では日本には、"subtle" と "calm" な俳優がいないのか?
そんなことはない。
普遍的な表現ができて、世界に通用している素晴らしい俳優さんは我らが日本には沢山いる。僕が言っているのは、そういう俳優さんたちが実力を発揮できる、リアルで、骨太な、もしくは真摯で、奇をてらわない作品創りや演出が減っているということだ。
僕が小学生の時に劇場で見た作品群の中で、もっとも影響を受けた日本人俳優は、高倉健さん(『野生の証明』や『八甲田山』に親が連れて行ってくれた)だった。余計で、説明的な演技を一切しない。叫ばなくてもドラマチックであり、目の動き、たたずまいだけで、役の感情が伝わる。健さんこそ、"subtle"と"calm"の体現者だったと今、改めて思う。
僕が演技を学び始めてから敬愛するようになったのはジェームズ・ディーン。彼も、セリフ回しは聴き辛いことさえあり、"subtle"と"calm"な演技に終始した。そして時に、ここぞという場面で炎を吹くような勢いで、心情を爆発的に吐露した。
彼を育てた演技コーチの一人、元アクターズ・スタジオの芸術監督フランク・カサロ氏はこう語っている、
「ジェームズの演技は、本能が100、技術はゼロ」
だと。
言い換えれば、感情がすべてで、小手先のテクニックは無かったということだ。しかし、彼はブロード・ウェイの舞台の世界でも高い評価を受けていた。その、溢れる"真の感情"そのものが、彼にとっての"技術"であったということだろう。
ハリウッドというと、"派手さ"が売りのように捉えられがちである。それは映画でも、今人気絶大のドラマでも。
しかし、アメリカの演技の真骨頂は、"subtle"と"calm"に表現される人間たちの、微細な生々しさだ。
今や『24』で世界的なTVスターとなったキーファー・サザーランドは、映画『ア・フュー・グッドメン』で、悪役の一人の心境を絶妙に"subtle"に演じている。彼の最高の助演の仕事の1本だ。
演じる際に、大袈裟な表現をしなければしないほど(つまり説明的な芝居やセリフ回しをしなければしないほど)、視聴者や観客には、考える余地を与えてくれる。
感情とは、抑えても、抑えても、溢れてきてしまうのが美しい。
見せてくれないほうが、より見たい気持ちは募る。
そう、素晴らしい"subtle"で"calm"な演技は、あなたが読みふけってしまう小説のように、心の内側を自由に想像させてくれるものなのだ。