【インタビュー】『ブレイキング・バッド』ヴィンス・ギリガンが語る「最後の台本を書きながら泣いたというのは本当」

本年度第66回エミー賞授賞式で、見事有終の美を飾った『ブレイキング・バッド』ドラマシリーズ部門作品賞をはじめ、合計6部門で受賞を獲得し、世界中から称賛されている本作。シリーズ終了後、スピンオフの『ベター・コール・ソウル』の製作に取り掛かっているヴィンス・ギリガンが、『ブレイキング・バッド』フィナーレ後に明かしたマル秘インタビューを公開しよう。テレビと映画の違いについてなど、新たなるアメリカのTVドラマ時代をつくりあげた超一級クリエイターが考えていることとは?

 

ヴィンス・ギリガンのインタビュー

――テレビはこの20年間でどのように変化したのでしょう?

いろんなことが変わったよ。数年前に比べてテレビがより真剣に受け止められるようになって、とてもうれしい。僕はテレビという媒体がとても好きなんだ。大ファンなんだよ。今までテレビを見すぎというくらい見てきた。ほとんどの番組を見ているし、どれもとても好きだ。映画と肩を並べるくらいテレビが見られている時代にテレビの仕事ができるのはうれしい。映画も大好きなんだ。この仕事をするようになってからずっと、映画は1級でテレビは2級みたいな気がしていたけれども、今は立場が近くなっている気がする。脚本家としても視聴者としてもそう感じるよ。『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』や『ザ・ワイヤー』の頃から変わった気がする。この手の変化はゆっくりだけれども、テレビに対する認識の変化は比較的速かったと思う。

アメリカではケーブルテレビで暗くてとんがったドラマを放送することができたおかげで、テレビでも大人向けのドラマができるという機運が高まったのだと思う。汚い言葉を使ったり、ヌードがあったり、暴力シーンが多かったりするのが大人向けという意味ではない。難しいキャラクターが登場する難しい物語という意味だ。残念ながら、アメリカの映画業界はこの辺を怠ってきた。1970年代には『ゴッドファザー』『カンバセーション...盗聴...』『ファイブ・イージー・ピーセス』『ギャンブラー』などのすばらしい映画があった。アメリカの映画業界も定期的にこういう映画を作って利益を上げていたんだ。今は、テレビがこういった物語をやる場所になっている。

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――今のテレビは映画よりも優れていると思いますか?

僕にとっては、リンゴとオレンジの差と同じだね。テレビと映画はどちらも同じ道具を使っている。クルーも俳優も同じだ。俳優に関してはすばらしいと思う。今は、より多くの俳優がテレビと映画を行き来するようになった。昔ではあまり見られなかったことだ。撮影の基本的な道具は映画もテレビでも同じだ。同じカメラや道具を使っている。今、映画のセットの中にテレポートしたとしても、テレビのセットとの区別はつかないだろう。格という意味では、今は映画とテレビの差がなくなってきている。それはいいことだと思う。深い物語を伝えることができるのはすばらしいよ。

物語のアイデアを考えている時は、2時間の物語なのか、100時間の物語なのかを考えるんだ。僕にとって、映画とテレビの基本的な違いはその程度だ。そうは言っても、今のアメリカでは、映画の多くがマンガやスーパーヒーローについてだ。13歳から18歳が対象年齢のね。それはおかしいと思う。いつでも大人向けの映画は作ることができる。映画の制作会社がその気になってくれればいいのだけれどね。映画の世界にいる本当に才能豊かな人々の多くがそれを望んでいるんだよ。残念ながら、今のところ制作会社にその気はないみたいだ。

――『ブレイキング・バッド』を2時間の映画にできますか?

内容が薄くなるだろうね。スタッフや撮影時間が増えるのはすばらしいけれどね。何と言っても、『ブレイキング・バッド』は62話あるんだ。それを2時間の映画に作り直せるはずがない。うまく2時間の映画にできたとしても、まったく違うものになるだろう。映画とテレビを比較するのはリンゴとオレンジを比較するのと同じだ、というのはそういう意味だよ。道具がすべて一緒でも、まったく違ったものができ上がるんだ。だからテレビが好きなんだよ。僕も他の脚本スタッフも、時間をかけて登場人物を探ることができるからね。

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――『ブレイキング・バッド』の最後の台本を書きながら泣いたという話を聞きましたが、本当ですか?

