HBOドラマ『IT/イット ウェルカム・トゥ・デリー “それ”が見えたら、終わり。』は、12月15日(月)にU-NEXTにて最終話の配信を終えたばかり。この度、『IT/イット』シリーズにて、ペニーワイズを演じている”ビル・スカルスガルド”のインタビューが到着した。
本インタビューでは、アンディ・ムスキエティ監督および映画版スタッフと再びタッグを組むことへの想い、ペニーワイズの”人間の姿”であるボブ・グレイを演じるにあたってのアプローチ、ドラマシリーズならではの表現によって深掘りされた、ペニーワイズというキャラクターの本質など、『IT』シリーズのファンは必見の内容となっている。
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『IT/イット ウェルカム・トゥ・デリー』ムスキエッティ姉弟が語るドラマ化の真意【インタビュー】
HBO新作ドラマ『IT/イット ウェルカム・トゥ・デリー ” …
ビル・スカルスガルド、ペニーワイズ役に再び挑む
・これまで『ペニーワイズ』という非常に強烈なキャラクターを演じてこられました。映画『IT/イットTHE END』では数年ぶり、そして今回はさらに時を経て『IT/イット ウェルカム・トゥ・デリー』で再びこの役を演じてみて、どんな心境ですか?
映画2作目のときも「またこのキャラクターを演じるのは難しいんじゃないか?」と心配していたんですが、すぐにペニーワイズに戻れたんです。今回のドラマシリーズでもそれは同じでした。このキャラクターのことをよく理解しているので、すべてが自然に帰ってくる。僕にとって彼は、“そういう存在”なんです。一度ペニーワイズの状態になれば、即興で何でもできるし、動きも自然と彼らしくなる。役に入り込むのも、そこから抜け出すのもすごく簡単。役者として、これはとても珍しいことです。こんなにも何度も行ったり来たりできるキャラクターは、今まで経験したことがありません。最初の映画から…もう9年くらい経つのかな?

・ペニーワイズを演じるとき、恐れや不安はありましたか? それとも、逆にワクワクしたり楽しめたりしました?
難しい質問ですね。今回のドラマシリーズに関して言えば、キャラクターに対する不安はまったくありませんでした。ペニーワイズの心理を深掘りする作業は、最初にキャラクターを作り上げた時にすでにやり切っていたので、今回はただそこに戻るだけでした。アンディ・ムスキエティとバルバラ・ムスキエティにまた会えたのもうれしかったです。現場に行って…まあ、“ピエロらしくふざけてただけ”でしたね(笑)。
・『IT/イット ウェルカム・トゥ・デリー』では序盤、さまざまな姿の“それ”が描かれますが、ペニーワイズの姿は第5話「ニーボルト通り29番地」まで伏せられていました。迷子の少年マティが友人たちを連れて下水道へ行き、そこでピエロへと変身するシーン。あれがシリーズでの最初の撮影だったのでしょうか?
そう、実はあれが僕のクランクインだったんです。あの…ポールの周りを回る“ポールダンスのシーン”(笑)。あれがペニーワイズとして初登場するシーンで、僕たちが最初に撮ったカットでもありました。カメラが回り始めた瞬間は、楽しかったですね。
・映画版と同じスタッフも多かったのでしょうか?
はい、トロントで特殊メイクを担当していたショーン・サンサムやシェイン・ゼンダーなど、多くのスタッフが戻ってきてくれました。映画の1・2作目が成功して、それぞれの人生でいろいろあって、またみんなと会えたのは感慨深かったですね。2作目を撮り終えてから6〜7年は経っているはずですが、「またペニーワイズに戻ってきた!」という感覚より、周りの状況の方が不思議で。「時間が経ってないのかな?僕はまだ下水道に閉じ込められてるのかな?」というシュールな気分でした。
・アンディ・ムスキエティ監督はペニーワイズの重要シーンを担当しましたが、他の監督が撮るエピソードでも、あなたの演出は彼が行ったのでしょうか?
