なぜ、マーベル・スタジオの実写作品の《ユニバース化》は成功し続けているのか!?〈前編〉

(※注意:このコラムの文中のキャラクターの名称や、監督名・俳優名・女優名などは、原語または米語の発音に近いカタカナ表記で書かせて頂いています)

「誰も気にかけていなかったキャラクターのことを、皆が気にかけるようになる」

極々シンプルに言えば、これが映画1本に与えられた命題である。

この大切な命題を、わずか2時間の上映の間に成し遂げることができれば、観客たちは最後の瞬間まで主人公たちを好きになり、時には憎み、軽蔑し、心配し、応援し、成長した暁には拍手さえしてくれるのだ。

1本の作品でも、この命題を確実にクリアすることは難しい。

だから数多くの名作・傑作もあると同時に、おびただしい数の駄作も、この世には存在する。

1本でもヒットさせ、ハイリターンを得ることが至難の業である映画業界の競争の中で、10年間に17本の映画をリリースし、批評家の好評価やファンたちの絶大なる人気をかなり高い確率で獲得している映画スタジオがある。

それがマーベル・スタジオ(MARVEL STUDIOS)である。

スーパーヒーローの映画やドラマを一切観ない人でも、今では『アベンジャーズ』というタイトルを知らない人はいない。だが、世界でも最大級のヒットコンテンツとなった"アベンジャーズ"という名前を、僕らは10年前、気にかけていただろうか?
アイアンマンキャプテン・アメリカソーの特徴や性格やルックスを、皆さんは知っていただろうか?

「日本国内では、それほどアメコミのキャラクターはあまり知られてはいなかったよ...」

と思う方は多いだろう。
しかし10年前には、米国の映画ファンたちでも、アイアンマン?ソーって誰?という認識で、それほど我々と差はなかった。
筆者が渡米した2007年には、"アベンジャーズ""トニー・スターク""スティーヴ・ロジャーズ""アスガルド"...といった名称が、一般的なアメリカ人の友達らと話していてトピックにあがることはなかったのだ。
それらを熟知し支持していたのは、熱烈なコミックファンたちだけだったと言っても過言ではない。

2018年の今日、マーベル・スタジオは、映画一本一本を積み重ね、それらを緻密に絡め合わせた「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」という壮大な映像世界を構成し(2018年には全20作品に達する)、そこに登場するキャラクターたちの運命を、米国内だけでなく全世界の観客たちに"気にかけさせる"ことに成功しているのだ。

広がりゆく連結の試みは、映画史上でも類を見ないスケールの偉業と位置付けてもいいだろう。

では一体、この《ユニバース化》を成功させている要因とは何なのか?

方程式があるのか...? 戦略があるのか...?

このコラムでは、メディアで伝えられている製作の背景から、あまり紹介されていない舞台裏にまで、迫ってみたいと思う。

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1:マーベルに特化したスタジオの冒険

まもなく80年に及ぶ歴史を誇るマーベル・コミック。その歴史はそのまま、ストーリーの宝庫である。
存在するキャラクターの総数は実に8000以上とも言われている。

しかし一昔前まで、僕らの記憶にあったマーベルのスーパーヒーローたちといえば、1970年代に米国で放送していたテレビ版の超人ハルク、同じく1970年代に日本の東映が独自に米マーベルと提携して製作していたスパイダーマンのテレビ特撮番組、そして近年では2000年代初頭に実写化された映画版のX-メン(20世紀FOX)、ハルク(ユニバーサル・ピクチャーズ)、そしてサム・ライミが監督したスパイダーマン(コロンビア映画:SONYピクチャーズの傘下にある)...といったところであった。

特にX-メンとスパイダーマンは、興行的にも大成功を収め、シリーズ化されてきたので認知度も高い。
2000年代に何社かの大手映画スタジオがマーベル・キャラクターたちの実写化を手掛けてきたのは、1990年代に業績不振に陥っていたマーベル・コミックが、それらの映画スタジオに多くのキャラクターの「映画化権」を売り渡してしまっていたからだ。

しかし2000年代初頭まで、『スパイダーマン』と『X-メン』の2大ヒット作を含めた"コミック原作のヒーロー映画"の数々は、まだ映画界の中心的な存在ではなく、コミックマニアたちの注目の枠を徐々に越え、一般的な映画ファンの視線をようやく集め始めたばかりだった。
スパイダーマンとX-メンとハルク以外のマーベルのコミック・キャラクターたちには、依然としてマイナーなB級感が漂い、ほとんど知られてはいなかったのだ。

だが2008年、それまでの"コミック原作のヒーロー映画"の歴史を塗り替える、2作品がこの世に誕生した
1本はDCコミックスの映画として過去最高の評価を獲得したクリストファー・ノーラン監督の傑作バットマン3部作の2作目『ダークナイト』
そしてもう1本が、マーベルのブランド力を一気に押し上げた伏兵『アイアンマン』である。

世界中からすでに長年にわたって認知されていたバットマンというキャラクターに対し、一方のアイアンマンはそれまで一般映画ファンの間では無名。誰も知らない、誰も気にもかけていないキャラクターに、監督ジョン・ファヴローの強い推薦で主人公トニー・スターク役にロバート・ダウニー・Jrが抜擢された(※アルコール依存症やドラッグなどで身を崩しかけたイメージが当時はまだ消えていなかったRDJの起用に周囲は反対した)というギャンブル的な配役を実現。業界内ではリスキーと見られていた野心的なインディペンデント映画だった。
そう、この時点では『アイアンマン』は、巨大な予算を投じてはいたものの"インディペンデント(独立系)"的な作品だったのだ。配給は当時パラマウントが手掛けた。

2000年代初頭までのいわゆる"マーベル作品"と何が違っていたのだろう?

