海外ドラマで学ぶ世界史【2】スコットランドの悲劇の女王メアリー~『クイーン・メアリー』

歴史を扱った海外ドラマや洋画は数多く存在するが、それを見ていて背後関係や前提がちょっとわかりにくいと思ったことが誰しもあるのではないだろうか。本連載は、関連の映像作品に解説を絡めて、そうした疑問やモヤモヤを少しでも解消することを目指している。第2回は、スコットランドの悲劇の女王、メアリー・スチュアートを取り上げたい。

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上の画にあるように美しい女王でありながら悲劇的な運命を辿ったことで知られるメアリーは何度も映画や舞台になっており、過去にはキャサリン・ヘプバーン、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、サマンサ・モートンなどの実力派女優が彼女を演じてきた。現在、シアーシャ・ローナン(『ブルックリン』)が同役に扮する『Mary Queen of Scots(原題)』という作品も撮影中だ。2013年から始まったドラマシリーズ『クイーン・メアリー』ではフィクションも盛り込みながら、メアリーの女王として、女性としての苦悩を描いている。

■生後1週間で女王に

スコットランド王のジェイムズ5世と、フランスの大貴族ギーズ家の出身であるメアリー・オブ・ギーズの間に1542年12月に生まれたメアリーが父の死を受けて即位したのは、なんと生後6日の時(生後7日という説もある)。イングランドと争っていたスコットランドの女王である彼女は、生後半年あまりでイングランド王ヘンリー8世の皇太子(のちのエドワード6世)と婚約させられる。しかし、イングランドとスコットランドの緊張が高まったことにより、母親の提案でメアリーはフランスのアンリ2世のもとに逃れ、5歳からフランスの宮廷で育てられる。

美しく聡明で、フランス語のほか、イタリア語、ラテン語など数ヵ国語に通じるメアリーは宮廷の人気者だったが、フランソワの母親であるカトリーヌ・ド・メディシスとだけはドラマ同様(おそらく予言の影響というわけではないだろうが)、仲が良くなかったという。

そして1558年4月、15歳になったメアリーは皇太子のフランソワと結婚。『クイーン・メアリー』では、メアリーにイングランド女王としての権利を主張するようアンリ2世がたびたび求めるが、これはメアリーがヘンリー8世の姉の孫であり、さらには本来ならイングランド王座を継ぐ候補であるヘンリー8世の娘たち、メアリー(ブラッディ・メアリー)とエリザベスが、父親であるヘンリー8世から「庶子ゆえに王位継承権を持たない」と宣言されたことに端を発している。同年11月にそのエリザベスがイングランド女王に即位すると、アンリ2世は、息子の嫁であるメアリーこそ正当なイングランド王位継承権者であると主張した。また、劇中ではメアリーが結婚の際、もし子どもをもうけないまま自分が死んだ場合、スコットランドとイングランドの王位継承権をフランスに与えるという書類に気づかないうちにサインさせられていたというくだりがあるが、気づかなかったかどうかはともかく、そういう書類が存在していたのは事実であった。

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■結婚で失敗し、追い詰められて廃位へ

1559年7月にそのアンリ2世の死を受けてフランソワがフランソワ2世として即位。それと同時にメアリーはフランス王妃という座も手にする。しかし、順調に見えたメアリーの運命の歯車がここから狂い始める。もともと病弱だったフランソワ2世が翌年12月に病死し、メアリーは17歳で未亡人となったのだ。夫との間に子どもができなかったため、フランス王位の座がフランシス2世の弟シャルルに渡り、政治の実権をカトリーヌに握られたことから、メアリーは母国スコットランドへ戻ることに。

そして1565年、メアリーは同じスチュアート家であるいとこのダーンリー卿ヘンリーと再婚する。しかしこの結婚は多くの反感を呼び、メアリーの顧問を務めていた異母兄ジェームズの反乱をも招くことになった。その反乱は抑え込んだものの、彼女が寵愛する秘書のダヴィド・リッチオが数人の貴族たちによってメアリーの目前で殺されるという事件も起き、彼女の周辺に暗雲が立ち込め始める。

そんな状況下でメアリーは1566年6月、自身にとって唯一の子どもとなる息子ジェームズを出産。しかし2人目の夫ヘンリーと不仲であるとの噂がささやかれる中、1567年2月にヘンリーが不可解な死を遂げ、メアリーがその死に関わっているとの風評が流れる。そしてヘンリーの死から3ヵ月あまりで、彼を殺害したと噂されるボスウェル伯を3番目の夫としてメアリーが迎えた際には、カトリック、プロテスタントの双方から反対の声が上がる事態となり、反乱軍に捕らえられたメアリーは7月に女王の座から退くこととなった。

 

その後、捕らえられていた城から脱走したメアリーは軍を集めるが、兄ジェームズの軍に敗れ、エリザベス1世のもとに逃れることに。かつての敵の保護下に収まりながらもメアリーはたびたびイングランドの王位継承権を持つことを主張し、エリザベス廃位の陰謀にも関わった。その陰謀関与の証拠があるとして裁判で死刑を言い渡され、1587年、44歳で断頭の露と消えた。

しかし、メアリーの息子ジェームズが母の無念を叶えることになる。メアリーの廃位を受けて1歳あまりでスコットランド王となっていたジェームズは1603年、子どものないまま死去したエリザベス1世の後を受けてイングランド王の座にも就いたのである。ジェームズが両国の王となったことが18世紀のグレートブリテン王国誕生へつながることに。その後もメアリーの血は連綿と受け継がれ、以後のイングランド・スコットランド王、グレートブリテン王、連合王国の王は、すべて彼女の直系子孫に当たるのである。

 

Photo:
メアリー・スチュアート
© ZUMA Press/amanaimages
『クイーン・メアリー 愛と欲望の王宮』
© 2015 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
『クイーン・メアリー2 愛と欲望の王宮』
© 2017 The CW Network, LLC. All rights reserved.



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