本当だよ。普通、1話は48ページから52ページくらいなんだ。最終回は51ページだったと思う。最後の二つの段落のちょうど真ん中辺りで涙があふれてきたんだ。自分の作品のすばらしさに感激して涙したんじゃないよ。今考えると、このドラマの登場人物を描くのも、親しんだスタッフや俳優たちと仕事するのも最後だと気づいたんだろうね。長年、一生懸命やってきた仕事の最後を飾るのだと思うと感無量だった。「終わり」と書くのも最後だと思ったら感動したんだ。

――最後はどのように終わらせるか決めていたのですか?

6人の優秀な脚本家がいて、エンディングについては1年以上かけて考えていたんだけれども、はっきりしていなかったんだ。いいアイデアがあると思っても、壁にぶち当たってしまうことが何度もあった。チェスと似ているんだ。僕はチェスはやらないから、大変なんだけどね。手は数限りなく存在するから、いろんな作戦を考えておかなければならない、という意味でチェスに例えたんだ。この1年はそればかりやっていたんだよ。集まっては、ウォルターはこの次にどんな手を使うだろう、彼は何を考えているのだろう、彼はどうなることを求めているんだろう、と考えていたんだ。それは、どうやってエンディングに持っていけばいいのか分からない、と遠回しに言っているのと同じだよ。数多くの可能性の中から、一番いいエンディングが見つけられるまで、一生懸命に探し続けたんだ。

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――ウォルター・ホワイトを自分の頭から追い出すことができてほっとしましたか?

そうだね。あっという間に痛みは消えてしまうからおかしいね。この場合、痛みという言葉は適当じゃないかもしれない。不快感というのかな。このドラマが終わって悲しいのだけれども、脚本家としては、こういう終わらせ方ができたことをうれしく思っている。悲しいのは個人的な理由からだ。同じ志を持ったクルーは家族みたいだったのに、バラバラになってしまったからね。ウォルター・ホワイトが自分の頭の中にいたことの不快感は、すでにあいまいな記憶のようになっている。1、2年前には、すでにこのキャラクターは相当の悪者だと思っていたのを思い出すよ。彼のことを考えなければならなかったし、彼の声が常に聞こえていたから、世界が違って見え始めていたんだ。6年間、頭の中には常に彼がいたよ。彼がいなくなって、本当にほっとしている。でも、今でも彼のことは考えるし、彼の目を通して世界を見ているんだ。止めなければ、と思っているよ。僕はただの脚本家なのに変だよね。ブライアン・クランストンは、ウォルターの仮面をかぶったり外したりするのがすごく上手なんだ。彼がどうやっているのか知らないけれどね。感情を追体験して苦しむのが俳優だと思うかもしれないけど、奇妙なことに、僕のほうがそれに当てはまるんだよ。

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――今、『ブレイキング・バッド』を始めたら、6年前とは違ったものになると思いますか?

違ったものにしようと思って始めたら結局はよくないものができると思う。このドラマは最初から運がよかったんだ。今、考えても、どうして成功できたのかが分からない。僕も、みんなも一生懸命やったのは知っているけれども、それはある程度までで、あとは運だと思う。このドラマの制作では、いろんなことの運がよかったんだよ。偶然が重なったり、タイミングがよかったりしたんだ。もしくは、その時はよくないと思ったことが結局はよかったりね。どういうふうに変えるかは分からないけど、もし何か違うことをやるとしたら、この成功に導いてくれた何かの微妙なバランスが狂うのではないかな。すべて自分の力だと思いたいけれども、宝くじに当たったような気がしてならないんだよ。適任者を起用することができたこと自体が幸運だった。最高の人々を雇って、あとは、その材料がうまく混ざり合うことを祈るだけだ。うまくいくかどうかは、ある程度進まないと分からないよ。

――この次はもっと軽いテーマにしますか?

