてるし、悪くない。彼は髪の毛を黒く染めていたから、私もドラマのために黒く染めていた。だが、ポワロなら、"染めている"と言わず、"自然な色を取り戻す"と言うだろう。
要はポワロの人生観が、にじみ出る人間になることだ。それが私にとっての課題だった。私の世界観ではなく、彼の世界観をどこまで描ききれるか。もちろん類似点と相違点があるが、私は相違点に集中したよ。
――ポワロへの変身方法は?
彼が自慢にしてるのは、小さな丸みを帯びた腹だ。たるんでもなく、ただそういう形なんだ。ポワロは、小柄な筋肉質の男だ。私も小柄で筋肉質だが体形が合わない。あとは、ポワロは"頭を一方にかしげる"と原作にある。まるで"黒い鳥"のようだと。そこで、今となっては周知の事実だが、私は服の下に"脂肪スーツ"を着た。別名"アルマジロ・パッド"だ。私が座ると収縮し、立つと再び膨らむんだ。重要なのは形だ。おなかが出るようにして、肩にも少し丸みをつける。頭が前に出るようにね。あとは背中にも。
口ひげはシリーズを追うごとに変化を遂げていった。だが幸いなことに、原作でも口ヒゲの描写は変化している。変えたと指摘されたら素直に認めるよ。とても精巧に作られている。この8年間に使用した付けひげは、私が最も満足してるよ。ひとつ残らずね。
――『名探偵ポワロ』の成功についてどうお考えですか?
当初は、短編10話だけの契約だった。私は、次回作が製作されるか知らぬまま出演していた。今から数ヵ月前はシリーズが終了するか知りもしなかったよ。このドラマの成功のおかげで、私のキャリアは急激に開花した。舞台もテレビも映画も、注目度の高い数々の作品に誘われた。ポワロがあってこそだ。予想していたことか? "ノー"だ。夢見ることさえなかったよ。
――あなたにとってポワロは友人でしょうか?
彼を知り尽くしてると自負してるよ。私なら一日中 街中にいて、ポワロの視点で世界を見ることができるし、彼が何をするかがはっきりと分かる。何時にいつどこに彼がいようとね。彼は腹心の友だ。
――ポワロがこれほど人気な理由は何でしょう?
ポワロは愛すべき人物だ。登場当初から大衆に愛されていた。私の力ではなく彼の力だ。私は彼の人生の一部を際立たせたが、それはその部分を掘り下げた脚本があったおかげだ。
例えば彼の孤独や結婚への憧れ。結婚は無理だろうがね。ひげが乱れてしまう(笑) 彼にもできないことはあった。優しいから愛されたのだと思う。彼は、不公平を嫌い、正義のために戦う。誰とでも喜んで話すが、好みがはっきりしてる。上流階級の者より使用人と話す方がくつろげるようにね。癖が強く奇抜だ。それで疎まれることもある。だがそんな欠点も、美点が相殺する。ポワロが愛される理由について、私の義理の息子はこう言う。彼にとって"ポワロは偉大なモラルの羅針盤"だとね。
――ポワロのミステリアスなところは?
当時のポワロはイギリスにいた外国人だった。フランス人でなくベルギー人だ。当時、有名なベルギー人は多くない。つまり、彼はあまり知られていない謎めいた存在だったんだ。
――ポワロの推理法について教えてください。
常に事実を模索するのがポワロのやり方だ。何よりも事実、そして証拠と手がかり。どんなディテールも見逃さない。"細かいこと"が重要だという彼は、心理分析に長けている。彼は人と会話している時、話を聞きながら、その言葉の意味を探っている。ポワロの探偵術は、とても冷静だ。徹底的で秩序を保ち、完全な方式に基づく。彼は腰を下ろして目をつむり、何時間も瞑想する。"急にひらめく"までね。そして解決だ。
――役作りの方法は?
脚本家がどうポワロを描くかによる。私は、脚本家やクリエイターに仕える俳優だ。原作者のアガサ・クリスティーに仕え、ポワロを描く脚本家に仕える。私は脚本を読み、描写されるポワロの一面が彼の姿ではないと思えば、意見もして修正を加えてもらう。私はポワロの擁護者であり、守護者だからね。ポワロを逸脱する路線の脚本が上がってくれば断固拒否したよ。
もちろん、ポワロについて広げたい領域もある。例えば、彼が抱く孤独感だ。原作の中のポワロは、完全に自己完結型の人間だ。私は彼を演じる上で、その理由を知っている必要がある。彼が自己完結的で、家でも秩序を保つ理由。強迫性障害だと指摘する人もいるが、そんな彼の性分が彼を支配している。自分の世界に浸っていれば、さらに気の滅入ることを考えずに済むしね。
彼自身は一人暮らしだが、"神からの最高の贈り物は夫婦の愛"だと常々語っている。"自分も結婚していたら"と。だから、私はポワロが若いカップルを見るような状況にあると、彼の顔に切ない表情を浮かべたりしたよ。
――印象的な思い出はありますか?
ポワロを演じてきたおよそ25年間の中から簡単に思い出を挙げることはできない。だが、特に思い出すストーリーはある。やり甲斐や難しさがあり、興味深いストーリーや、いい意味で難しかったストーリーだ。「オリエント急行の殺人」のスチュワート・ハーコートの脚本には、魅了された。エジプトで撮影した「ナイルに死す」もとてつもなく思い出深い。目をつむると、すぐに浮かぶ素晴らしいエピソードだ。格別だね。「青列車の秘密」もそう。ひとたび考え始めると次々と思い浮かぶ。「アクロイド殺人事件」も然りだ。
――アガサ・クリスティーが生前に暮らした家、グリーンウェイについて教えてください
「死者のあやまち」は、この場所をモデルにし、この場所で執筆された作品だ。この作品をもって70作すべての原作が映像化されたんだ。つまり私が撮影本番でこの庭を歩けば、クリスティーが描いたポワロが庭を歩く姿になる。彼女の思いを、忠実に再現したんだよ。
(※注釈:アガサ・クリスティーに敬意を表し、シリーズ最後の撮影は彼女の家グリーンウェイで行われた。ポワロの25年を明るく終わりたいということで、最後のエピソードである「カーテン~最後の事件」ではなく「死者のあやまち」で撮影を終えている)
――あなたの演じるのポワロが"完璧なポワロ"と言われることについてはどうお考えですか?
そう感じてくれる方には、ひと言。ありがとう。
――ポワロを演じる喜びについて教えてください。
私は役者としてポワロを演じ続けてきた。そして約25年の歳月が流れ、最後の時を迎えて急に気がついてしまったんだ、ポワロという人物の爆発的な人気にね。ドラマは世界中で放送されている。予想外だったのでありがたいばかりだ。役者冥利に尽きる。この役を与えてもらい、そして25年間の長きにわたって演じさせてもらって、感謝の気持ちでいっぱいだよ。この上ない贈り物を授かった。まさに神からの贈り物だ。
Photo:『名探偵ポワロ』© ITV PLC