俳優にとって、映画やドラマ作品の配給会社というのはそれほど縁や直接の関係があるものではない。通常、主演や助演級の役どころを演じた場合でない限り、作品の宣伝プロモーションやキャンペーンに深く関わることはないからだ。
大抵の場合は、撮影やアフレコ作業が終われば、多くの俳優たちはそこで「お疲れさまでした!」とお役御免となる。

ところがアメリカの業界に渡って以来、自分(俳優)にとって、意外なほどに『配給』という言葉が身近に感じられるようになった。テレビドラマや映画作品に出演する度に、

「日本の劇場や映画イベントでの上映が決定した!」
「日本の◯◯局で放送開始!」
「日本でDVDがリリースされる!」
「日本の動画サイトで配信される!」

という展開を待ち望むようになったからだ。
懸命に創り上げた作品が、母国の市場に届いてくれることを強く願うようになり、そのプロセスを知ることで、配給&販売に携わる方たち(ディストリビューター)の観客や視聴者獲得のための企業努力に、強く感謝できるようになった。

しかし近年、それらの海外作品の配給会社が手がける宣伝キャンペーンは難しい状況を強いられている部分がある。あの手、この手を尽くしても、ネット上ではファンから違和感や反発を抱かれているケースも少なくない。
僕自身も、日本でのメディアの報道や宣伝の在り方を見て、「ん、これはなぜ??」と首を傾げたくなることが度々ある。

そこで今回は、このコラムの前編で、配給会社を「応援する」立場から、宣伝キャンペーン等の手法が抱えるジレンマや問題について考え、向上のキーとなるポイントを提起し、さらにコラムの後編では、全く新たな宣伝戦略のアイデアの一つを大胆に述べてみたいと思っている。

ファンの皆さんには、このコラムの「コメント欄」や「ツイッター(@dramanaviもしくは@ozakieijiro)」 や「(僕の)ファンサイトの掲示板」に、感想/意見/反論/他の画期的なアイデアなどがあれば是非書き込んで頂きたい。
その声が、海外ドラマや洋画の配給や宣伝関係の仕事に関連する方々の目に触れれば、きっとこのマーケットのさらなる躍進と活性化につながると思うのだ。

さてここ数年、完全に日本で定着した感のある宣伝手法のパターンと、その問題点を挙げてみよう。

まず第1に、

海外ドラマのリリース会見や洋画のプレミア試写などのイベントに、日本の有名人やタレントを招いてPRする形。

グラビアアイドル、元スポーツ選手、コメディアン、俳優/女優 など、宣伝イベントの舞台に上がる人たちの職種は多岐にわたる。

海外作品のPRのために、なぜそれらの著名な人物を起用するのか? と日頃から疑問に感じている方は少なくないだろう。

これには確固とした理由がある。

まだ日本で公開されていない作品やシリーズを世間に認知させるのは至難の業だ。配給会社の広報担当や、PR会社の担当は、いかにその作品のタイトルや出演キャストの顔やイメージを購買者に定着させるかに
頭を悩ますことになる。

そこで、著名人に宣伝させることで、まず報道陣を集め易くするのだ。

報道陣、特にスポーツ新聞各社がこのイベントをニュースとして取り上げると、翌日の地上波テレビの情報番組やワイドショーのエンターテインメント(芸能ニュース)のコーナーで新聞紙面や映像クリップが使用される可能性が高まる。
テレビの影響力はまだまだ大きいので、"作品タイトルやキャスト情報"を普及させ易いのが、最大のメリットだ。この手法は、どこかの会社が企画して始めた頃は斬新だったり、画期的だったりして、それなりの効果を上げてきたのではないだろうか。

