なぜ、マーベル・スタジオの実写作品の《ユニバース化》は成功し続けているのか!?〈中編〉

(※注意:このコラムの文中のキャラクターの名称や、監督名・俳優名・女優名などは、原語または米語の発音に近いカタカナ表記で書かせて頂いています)

1本であってもヒットさせ、ハイリターンを得ることが至難の業である映画業界において、2008年からの10年間に17本の映画をリリースし、批評家・ファンの双方から高い支持を獲得しているマーベル・スタジオ(MARVEL STUDIOS)。映画一本一本を積み重ね、それらを緻密に絡め合わせた「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」という壮大な映像世界を構成する、他に例を見ないほど巨大なスケールの試みが成功し続けている理由に迫る集中連載。2回目の今回は、"スーパーヒーロー"のストーリーにあるリアリズムや、脱線からの素早い軌道修正について。

3:共感を呼ぶ、設定とリアリズム

マーベルのキャラクターたちは、個々の胸の内で葛藤に揺れている。

第二次大戦時代に誕生したヒーローであり、最初のアベンジャーであるキャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンズ)ことスティーヴ・ロジャーズは、肉体が貧弱だった頃にはイジメに遭った。国や組織へ忠誠を誓ってからは、個人の自由や信条を虐げられ、その矛盾に苦悩する。70年間、氷の下で仮死状態にあったことで、戦時中に成就することができなかった恋も忘れることができず、戦闘中に親友バッキーを失ったことも、心のトラウマとなっている。
映画『キャプテン・アメリカ』の1作目は、原作と同様に第二次大戦の時代のナチスドイツや悪の結社HYDRA(ハイドラ。日本での一般的な表記はヒドラ)との攻防を描き、シリーズ2作目の『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』では、現代の平和維持組織S.H.I.E.L.D.内に渦巻いた陰謀に立ち向かうことになる。

アイアンマンも古い時代に描かれたコミックで、原作の舞台設定はベトナム戦争の真っ直中だった。これを実写映画化にあたり現在のアフガニスタンに置き換えている。トニーはテロリストに拉致された際、自社スターク産業で製造された武器や弾薬が戦地で米国兵士に対して使われていた事実を知り、その体験をきっかけに兵器製造を止めることを宣言する。
彼はコミックではアルコール依存症にも苦しめられるのだが、映画では『アベンジャーズ』での戦い以後にパニック障害を患い、発作に襲われる状態に陥っていく。トニーが抱える不安や悪夢は、ユニバース全体の中でも重要なストーリーの軸の一つになっている。

ハルク(マーク・ラファロ)は、身体が巨大化し暴走するという自分ではコントロールできない欠点を内包する。無意識に街を破壊し、人々を傷つけてしまう凶暴性から逃れることができない。超人的な強度の肉体は、自死を選択する自由さえ奪っている。
マイティ・ソー(クリス・ヘムズワース)はアスガルドの国の王位継承に自分がふさわしい人格者であるか?という問いにさらされ、義弟ロキ(トム・ヒドルストン)との確執は兄ソーが築こうとしている平穏を常に脅かす。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の登場人物たち(クリス・プラット、ゾーイ・サルダナなど)は"真の家族"への愛情に恵まれずに育ち、ドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)は天才外科医としての技を操る手先を交通事故で失ってしまう...。
20180117_marvel_02.jpg【関連記事】『SHERLOCK』と『ドクター・ストレンジ』の共通点って? ベネディクト・カンバーバッチ直撃インタビュー

このように、"スーパーヒーロー"といえど決して無敵の強さではなく、皆が何かの壁にぶつかりながらも、世界や宇宙の平和に貢献することを志し、引き寄せられるように集結する。
そして人々のために「身を挺して戦う」という純粋さと成長の過程に、人々は感情移入していくのだ。