アンディが担当していないエピソードでも、僕のシーンだけは彼が来て演出してくれました。それが良かったんです。他の監督とやるのは、正直あまり気が進まなかったからね。ペニーワイズは僕とアンディの“子ども”みたいな存在なので、他の誰かとあまり共有したくなかったんですよね。
・アンディは『IT/イット THE END』のころからストーリーの続きについて話していたと言っています。あなたは原作に登場する「ボブ・グレイ」という“人間としての姿”に興味を持っていたそうですね。
2作目を撮影していた時に、「もし3作目をやるとしたらどうする?」という話はよくしていました。今回のドラマとは少し違うけど、その時のアイデアの名残はあります。当時、僕は映画の3作目を完全に違うトーンにしたかったんです。「ピエロの仮面の裏にいる男」の前日譚。つまり、ペニーワイズが食べて、その姿を借りている男「ボブ・グレイ」の物語です。映画の2作目でも少しだけそういう要素を試しましたが、今回のドラマシリーズでは全く別の角度から、ボブ・グレイを演じることができました。

・第6話「父を求めて」では、カーシュ夫人が少女を“餌”にして“それ”を呼び寄せ、彼女の父親だと思い込んでいるペニーワイズと対峙します。彼女がすぐに恐れなかったときの、ペニーワイズの“戸惑い”のような一瞬について教えてください。
あの回想シーンはとても楽しかったな。そのリアクションは現場のアドリブで生まれたんです。彼女が誰なのか、そして利用価値があることに気づいたペニーワイズの「ん…? ほぉ〜!」という反応。そして笑い始める。あの瞬間、彼は優しくしようとしていたわけではなく、ただの計算高い化け物が「お、彼女が誰か分かった。利用価値のある相手だ」と判断しただけです。あなたが言っているのは、その“一瞬”のことですよね。
・第7話「ブラック・スポット」では1908年の回想があり、旅回りのカーニバルで芸人として働く“本物のボブ・グレイ”が登場します。“それ”がコピーしているため顔はあなたそのものですが、髪型や声、所作はまるで別人でした。彼を演じるにあたって、ご自身で自由にアプローチできる余地はどれくらいあったのでしょうか?
素顔の僕にはそんなに似てないと思いますよ! 映画版にはボブ・グレイの写真が出てくるので、あの巨大な禿頭と偽の眉毛の特殊メイクで再現しました。今回のドラマシリーズでも、その時の見た目を踏襲しています。映画2作目でも、ペニーワイズが血でメイクをするボブ・グレイのシーンがありましたけど、あれはあくまで“それ”がボブ・グレイの姿を借りている形で、今回のように“本物の男”としてしっかり見せたことはなかったんです。

・『IT/イット ウェルカム・トゥ・デリー』のボブ・グレイは悪人ではなく、情けない男として描かれています。娘(のちのカーシュ夫人)のために衣装を作るなど、父親らしい顔も見せますね。
脚本の段階では、「なんて優しいお父さんなんだ」と感じてもらえるように書かれてたんです。妻を亡くした、無垢で優しい男、という設定です。娘を愛してるのは間違いないけど、僕は彼をただの単純な“いい人”にはしたくなかった。彼はアルコール依存で、人生に不満を抱えている。昔は大きなサーカスにいたのに、今はこんなドサ回りのカーニバルに落ちぶれてしまった。娘はいるけれど妻はいないし、酒に溺れ、皮肉屋で、どこか投げやりな男。出番は少なかったけど、そういう複雑さを入れたかったんです。ペニーワイズとはまったくの別人としてね。
・第7話の1908年の回想では、納屋から不気味な少年の姿をした“それ”が覗き見る中、ボブ・グレイによるピエロのステージが描かれます。
「ボブ・グレイがペニーワイズを演じる」というのは本当に面白い挑戦でした。“人間版ペニーワイズ”をどう表現するか。“悪魔的な存在”ではなく、その“悪魔が模倣している人間の姿”を演じるわけです。
・ステージの扉を開けると、見慣れたメイクに、禿頭のカツラの継ぎ目が見える。まるで安っぽい仮装のペニーワイズのようでした。
物語の舞台は1900年代初頭なので、当時のヴォードヴィル(寄席演芸)によくあった、大げさな模倣芸のような雰囲気を出したかったんです。あれは楽しかったですよ。正直、ボブ・グレイというキャラクター自体を完全には掴めていなかったんですが、「ボブ・グレイを演じ、ボブ・グレイがペニーワイズを演じている」と考えることで、演技にレイヤーが生まれました。レイヤーを重ねれば重ねるほど、素の自分から遠ざかることができて、役に入り込めるんです。
・実際の彼は、かなり面白いピエロでした。不気味なところはあまりなく、本当に子供向けのショーでしたね。
あのショーはすべて振り付けが決まっていて、脚本上でも動きが細かく指定されていたんです。ある種の切なさがありますよね。ボブ・グレイは自分の人生そのものをエンターテインメントにしてしまうアーティストなのだと思います。だから、妻を失った悲しみさえもパフォーマンスに取り込んでいる。でも子どもたちはそれを楽しんでいる。それが大事なんです。つまり“それ”は、子どもたちがこのピエロに魅了されている様子を見て、そこに“利用価値がある”と判断したんです。
