結論から言うと、これは本当。小説家に例えれば、まず原稿を書き上げた時に支払われる「原稿料」、これが俳優にとっての撮影時の《出演料》。そして、その原稿が本となり、市場で何冊も売れた場合に出た売り上げ額に応じて小説家に支払われるのが「印税」、この「印税」に(%はまったく違うが)似たシステムで、映画の初公開やTVドラマの初放送の後、映像が再使用された際に俳優にもたらされる追加報酬を《レシジュアル》と呼ぶ。

Screen Actors Guild:米国映画俳優組合(以下、SAG)

American Federation of Television and Radio Artists:
米国TVラジオ放送芸術家連盟(以下、AFTRA)

という2つの団体が定める、映画やTVドラマに出演する際の細かなルールによって、アメリカの映画・TV俳優たちの仕事に「印税」が発生することは、あまり広くは知られていない。

このルールの存在が、僕ら俳優にとって非常に大きな意味を持つ。

俳優が、SAG 協定に基づいた映画や AFTRA 協定に基づいたTVドラマ(いわゆる、劇場公開される作品やTVで放送されるメジャー作品やそれに準ずる大きめの独立系作品群は、これらの規定の下で撮影されている)に出演する場合、

まず、撮影前の段階で、"出演料" が決定する。

基本的には、組合のルールに従い、最低賃金が1日単位か週単位で発生するのだが、俳優の知名度やランク、役の大きさによっては、出演料が大幅に跳ね上がることもある。
その待遇の幅は、芸能エージェントと製作側の映画会社やTV局との間で交渉される。

そして、撮影が終わり、作品がついに完成し、劇場のスクリーンで映画が公開される、あるいはTVでドラマが放送される、これが、映像の「1次使用」。
つまり "初めての利用" だ。

次に、
人気映画なら、劇場公開後に、地上波やケーブル局や有料チャンネルが放送を始める。

人気TVドラマなら、再放送があり、その後にケーブル局や地方のネットワークに売られ、そこで放送される。

これが、映像の「2次使用」。
つまり再度(複数回)の利用となる。

やがて、それらの作品はDVDやブルーレイとしてリリースされる。
これも映像の「2次使用」だ。

これらの「2次使用」の際に、利益のうち一定の%が報酬として換算され、アーティストたちに《レシジュアル》として分配されるのだ 。

レシジュアルの額は、作品の種類や、役の大きさ(クレジットの高さ)、映像中の出演時間、などによって変わってくる。
主要キャストや、ゲストスター枠などで出演すれば、額は比例して大きくなる。
感心させられるのは、たとえセリフが1行の役柄でも(もちろん少額になるが)、このレシジュアルが発生することだ。

時折、思いがけず、このレシジュアルの小切手入りの封筒がポストに届いていると、安堵する。僕らにとって、死活問題でもあるし、これが届く度に

「あ、この映画、DVDが売れているんだな」

「このドラマ、今も再放送されているんだな」

と、作品が多くの人の目に触れていることを再確認もできるからだ。

通常は、レシジュアルが発生するのは、早くても作品の初公開から1年前後だったりする。2次使用までの時間差が長いからだ。
しかし、人気のTVドラマ作品なら、あっという間に再放送され、数か月後にはこの追加報酬が届くことがある。

こんなケースもあった。
シットコム『ママと恋に落ちるまで』(2011年CBS)に出演し、放送された際、僕の忍者姿の場面がTVの予告スポットにも使用されたため、端役だったのにもかかわらず、予想よりも高額のレシジュアルが届いた。
これは、番組のエピソード自体の放送が1次使用であり、予告スポットは2次使用として計算されたためだと思う。

FOXが今年放送を開始したキーファー・サザーランドの新作『TOUCH』は、また別の形のケースだ。
このドラマは、全米での放送とほぼ同時に100か国で放送や配信がスタートした。外国での放送や配信は、2次使用の枠に入る。そのため、レシジュアルが計上される時期が圧倒的に早かった。

もっとも驚かされたのは、2008年に無償で出演した短編映画『THE 8TH SAMURAI/八人目の侍』(後に商業利益を生んだ時にのみ、配収が分配されるという契約を結んだ)のケースだ。この作品がのちにフランスのTV局で放送され、ある日突然に少額ではあるが報酬が届いた。
短編映画が利益を生んだこと自体もニュースだったが、さらにヨーロッパの一国で放送されたビジネスの利益の一部が、組合を通じて米国に住む俳優の手に届くというシステムに、僕ら出演者たちは目を丸くした。

レシジュアルからは話が少し逸れるが、
2009年ABC放送の『フラッシュフォワード』では、出演した第9話「ケイコ」のシーン映像が、シーズン途中の総集編で回想として使われた。
これは、9話の再放送(いわゆる2次使用)ではなく、特番エピソードの一部として新たに構成された回だったので、"出演料"(出演時の最低賃金)が再び発生した。

肖像の映像としての使用のルールが、僕らの想像以上に徹底して定められているのだ。

「俳優」という職業には、ハッキリと約束された未来がない。
毎朝、出勤時間が定められているわけでもなければ、毎月振り込まれる定額のサラリーもボーナスもない。
日々の闘いで最も大切なことは、確かな見通しがなくとも、自分の能力と可能性、そして必ず報われると信じ、努力を止めないことだ。

とはいえ、
努力を維持するのも無料とはいかない。
演技や英語のコーチをつけたり、習い事に通ったり、カメラマンを雇って自分の宣伝写真を撮るのにも、先行投資が必要だ。
楽しい食事を友人とし、英気を養うにも、お金はかかる。
俳優も、経済社会の中で生きているのだ。

ロサンゼルスの中心部では、レストランで、ちょっと見た目が良くて、愛想もよく、笑顔が弾けているウエイトレスやウエイターがいれば、まず女優か俳優の卵だと思って間違いない。
バイトで生活を支えているのは、どこの国の俳優事情も同じだ。

但し、

「映画やTVに出演が叶い、仕事をしても、キャリアの浅いうちは喰えない」

という事情と、

「映画とTVに出演が叶い、働けば、無名であっても一定の報酬が生まれる」

という事情では、

"不安定な職業" の意味合いがまったく違ってくる。

ハリウッドの業界の環境は、後者だ。
俳優たちが、シビアで強固な基準で守られている。

年間、組合が俳優に郵送するレシジュアルの小切手の枚数は、150~160万枚にも及ぶという。
10ドル単位から百ドル、千ドル、時には1万ドル単位の小切手もあるわけだが、いったい業界全体で、どれほどの追加報酬を生み出しているのかは、想像もつかない...。

何年も前に出演を果たした作品が、今でも人々の手に届き、その頃に身を削って生み出した演技が、今も経済的な利益を生む。

僕の仕事は"不安定" だ。
異国人であることが不利である面も、やはり多い。

でも、
それでも前進できるのは、
数万人の組合員が手を組み、鉄壁の守りを築いてくれているからだ。