また、精神面だけではなく物語の起こる場所の設定や画作りにも、共感を呼ぶ要素を見出すことができるので触れておきたい。

マーベルの映画の色味は明暗のコントラストがあまり強くなく、ごく普通の青空の下で戦闘が展開する場面が多い。
地上での戦闘を描写した場面のトーンも日常的な明るさで描かれる。観客にとっては見やすい画面とも言えるが、「芸術的な深みの画が少ないのでは!?」という指摘が一部の映画ファンからあるのも事実だ。

しかしそれさえも、観客にとってリアルな臨場感を生む工夫なのだ。

コミックの物語は、基本的には「架空」設定(フィクション)で構成されている。だが、マーベル・スタジオの作品群では、事件や問題が実在の国・地域・都市で展開することが多い。
『アイアンマン』のアフガニスタンや『キャプテン・アメリカ』のドイツだけでなく、『マイティ・ソー』の米ニューメキシコ州、『アベンジャーズ』の決戦の地のNYマンハッタン、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』のナイジェリアのラゴス、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の米ミズーリ州、『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』の東欧や韓国のソウル...と、枚挙に暇がない。
2018年に公開の『ブラック・パンサー』も、舞台となるワカンダという王国自体は架空の地名だが、アフリカに存在する国だという設定をファンたちは皆知っている。さらにこのユニバースの集大成になるという2019年公開予定の『アベンジャーズ』4作目では、日本の街並みのシーンが撮影されたことが報道されている。

見慣れた場所にスーパーヒーローが居たり、悪役が姿を現すことで、迫り来る事件や事象を観客はより身近に感じることができる。危機が今、我々の住む世界に襲いかかっていると疑似体験させることができるのだ

MCUの作品群の中でも傑作と言われている『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』では、S.H.I.E.L.D.の本部の在るワシントンD.C.で物語が展開する。1970年代の政治スリラーのような作風を目指したこの作品の色使いは、ほぼ灰色や黒のモノトーンである。S.H.I.E.L.D.のビル、カーチェイスが起こる街中、銃撃戦の起こるハイウェイ、ウィンター・ソルジャーやファルコンらの衣装...、派手さを抑えた全体の色合いは、主人公キャプテン・アメリカを取り囲むひんやりとした雰囲気や現実世界の無慈悲な冷徹さを観ている者により強く感じさせる。

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時空や街が魔術で歪む『ドクター・ストレンジ』でも、原作のサイケデリックなスティーヴ・ディッコの画を色鮮やかに再現した異次元の空間のシーンがあると同時に、NYでの大格闘では目の前いっぱいに広がるビル群の描写は、ごくごく普通に我々が日常で目にするリアルな街のトーンで統一されている。そこに芸術的なコントラストの強い色使いはない。目を凝らして見ていると、視覚効果で万華鏡のように織りなす光景の中で、分裂したりねじ曲がる微細な一つひとつの映像のかけらには、実在するビルや地下鉄の壁の模様などが取り入れられている。地下鉄の駅名の看板の文字やタイルの色を目にすると、そこはまさしくNYのど真ん中だ!と実感するのだ。このような徹底ぶりは実に楽しい。

このユニバースの中には、昨年封切られた『マイティ・ソー/バトルロイヤル』や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のような弾けまくった原色パレットのスペース・オペラがある一方で、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』のドイツの空港や『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』でホークアイ(ジェレミー・レナー)が帰る田舎の一軒家や庭先のような日常的な景色がいくつも見られる。

それらの何の変哲もない現実的な光景が、

「架空だが、すべてが架空ではない、リアリスティックに感じさせるライン」

を巧みに生んでいるのだ。

4:じっくり、ムダなく続編を積み上げる

映画やテレビドラマを創作する上で、傑作やヒットシリーズの続編を質を落とさずに提供し続けるのは容易ではない。
ましてやユニバースに共存する作品を、主人公を入れ替えながら17本もムダなく重ねてきた試みは、『スター・ウォーズ』や『007』のような足かけ数十年間にわたって続いてきたおなじみの長寿シリーズとは一線を画す異例さだ。

