
もし今、日本の高校でプロムが行われたら、どんな感じになるだろう? 米国の高校生のように、大多数の男子が女子を誘い出し、ドレスアップしてダンスパーティを楽しめるだろうか。それとも、非モテ系男子の多くが女子を誘えず、その結果、多くの女子も参加できず、選ばれた少数の社交的な男女がスカスカの大ホールでチョロチョロ踊る、うら寂しいパーティになってしまうだろうか。5月10日に放送された『Glee』シーズン2のエピソード「Prom Queen」を観て、ふとそんな疑問にかられた。
日本でプロム…?
筆者が高校に通っていたのは遥か昔(A long time ago in a galaxy far, far away...)のことだが、私は完全に「女子を誘ってダンス? そんなの絶対ムリムリ」団の団長だった。地方の進学校だったので男子の生徒数が女子の3倍で、1学年10クラス中わずかばかりの女子がいるのは4クラスのみ、残り6クラスは学ランで埋め尽くされた男子クラスだった。その暗黒の世界に馴染んだが最後、華やかな男女クラスの教室の入口にバリアを感じ、異(性)空間に飛び込むのに多大なエナジーと勇気を要した、苦い記憶がある。そんな刑務所のような日本のハイスクールを出所した私から見れば、米国の高校生たちがアイドルさながらに色とりどりのドレスをまとい、キングだのクイーンだのを競いつつ、不純異性交遊を促進するプロムとやらは、まるで3Dファンタジーの異次元世界。その光景をテレビで見ているだけで、「高校生がそんなことしたらいけん!勉強せんね、勉強」というオカンの怒声が聞こえてくる。まして『Glee』に出て来る高校生は、自他ともに認めるゲイがいれば、まだカミングアウトしてないレズもいて、不純同性交遊をも含んだ複雑系ファンタジーなのだ。
その一方で、『Glee』ではゲイに対するバッシングという、かなりシリアスな問題も取り上げる。そのような取扱い要注意なテーマを内包しながら、最終的にはライトコメディに仕立てあげるのがこのドラマの凄いところ。同じ学園ものでも金八先生のように重くならず、中島みゆきの曲も流れない。ポップスの名曲の数々がドラマを彩り、視聴者をノスタルジーの快感へと惹き込んでいくのが『Glee』の醍醐味だ。今回のエピソードではアーティ(ケヴィン・マックヘイル)がブリタニー(ヘザー・モリス)をプロムに誘う場面で、スティービー・ワンダーの「Isn"t She Lovely?」を切々と歌い上げ、筆者は思わずアーティと一緒に熱唱してしまった。
もちろん懐かしい名曲ばかりではなく、ごく最近のヒットナンバーも使われる。今回はレベッカ・ブラックの「フライデー」でプロム・パーティが始まった。今年の3月に、そのあまりに深みのない見たままの歌詞(朝7時、目が覚めた、階段おりなきゃ、シリアル食べなくちゃ、バス停に行かなくちゃ、バスに乗らなきゃ、前にも後ろにも友達が乗ってる、どの席に座るか決めなくちゃ)がツイッターやフェイスブックで話題になり、YouTubeでビデオクリップが記録的なヒット数を記録したあの迷曲 も、『Glee』のメンツが歌えばスタンダードナンバーに聴こえてくるから不思議だ。
そしてプロム・クイーンの発表でまさかのサプライズがあった後、締めはアバの「ダンシング・クイーン」でプロム・クイーンが踊るわけですよ。いろいろ問題はあったけど、(そしてまだまだ問題は山積みだけど)この曲が流れたらとりあえず踊るしかないっしょ!とハッピーに終われてしまうのだ。ミュージカル万歳!
ちなみに、プロムはドラマや映画の中だけでなく、現実に米国の高校生のビッグイベントとして、今でもちゃんと機能しているようだ。筆者が最近知り合った、昨年ミネソタ州の高校を卒業したばかりのトーマス君(現在ニューヨーク大学1年生)も、当時同級生だった女の子をプロムに誘い、それをきっかけに交際が始まったという。今でも彼はその子と続いているらしく、先週の金曜に夏休みが始まるや否や、彼女の待つ故郷ミネソタへと飛び立っていった。
学校主催のパーティでカップルが誕生するなんて、素敵じゃないですか。ひょっとして日本の高校でもプロムを始めたら、「皆が参加するのなら、僕も参加しておいた方がいいのかな」的な右にならえ指向が強い日本人のこと、それをきっかけに草食系男子やチキン系男子が「とりあえず」女子を誘ってみたり、あるいは肉食系女子の誘いに乗ってみたりして、そこから不純異性交遊が始まり、引いては少子化抑制にも繋がるような気もするのだが、厚生労働省ならびに文部科学省の皆さん、いかがでしょう?
Photo:『Glee/グリー』©2013 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.