・ショーの終わりに、ボブ・グレイが客席の方へ振り向いて微笑みます。笑顔自体は普通です。ただ隣の人形も振り向くと…その巨大な前歯は、まるでペニーワイズのようでした。
あれは意図的な演出です! そのジリスの人形が黄色い目と大きな出っ歯なのもあえてです。“それ”は、ボブとあの人形、その両方の要素を取り込んで融合させているんです。まさにその通り。
・ボブ・グレイの声について教えてください。とても特徴的な話し方ですよね。音程が上下する音楽的な抑揚があって、W.C.フィールズを彷彿とさせます。
あの時代設定なので、「よし、この方向性なら遊べるな」と思ったんです。あのメイクをした顔を見たとき、「この顔を完成させるには、それに合う声が必要だ」と直感しました。いわゆる“昔気質”な男を演じようとしたんです。彼の本当の生い立ちは誰にも分かりませんが、過ぎ去った時代の人間で、とてもドライで、タバコを吸いすぎている。そういう要素が自分の中でふつふつと湧き上がって、あの声になったんです。
・その夜、“それ”はあの不気味な少年の姿でボブに近づき、森へ誘い込もうとする。それに対してボブは煙草をふかし、酒を飲みながら、いつもの癇癪まじりに「見てのとおり忙しい」とあしらいます。最高の拒絶でしたね。
ボブ・グレイを演じるのは本当に楽しかったよ、特にあの少年のシーンはね。実は脚本だと、ボブはもっと心配するような人物として書かれていたんです。現れた子供を見て『あぁ、助けてあげるよ……』と森へついて行ってしまうような。でも僕は「絶対そんな男じゃない」と思ったんです。彼は子どもなんて好きじゃないし、休憩時間は酒とタバコでいっぱい。それに1900年代初頭の大人が、あんな浮浪児みたいな子どもに、そう簡単に優しくするとは思えなかった(笑)。シリーズ全体で一番笑ったのはこのシーンですね。ボブ・グレイはとても面白いキャラクターでしたよ。
・ブラック・スポットが焼失した後、“それ” は再びカーシュ夫人と遭遇します。
彼女が病院で“それ”を目にしてから、何十年も経ったあとのことです。カーシュ夫人はペリウィンクルの衣装をまとい、いまだに“それ”を行方不明の父だと思い込んでいます。けれど今回、“それ” はもう彼女の思い込みに乗っかることはしません。ペニーワイズは、彼女がこれまで役に立ってきたとは思っているものの、もうどうでもよくなっていて。だから、とても残酷な態度で「お前の父親は食べたよ」と真実を突きつけるんだ(笑)。あのシーンは本当に楽しかった。
・第7話のラストで、ペニーワイズは次の27年周期へ向けて眠りにつきますが、“扉”が開いたことで、予定より早く目覚めてしまいました。血の池から現れた彼は、鼻から下が真っ赤に染まっていますね。この半分だけ赤い新しいルックには、何か理由があるのでしょうか?
単純に、アンディは映画版とは違うユニークなビジュアルを作りたがっていました。それがこの赤い姿です。他にも細かい違いがあって、より“古い時代”の雰囲気を出しています。ウィッグも違いますしね。衣装は基本的に同じですが、休眠に入ろうとしたところを無理やり起こされたので、血に浸かって真っ赤になっているわけです。だから、もしハロウィンで“ウェルカム・トゥ・デリー版ペニーワイズ”をやりたいなら、上唇から下を真っ赤に塗ってください(笑)。それで、映画版ではなくドラマ版だとわかりますから。

・“それ”は本来ピエロそのものではなく、実体を持たない変幻自在な存在だということを忘れがちです。なぜ“それ”は、これほどまでにペニーワイズの姿を気に入っているのでしょう?
原作でスティーヴン・キングは「ペニーワイズは“お気に入り”の姿」だと書いています。本当の姿ではないんです。あの蜘蛛の姿も本当の形じゃないと思います。ペニーワイズは彼が一番楽しめる姿なんでしょうね。“最悪のいじめっ子”、それが一番楽しいことなんです。僕は常に、彼の中に動物的な「捕食本能」という要素と、ひどく歪んだ「いたずら好き」な面を同居させたいと思って演じてきました 。今回のドラマシリーズでもその要素は見えますよね 。そういう二面性は演じていて楽しいものです。
・“それ”は無限で永遠で、ある種、孤独な存在です。人間ではないため、私たちが理解できるような心理を持っているわけではありません。しかし、この奇妙な怪物を突き動かしているのは、「退屈だから、混乱を巻き起こして楽しみたい」という欲求もあるのでしょうか?
それもあるでしょうね。僕は、“それ”はすごく子どもっぽいんだと思います。原作の中で、“それ”の一人称視点が描かれる章がありますが、そこでは食べて寝たいだけの怒っている子どものように描かれています。この作品の核にあるのは、常に“子ども”です。成長や変化がテーマで、ペニーワイズもその点では同じです。彼も“子ども”なんです。彼が子どもを狙うのは、想像力が豊かで怖がらせやすいからですが、同時に彼自身も子どものような性質を持っているんです。想像しうる限り“最悪のいじめっ子”です。それが僕の演技のベースにあります。彼はただ……笑うんです 。相手をあざ笑う。本当に、救いようのない最低なやつなんですよ。
『IT/イット ウェルカム・トゥ・デリー』は、U-NEXTにて独占配信開始。(海外ドラマNAVI)