MCUにも、"続きモノ"を製作する道のりで、手放しで「秀作」とは判断されなかった作品がいくつかある。
アイアンマンの続編『アイアンマン2』、マイティ・ソーの続編『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』、アベンジャーズの続編『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』といった作品は、1作目よりも批評家のスコアが下降した例だ。
しかし、これらの作品群は巨大なユニバースを形成する上で、非常に意義深い役割を果たしている

それは、「土台づくりと伏線の配置」に時間を充分にかけた、ということだ。

『アイアンマン2』では、S.H.I.E.L.D.の長官ニック・フューリーと同組織のエージェントであるブラック・ウィドウ(スカーレット・ジョハンソン)が登場し、彼らがヒーローたちや超常現象の存在の裏で世界の平和を守っているという、このユニバースに流れる"血管"もしくは多くの作品を繋げる"接着剤"のような立場を観客に紹介している。
果たして、この2作目なくして、その2年後に公開される『アベンジャーズ』の集合映画をいきなり成功させることができただろうか?
脚本の出来という意味では、詰め込みすぎという批判はある。しかし今振り返れば、アイアンマンの相棒となるウォーマシン(ドン・チードル)を活躍させたことも、なくてはならなかった要素だと言うことができるし、『アイアンマン2』の最も重要な功績は、トニー・スタークと彼の親であるハワード・スターク(ジョン・スラッテリー)との父子の関係をハートフルに描いたことである。この二人の愛憎入り混じる絆は、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』で再び掘り下げられ、同作のクライマックスでは強烈なボディブローとして効いてくる。また、父の愛に恵まれなかったトニーという構図が、『スパイダーマン:ホームカミング』で主人公のピーター・パーカー(トム・ホランド)を親心をもって見つめる立場に立った時に、さりげなく響いてくるのだ。
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強固な「土台」がなければ、しっかりとした建物がそびえ立つことはない。
豊かな土壌がなければ、太い幹や息づいた葉や魅力的な花々が育つこともないのだ。

映画史上稀に見るスケールの世界観を構築する上で、アイアンマン=トニー・スタークという一つのキャラクターに初期に2本分の映画の時間を投入した賭けは、確実に、ユニバースのその後の展開に大きな影響を及ぼしている

アメコミ映画を語る際に、全般的な欠点としてよく指摘される点に、「悪役」のインパクトの弱さがある。
脚本の中で、ヒーローたちの関係性を描くことが重要視されることから、敵対する役柄の奥行きが深まる時間やスペースがないというのは、切実な問題である。

マーベル・スタジオの作品群の中で、よく批評の槍玉に挙げられるのは『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』のダークエルフの支配者マレキスだ。マレキスに限らず、『マイティ・ソー』1作目に登場したフロスト・ジャイアントやデストロイヤーといった悪役も、背景があまり描かれていないため記憶に残りづらいことに変わりはない。彼らは、どれも"敵対する役"であるが"悪玉"ではない。悪い言い方をすれば、ソー自身とソーの持つハンマーの神がかった威力を観客に見せつけるための咬ませ犬に過ぎない。
『マイティ・ソー』シリーズの中で本当に重要な"悪玉"はソーの義弟のロキだ。明るさと強靭さが魅力のソーに対し、屈折して狡猾なロキは手に負えない存在。ロキの裏切りは、彼らの祖国アスガルドの運命を揺るがす。1作目でじっくり描かれた兄弟の深い確執は、『アベンジャーズ』で決定的な亀裂と危機を生む。
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MCUでは、第1フェーズ(1~6作目)の中で、悪玉ロキに2作分を割いている。アスガルドの王位や父オーディン(アンソニー・ホプキンス)の愛をめぐる彼ら兄弟の争いは第2フェーズ(7~12作目)の『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』でシリアスにさらに掘り下げられ、その暗部とも言える過去があってこそ、第3フェーズ(13~22作の予定)の『マイティ・ソー/バトルロイヤル』で彼らが共に戦い、強敵を打ち破るクライマックスに観客たちは歓喜するのだ。