何とも言えないね。すぐにやりたいと思っているのは、ボブ・オデンカークが演じたソウル・グッドマンというキャラクターのスピンオフだ。それも『ブレイキング・バッド』の世界に変わりはないのだけれども、もっとユーモアのあるドラマになる。『ブレイキング・バッド』にもできる限りユーモアの要素を取り入れたんだ。そうじゃなかったら、暗くなりすぎるからね。ソウル・グッドマンのドラマはもっとユーモアがあるものになる。劇的な出来事も起きるけどね。バランスが大切なんだ。それ以外は、ただ違うことがやりたいと思っているだけだね。『X-ファイル』が終わった時も、超常現象みたいな物語のオファーしか来なかったんだ。映画『ハンコック』の後もスーパーヒーローもののオファーしか来なかった。『ブレイキング・バッド』の後はドラッグもののオファーばかりになるだろうね。でも僕は一つの分野に限定されるのは嫌なんだ。いろんなことをやっていくつもりだよ。

――『ブレイキング・バッド』の登場人物の何が視聴者の心に響いたと思いますか?

それは、僕もよく考えるんだ。答えがすべて見つかったかは分からない。最初は、自分が病気の問題に直面したことを想像してウォルターに共感したのだと思う。でも、僕たちは積極的にウォルターを悪者にしていった。わざと1話ごとに、視聴者が共感できない人間にしていったんだ。どの時点でみんなの心が離れるのかを試す実験的な意味合いもあった。視聴者を失いたかったわけではもちろんない。どこまで彼をダークにして、どこまで視聴者が彼を応援してくれるのか試したかったんだ。視聴者の反応には驚いたよ。とんでもない奴になっても、まだ応援してくれる人がいるんだ。悪者なのにね。

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時間の流れがない設定にテレビはもってこいなんだ。テレビはストーリーが進まない世界が大好きなんだよ。『Gunsmoke』、『MASH』、『ER 緊急救命室』は何シーズンでも見ていられる。出演している俳優たちが年を取っていくだけなのにね。物語としての時の流れははっきりしていない。昔から、テレビの登場人物はあまり変わらないんだ。それは視聴者が望まないからだよ。僕は主人公が最後には誰だか分からなくなるほど変わるドラマがやってみたかったんだ。

――『ブレイキング・バッド』は究極の中年の危機の物語だと言われていますが、なぜ、この物語をやろうと思ったのですか?

このアイデアを思いついたのは、40歳になる直前だった。第1話の撮影を始めた時は40歳になっていた。年を取ることや、自分がまだ成し遂げていないことなどを考えていたよ。最初から中年の危機の物語を書こうと思っていたわけじゃないんだ。最終的にはそうなったけどね。ウォルター・ホワイトの場合は、世界最悪の中年の危機ではなく、命の終わりの危機なんだ。第1話で、彼は自分が人生の中間地点ではなく、もう終わりに来ていることを知るんだ。

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――最後の8話に視聴者が期待できることは?

最後の8話にはとても誇りを感じている。この1年以上、すごく心配ばかりしていたんだ。この1年、脚本家の部屋の中では暗いことばかりが起きていた。朝も昼も夜も、僕たちの心は真っ暗闇だった。ふさわしい最後にたどり着けるのかが心配だった。視聴者がどう思うのか、どう反応するか、ハラハラしているよ。でも、それを見届けることができれば、僕は満足だ。うれしいとか悲しいとかではなく、ただ満足すると思う。一生懸命に闘ってきたし、それには満足している。それと同時に、最終回の放送の直前の瞬間が永遠に続いてほしい気もする。でも、もちろん、みんなに見てほしいし、感想も聞きたい。ジェットコースターに乗るみたいな、エキサイティングなドラマだ。最後の8話は、息をつく暇もないようなストーリーだよ。少しでも注目されているドラマのプロデューサーならば、誰もが満足する、いい終わり方をさせなければというプレッシャーを感じると思う。...でも、ああ、僕は満足しているよ。

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(海外ドラマNAVI)

Photo:『ブレイキング・バッド』(C)2008-2013 Sony Pictures Television Inc. All Rights Reserved.