しかし、この形には問題点が多い。

◆ PRするべき映画や海外ドラマと全く関連の無い、"旬の"タレントを起用してしまう傾向にある。

ここで言う"旬な"とは、結婚や婚約を発表したばかりの人物や、一気にブームとなった人気お笑い芸人や、引退してタレントに転向した元スポーツ選手など。

その結果、映画やドラマそのものについてのトーク内容は編集でカットされ、婚約指輪がニュースの的になっているような本末転倒なケースを視聴者は何度となく目にしている。

◆ せっかく来日した主演や助演スター、監督らにスポットライトが当らない。

来日スターたちを、日本の女優やタレントが花束を持って迎えるような場面を見るが、舞台上で本当は誰をPRしたいのか? がわからなくなるような図式も多い。
来日した"お客"に失礼なのではないか? とハラハラするケースさえある。

翌日のスポーツ紙の誌面の記事の写真や見出しも、来日した人物中心ではなく、ゲストで登場した国内タレント中心になることがあり、実質、作品のPRになっていないことがある。

もちろん宣伝効果が無いわけではない。
人間には、よく目にするもの、よく聞く名前を、好きになったり親近感を覚えたりするという性質がある。
新聞紙面やテレビの情報番組を通じて、作品タイトルやリリース情報を少しでも視聴者や読者の意識に刻み付けられれば(作品や商品を選ぶ際に「このタイトル、なんか聞いたことあるな...」と感じさせられれば)、宣伝戦略としてはある程度成功なのかもしれない。

だが、皆さんに考えてみて欲しい。

「この宣伝手法で、得をするのはいったい誰なのだろう!?」

ということを。

1.配給会社はどうか?

理想は、作品タイトルと内容が、購買者や視聴者に浸透すること。
しかし、せっかく宣伝イベントを主催しても、もし視聴者や観客にメッセージが充分に伝わらなければ、効果のほどは不透明である(宣伝効果が実際は測定出来ない)。配給会社にとって必ずしもメリットになるとは言いきれない。

2.PRイベントや会見を企画する宣伝会社はどうか?

仕事として請け負うので、実績と売り上げにつながる。
但し、企画の段階で、本来は作品内容のPRについてのみ考えればいいところを、イベントに起用するタレントのブッキングやその対応にエネルギーを注がなければならなくなる。

3.タレントを提供する芸能事務所および、PRのためのゲストとして登場する国内タレント自身はどうか?

これも仕事として請け負うので、実績と売り上げになる。
メディアに露出するので、タレント自身のPRとしてもメリットが大きい。
しかし同時に、映画や海外ドラマの熱心なファンからは、
「なんでこの人が出てくるの!?」
と反発を買い、嫌悪されるリスクも負っている。
また、もしこのタレント本人が作品に対するファンでもなく、作品に関する知識も関係性も無ければ、その仕事は単なる"営業"の一つとなり、やらされている感が強くなる。そのイベントに向けた準備も負担になるだろう。
それでも、引き受けた以上はタレントはプロとしてしっかり頑張るのだから、大変である。
さらに、"旬だから" という理由で、あちこちで起用された場合、メディアでの露出が増えると同時に、飽きられるというリスクさえ負う。

それから、(俳優からの視点として)付け加えると、日本国内のスター女優や俳優たちが、海外のスター俳優や監督たちの歓迎に借り出される図式(※ 日本側のタレントがその作品の日本語吹き替えなどを務めている場合は別です )は、彼ら自身がその海外スターや監督の熱烈なファンで"一度お会いしたかった"というような感情や敬意を持っていない限り、やはり「なぜこの人がここに?」という印象は拭えない。
こういうイベントの場で初めて顔を合わせ、肩を並べて報道されることに、国内の女優/俳優陣が真に意義や価値を感じているのかは、不透明だ。

宣伝目的で、日本側だけが行う(作品と無関係の俳優やタレントたちによる)もてなしや歓迎儀礼的なスタイルは、不公平さやぎこちなさを感じてしまう。

というのも、
たとえば逆に、アメリカ国内で日本の映画の公開や試写がある場合に、日本の主演スターのためにアメリカのスターたちが花束を持って現れるなどということは無いからだ。

4.最後に、ファンの皆さんはどうか?