ソーとロキの相反する人格描写に時間を割いてきたことは、MCUの華の一つとして開花したが、もう一つ忘れてはいけない絶対的な「伏線」の存在がある。それは、堕落するロキに手を貸し、彼の背後で地球侵略(『アベンジャーズ』のNY決戦)を操った悪の権化サノスをこのユニバースに登場させたことだ。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』では悪役ロナンを上回る支配者の印象を残し、『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』でもサノス(ジョシュ・ブローリン)を再び登場させ、「いいだろう...俺が自分でやる!」とついに自ら戦いに打って出る宣言をさせている。

その『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』もアベンジャーズの奇跡的な1作目の大成功と比べると、批評家やファンの支持率では劣る。
しかし、新たなアベンジャーズの一員となるスカーレット・ウィッチ(エリザベス・オルセン)を登場させたり、ソーの王国アスガルドの崩壊危機:ラグナロクをほのめかしたり、トニー・スタークの悪夢を映像化したりと、ユニバースの将来に向けていくつもの伏線を張り巡らせたという意味では、『アイアンマン2』と同様に"土台づくり"にかなり貢献している。
この作品で初登場したヴィジョン(ポール・ベタニー)というキャラクターは、雷神ソーの力をも上回るパワーを持つことが判ったが、彼の額にはサノスが手中にしようと狙うインフィニティ・ストーンという石の一つ(マインド・ストーン)が埋め込まれている。2018年春に公開される『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の予告編には、その額の石を奪われるような描写があり、ヴィジョンが苦悶の表情で叫び声を上げている。すでに『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』で再登場しているヴィションは、元々はアイアンマンを常に分析サポートするAI執事ジャーヴィスから進化を遂げたヒーローであり、ファンに深く愛されているキャラクターである。MCUの集大成作品『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』に向け、あらゆる伏線は用意され、観客の心を揺さぶる舞台は整っているのだ。

映画史に類を見ない最大のクライマックスに向け、10年間を注いできた伏線やサブキャラクターにムダはなく、「続編」が弱点にならずに大切な"つなぎ役"として機能しているのが、このユニバースの強みなのである。

5:長期の取り組みの中で生かされる反省、繰り出される新鮮味

マーベル・スタジオの作品作りの道のりでは、少なからずファンを心配させたり、やきもきさせたり、落胆させたりした瞬間もあった。
例えば『インクレディブル・ハルク』で主演を務めたエドワード・ノートンのその後の出演が立ち消えになったこと。あるいはシリーズ作品群の監督候補からエドガー・ライト(『ベイビー・ドライバー』)やパティ・ジェンキンズ(『ワンダーウーマン』)らが外されていったこと。『アベンジャーズ』シリーズ2編を監督したジョス・ウィードンでさえも、自分が意図した映画作りとスタジオ側の意向がクリエイティヴ面で衝突し、ユニバースの仕事からは今は離れている。

一時は、巨大ユニバースの作劇のトータル的なコントロール下では「監督らの独自の作家性がないがしろにされているのではないか?」という危惧がメディアでも語られた。

MCUの作品は、もはや1本の映画が単独作の使命を超えて世界観を構成しているため、映画作家(監督や脚本家)とプロデューサー陣は常に双方が頷ける妥協点を探る必要がある。
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例えば、マーク・ラファロの前にハルクを演じていたエドワード・ノートンは、作品の脚本や編集に熱意を抱いて自ら関わるタイプの俳優である。『インクレディブル・ハルク』(シリアス路線でドラマ性もあり、筆者は個人的には嫌いではない1本)は、映画の最後にエドワード・ノートンの印象深いクロース・アップで幕を閉じる...。ところが!そう思いきや、暗転後にいきなり唐突にロバート・ダウニー・Jrが姿を現し、ロス陸軍将軍(ウィリアム・ハート)と"アベンジャーズ計画"について話す、というエンド・クレジット・シーンが付け加えられている。
今でこそ「付録のシーン」を観客は楽しみに待っているが、事実上ロバート・ダウニー・Jrのセリフとアップで終わる映画になっていることに仮にノートンが異を唱えたのだとしたら、その気持ちは俳優としてよく理解できる(もちろん、創作上の意見の食い違いはこの点だけではなく、様々な面があったはずだが...)。