『アイアンマン』は、ちょうど幾つかのキャラクターの映画化権を取り戻していたマーベル・エンターテインメント(マーベル・コミックの親会社)が、自社の映画制作部門である「マーベル・スタジオ」に、独自に、直接的に、スーパーヒーロー映画を創り上げさせた《第1弾》だったのだ

「独自に、直接的に」が何を意味するかと言えば、

「長年、マーベルの宝庫に溢れていたキャラクターやストーリーのコンテンツを、"自らの手"で存分に活用し、コミックファンたちの持つイメージを極力壊したり裏切ったりせずに、映像化することを可能にした」

ということだ。
マーベルのブランド自体が、外部の映画会社のフィルターを通さずに、元々あるコミックの作家性に忠実な形でスーパーヒーロー映画を創るという画期的な路線を歩み始めたのである。

マーベル・シネマティック・ユニバースの第1弾となる『アイアンマン』のエンドロール後には、極秘に撮影したサミュエル・L・ジャクソン(S.H.I.E.L.D.長官ニック・フューリー役)とロバート・ダウニー・Jrの短い共演シーンが、付録のように追加されていた。MCUの今ではすっかりおなじみとなった、(Post-Credits Scene, Tag Sceneと呼ばれる)あのエンド・クレジット・シーンだ。

そのシーンで、ニック・フューリーはトニー・スタークにこう語る...

「あなたは世界の中でスーパーヒーローは自分だけだと思っているのか? スタークさん、あなたは大きなユニバースの一部となったに過ぎない。まだそれを知らないだけだ」

《第1弾》の作品にして、のちの「壮大な世界観の確立=ユニバース化」を宣言していたのだ

2:世界観を統率するリーダーの存在

『アイアンマン』公開の2年前、2006年のサンディエゴ・コミコンで、近い将来の「アベンジャーズの結成(実写化)計画」をファンたちの前で発表した男がいる。
その名はケヴィン・ファイギ。今や名門ブランドとなったマーベル・スタジオの現CEOであり、すべてのMCU作品のプロデューサーである。

 

映画の監督の名や主演スターの名に世間が注目することはあっても、プロデューサーの才能と実力を話題にすることは少ない。しかし、コミックのスーパーヒーロー映画を生み出す人物としてケヴィン・ファイギだけは別格である。製作者として業界トップに立つ一人で、米国のファンの間でも、筋金入りのコミック識者だという側面は知られている。自らも「ずっとマーベルのファンだった」と公言しているほどだ。

ただし、より重要な事実は、彼が"コミック畑"出身の人ではなく、揺るぎない"映画人"である、ということだ。

彼は、ジョージ・ルーカスやロバート・ゼメキス、ロン・ハワード、ボブ・ゲイルを輩出した南カリフォルニア大学のフィルムスクール(USC School of Cinematic Arts)を目指した映画っ子だった。しかも同大学に5回も申請を却下されるも、なんと6度目まで諦めずに挑戦し、ついにこの映画の名門校への進学を叶えた苦労人であり、強者なのである。

面白い縁だが、ファイギは同校在学中にリチャード・ドナー(1978年のDC映画『スーパーマン』の監督)とプロデューサーの妻ローレン・シュラー・ドナーの会社のインターンとして合格し、ローレンのアシスタントとして映画キャリアをスタートしている。
そのローレンがのちに20世紀FOXの『X-メン』を手掛けたことから、ファイギ自身にも当時のマーベル映画の製作助手として携わる道が拓けていったのだ。彼のマーベル・コミックへの深い知識と理解は高く評価され、その後コロンビア映画の『スパイダーマン』にも、制作エグゼクティヴの一人として起用されている。

彼は数年間にわたり同様のスタンスで、映画会社との共同で次々と作られた大小のマーベル原作映画に関わっていったのである。その何年かの間、各映画会社のビジョンと作風で市場に送り出されていくコミック映画の制作過程で、自身の意見が通ることもあったが、見過ごされたアイデアも多かったという。
ファイギにとってコミック原作作品として何が機能するかを現場レベルで学んだことはもちろん有益であったが、同時に自らの豊富なアイデアをフルに活かせない現状にフラストレーションを感じていたのだ。

この時期の貴重な蓄積と苦労が、自らが先頭に立って指揮したマーベル・スタジオの初回作品『アイアンマン』で開花したのである。今でも、ジェームズ・ガン(「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の監督)がMCUの中で最も『アイアンマン』を評価しているのは、同作が心意気と才能と爽快感の全てが結集した象徴的な一本だからだろう。

将来のユニバース化をアイデアとして温めていたとはいえ、もしこの「勝負の1本目」がサマームービーとして大コケしていたら、その後の世界観の形成は不可能になり、スーパーヒーロー映画の連続的な登場は今日の勢いほどには続いていなかったに違いない。

~〈中編〉では、"スーパーヒーロー"のストーリーにあるリアリズムなどについてお伝えする。お楽しみに!~

Photo:
『アベンジャーズ』 TM & (C) 2012 Marvel
『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』 (C) 2016 MARVEL
ケヴィン・ファイギ (C) JMVM/FAMOUS