この宣伝手法から、何が得られるだろう。

ファンの皆さんは、映画やドラマシリーズの製作秘話や見どころ、出演キャストの取り組み方や人柄、といった奥行きのある内容を欲している。

「いい作品に出会うために、深く知るための、有益な情報が欲しい!!」

と感じているはずで、そのためにテレビを見たり、新聞雑誌を見たり、ネットの記事に注目している。
しかし、上記に挙げた問題点を抱える宣伝手法が続けば、熱心なファンたちはその知的欲求と渇望を満たすことができない。むしろテレビのエンタメ情報や新聞雑誌やネットの記事を見る度に、ガッカリさせられることになる。

真のファンは落胆し、国内タレントは反感を抱かれ、来日スターにとってもおそらくあまり感心はされないこの手法は、大きく改善の余地があると僕は感じている。

最も大切なのは、"ファン(顧客:ユーザー)の満足度"だ。

海外ドラマや映画のファンは、いわば"作品に深くハマりたい"人たちである。そのニーズが確実にあり、そこに応えなければならない。ビジネスの本当の相手を見誤っては、実りある収穫を迎えることはできない
だろう。

第2に挙げたい宣伝手法と問題点は、

作品の評価の基準と尺度の在り方だ。

よく洋画の(いや、邦画もだが)宣伝CMで見かけるのは、一般観客や試写に当選した参加者たちの、上映中の涙ぐむ姿や

「◯◯◯、最高~っ!!」
「感動しましたっ!!」

といった上映後のコメントを流すケースだ。

これにも功罪がある。

「皆が良いと言うんだから...」
「見ないと、話題についていけない」

と動員を促す効果がある一方で、視聴者個人の判断力をマヒさせ、本来見る価値の高くない作品までもが大ヒットしてしまうという現象が起きる。いい商品を買おうとしている人々にとって、これは落とし穴となる。

人は本来、個々が別々の人生経験を重ねており、感動の仕方や尺度は十人十色のはずだ。
しかしこの宣伝手法は、日本人の特性であるグループ志向を巧みに利用し、

「話題作だから、良い作品のはず」

という、根拠の薄いコンセンサスを生んでしまう。

これでは一人ひとりの観客の見る眼はだんだんと浅くなり、本当に素晴らしい
作品や演技を見抜けなくなる。

『100万人が泣いた』

というような宣伝のキャッチフレーズも同じだ。
実際には100万人を動員したというのが事実かもしれないし、仮に本当に泣いたのだとしても、100万人が泣いたから、自分も絶対に感動する、という方程式は成り立たない。

一般消費者に売れた数が感動を測る尺度なら、世界中で最も美味さに感動できる食べ物はファーストフードの
ハンバーガーということになる。

アメリカでは、興行的には大ヒットを記録した作品でも、批評家から酷評され、映画賞では無視される作品が山ほどある。だから、動員した人数だけではその作品の真の価値を測ることはない。

では何を基準にするのか?

それは、前回のコラムでも詳しく触れたが、信頼出来るメディアの映画/テレビ/演劇の批評家や、オピニオンリーダーとなっているジャーナリストたちのコメントや、権威ある組合や連盟などの賞の存在だ。

アメリカの新聞等の映画やドラマの広告には、「◯◯◯人が感動した」というような宣伝文句が書いてあることはない。モデルや人気コメディアンや歌手やスポーツ選手やタレントの感想コメントが掲載されていることも皆無だ。

有名人であることと、映画やドラマに関して見識が深いかどうかということはまったく別だからだ。

映画やドラマの宣伝に使用されているコメントは、ほとんどが有力紙やテレビの信頼された批評家/評論家のコメントのみである。

観客や視聴者を真に納得させるには、より信頼度の高いコメントや宣伝文句を伝える工夫が日本でも必要だと
僕は強く感じる。誰かが泣いたから良い!何万人動員したから良い!のではなく、その作品が、どんな点に見るべき価値があり、どんなクオリティーで、何が人々の心を揺さぶったのかを、地道ではあるが真摯に語っていくことが大切なのではないだろうか。

それが結果的に見る者たちの眼を育て、さらに多くの観客層を生み出すことになると信じたい。

*  *  *  *  *

近年主流となってきたこれらの宣伝手法の流れを変え、視聴者や読者の皆さんに、長く、深く、作品をPRするには、どんなやり方が有効だろうか?