対してプロデューサー陣の思惑としては、『インクレディブル・ハルク』がまだMCUの2作目だったことを考えると、この映画がユニバースを構成するパズルの1ピースであることを観客に知ってもらうためには、エンド・クレジットが始まってしまう前に「トニー・スターク」の登場を見せる必要性があった(※エンドクレジットが一旦流れ出したら、観客たちは席を立ってしまうから)。
ちなみに、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』では陸軍を退役して国務長官となったロスが再登場し、世界の安全協定とアベンジャーズの存在意義をトニーたちに問うストーリーラインがあることから、この『インクレディブル・ハルク』での斬新な伏線シーンの試みは、8年後に見事に回収されている

これまでの17作品を振り返ってみると、実際に監督らの「作家性」が明らかに削がれてきたのかといえば、決してそんなことはない。
そもそも、『アイアンマン』のジョン・ファヴロー監督はインディペンデント的な映画作りを貫き、近年では『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のジェームズ・ガン監督はほとんどユニバースに絡まない物語構成で単独作品的な1作目を成功させている。『マイティ・ソー/バトルロイヤル』に至ってはタイカ・ワイティティ監督が、前2作のイメージを塗り替えてしまうような破天荒な独特のコメディタッチで、主演クリス・ヘムズワースの才能を爆発させた。
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そして、それぞれの映画は「無敵のヒーローが敵を倒す」というシンプルな型に留まらず、戦争時代モノ/政治スリラー/バディ・ムービー/愛憎劇/スペース・オペラ/泥棒(強奪)モノ/学園ドラマ...といったように、むしろ作風は多岐にわたり、飽きさせることがない。監督として作品を委ねる人材も、知名度にこだわらずに適材適所での起用を実現している。

続編として唯一、マーベルの米国のファンが首をかしげたのは『アイアンマン3』である。監督のシェーン・ブラックの色が強すぎた感が否めないことはともかく、トニー・スタークの宿敵であるマンダリンを原作の中国系の武闘派キャラクターからまったく違う方向へ脚色してしまったことへの落胆の声は強かった。撮影監督は名手ジョン・トールで全体の映像は素晴らしく、圧巻の見応えの空中ダイビング・アクションによる救出シーンもあり、映画としての(一般ファンを喜ばす完成度には達しているので)批評家の評価も高いのだが、中国市場への配慮のために"敵"役像を変えてしまったのではないか?という、製作サイドへの批判はかなり多く聞かれた(※俳優目線で言えば、トニーを苦しめる強敵を演じるアジア人俳優の登場も見たかっただけに残念でもあった...)。

しかし、対応は速かった。『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』のディスクなどに収録されている短編映画マーベル・ワンショットのシリーズに『王は俺だ(All Hail The King)』というベン・キングスレー(『アイアンマン3』で、"マンダリン"の名を語ったトレバーを演じている)主演の作品がある。この短編の中で「実は本当のマンダリンは別に存在する!!」ということが明かされている。この物語面での修正がなされたことで、ファンたちは本物のマンダリンがいつの日かこのユニバースに登場する日が来るのでは...?という密かな希望を抱くことができている。

このように、映画を取り巻く人々の声や、コミックファンの声に対して敏感に反応してきたプロセスを経て、現在の空前の連続ヒットと広い支持があるのだ。

~〈後編〉では、制作現場における知られざる一貫性などについてお伝えする。お楽しみに!~

Photo:
『アベンジャーズ』 TM & (C) 2012 Marvel & Subs
『ドクター・ストレンジ』 (C)2016 MARVEL
『スパイダーマン:ホームカミング』 (C)Marvel Studios 2016. (C)2016 CTMG. All Rights Reserved.
エドワード・ノートン (C) AVTA/FAMOUS
『マイティ・ソー バトルロワイヤル』(C)Marvel Studios 2017