ここからは、海外ドラマや映画ファンである皆さんと一緒に考えていきたい。

もしこれまで、テレビの芸能コーナーやスポーツ紙の芸能欄で、映画やドラマの作品情報をニュースとして流させることを命題としてPR戦略を練ってきたのだとしたら、いっそうのこと、いい意味で、それらを頼るパターンをやめてしまってはどうだろう?

たとえば、
人気テレビドラマ『パーソン・オブ・インタレスト』のマイケル・エマーソンやまもなく最終シーズンを迎える『フリンジ』のジョシュア・ジャクソンが、あるいはエミー賞の常連になりつつある『グッドワイフ』のジュリアナ・マルグリーズが、番組PRのために来日したとしよう。
そこで、彼らについての話題を、どれだけ日本のスポーツ紙の国内記者が紙面を割いて掘り下げようとするだろうか?
あるいは、地上波テレビの芸能コーナーのコメンテーターがどれだけマイケルやジョシュアやジュリアナについて細かに説明したり分析したり、熱意をもって語るだろう?
おそらくそんなことにオンエアー時間を注ぐことはできないはずだ。

それはなぜか?

スポーツ紙の読者層やテレビの一般視聴者層のターゲットが、海外ドラマのコアなファン層とは合致しないからだ。
大衆(マス)を対象とするメディアは、マイケルやジョシュアらの存在にさほど興味を示さないことが容易に想像出来る。
しかし一方で、熱烈な海外ドラマファンにとってこの三人は、じっくり見つめて話を聞き出してみたい、貴重なスターの存在であるはずだ。

映画ファンや海外ドラマファンは、《密度の濃い出来映えの内容》を求める傾向にある。彼らが情報を得ているのは、3分にも満たないテレビのニュースクリップでもなければ、小さな新聞記事ではおそらくない。

彼らが見るものは、専門誌、ネット上の映画サイト、海外ドラマサイトが主なものだろう。なぜならそれらに掲載される情報は "通好み" のものが多く、インタビューなども部分的にではなく、大きく掲載することが可能だからだ。

だとすれば、

宣伝に必要な力は、テレビや新聞的にキャッチーな "国内著名人の知名度" ではなく、記事やインタビューに関わる記者や編集者、コメントする専門家、批評家といった人たちの "情報収集力" であり、"見識" であり、"魅力を訴える力" である。

配給会社の広報担当の方々や、宣伝キャンペーンを手がけるPR会社の方々が求めるべきは、そういう【力】なのではないだろうか。
その【訴求力】の持ち主であるのならば、たまたまそれがグラビアアイドルであってもいいし、俳優であってもいいし、大学教授でもいいし、元格闘家だっていいのだと思う。

そしてその【訴求力】の持ち主を見出すためには、広報やPR担当の方々の、"こだわりと愛情" が必要となる。
それは、宣伝するドラマや映画への "情熱" である。

そのこだわりと愛で貫かれたPRは、必ずファンの心に伝播する。

製作本国で、キャスティングと脚本に徹底してこだわっている映画や海外ドラマを宣伝するためには、その宣伝の際のシナリオ(進め方と構成)とキャスティング(訴求力と知識の持ち主の選定)にも強くこだわって欲しい、と切に願う。

さて、
既存の宣伝手法に対し、一方的に意見するだけでは、お叱りを受けてしまうかもしれない。
アメリカで活動する僕のような俳優にとって、日本国内の洋画&海外ドラマ配給会社や宣伝会社は心強い味方である。
僕も、作品を日本に紹介し、リリースして下さる人たちの仕事の応援者であり続けたい。

そこで!!
このコラムの後編では、

僕の(ビジネス的には)素人の発想かもしれないが...大胆な宣伝戦略を提示してみたい。
その戦略のアイデアについても、ファンの皆さんの感想や率直な意見をお聞きしたいと思っている。

では是非、後編もお楽しみに♪