米国業界の内側から見えてくる!第93回アカデミー賞の焦点

いよいよ目の前に迫りました、第93回アカデミー賞授賞式。米国の映画産業と俳優組合に身を置く者として「受賞の行方」を毎年占ってきましたが、今年、ここで僕が分析するのは"予想"ではありません。今回は、是非、映画ファンの皆さんに注視していただきたい【2つの重要ポイント】を例に挙げ、今、ハリウッドの業界が何に重点を置き、今後はどこを目指していくのか、その方向性について語ってみたいと思います。

(※ 注意:このコラムの文中のキャラクターの名称や、監督名・俳優名などは、原語または米語の発音に近いカタカナ表記で書かせて頂き、敬称も略しています)

 

◆ なぜ『ノマドランド』が、作品賞受賞を絶対視されているのか?

映画ファンの皆さんは『ノマドランド』が2020年度の映画賞を総ナメにしていることはご存知だと思います。中国の北京出身、NYで映画制作を学んだクロエ・ジャオ監督が、オスカー女優フランシス・マクドーマンドを主演のポジションに据えて生み出した秀作です。

作品の題材は、米国西部の大地を転々としながら車上生活をしている人たち(※ nomad とは、もともとは遊牧民や放浪者という意味)の生き様。

真の"主役"は、実際のノーマッドたちだと言っても過言ではないかもしれません。地方都市をワゴン車などで移動しながら、季節労働者として職を探しながら渡り歩く人々の中には経済的な苦しさに追われた人や、リタイア後の高齢者で、このライフスタイルを自ら選択した人もいます。

一見、派手さのない、娯楽作でもない、この最小限の数のスタッフによって撮影された映画が、なぜここまでの評価を得ているのでしょうか?

それは、ジャオ監督の「深く、心ある洞察」そしてフランシス・マクドーマンドの類い稀なほどの「包み、包まれるように関わり合っていく力」にあります。

ジャオ監督の演出は、作為的な"芝居"をできる限り削ぎ落としています。

シーンの中に「居て」、相手や景色を「見て」、言葉や音を「聴き」、目的に向かって「行動する」という、演技の原点を、マクドーマンドは体現します。

「そこに居て、耳を傾ける」というのは、米国の演技教育の基本ですが、その基本を自然にやってのけるということが、実は俳優にとって本当に難しいのです。

演者は台本を読んだ時から、「どう演じるか?」をプランや役作りとして考え抜き、ともすると余計に準備し、あざとさも生まれてしまうものです。

しかしジャオ監督が手掛ける作品では、加工された絵面や、訓練されて抑揚のついてしまった言葉の響きというものがなく、どこまでがセリフに書かれたフィクションで、どこまでが即興的に溢れ出た生の声なのかが判りません。それほどに、現実とフィクションの境目の区別がつかないのです。

おそらく、数回、あるいは1回のテイクしか撮れなかったような、生き生きとした時間の積み重ねがフィルムに刻まれています。演技はアマチュアであるはずのノーマッドたちの中で、まったく違和感のないマクドーマンドの佇まいには目を見張るものがあります。様々な職場で働く姿も、日々の会話も、「役」が胸中に抱えるトラウマも、すべてが信じられてくるのです。

全編がまるで即興かドキュメンタリーのように映るこの作品は、"プロット(あらすじ、仕掛け)"など無いかのように見えますが、脚色賞にもノミネートされている通り、原作があり、監督や製作陣が伝えたい「意図」がしっかりとそこにあり、紡がれたものです。

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本作の製作者でもあるマクドーマンドは、ジャオ監督の前作を映画祭で鑑賞し、その作風に惚れこみました。誰も目を向けない、気にかけない者たちへの丹念な目線。彼らから感情を導き出し、そのまばゆい瞬間を掴むことのできる手腕を買ったのです。

その作品とは、2017年発表の長編映画『ザ・ライダー』。ロデオの競技中、頭部に大怪我をし、再び馬にも乗れないほどの苦難を強いられた若者を描いた力作です。現実に重傷を負った青年ライダーを主役に抜擢し、その他のキャストにも本物の家族や周囲の牧場仲間や知人を配役しました。そして無謀とも思える試みのこの監督作が、映画界で圧倒的な支持を得ます。

批評家からの評価スコアが『ノマドランド』よりもむしろ高いこの意欲作は、優れたプロの職業俳優たちを揃えたどんな秀作にも引けを取らず、真に感動を呼ぶ美しい作品です。胸を締めつけられ、息を呑む瞬間を何度となく見せる『ザ・ライダー』は、カンヌ映画祭の監督週間で上映され芸術映画賞の受賞や、米国ナショナルボード・オブ・レビューのインディペンデント部門の作品賞受賞などでも讃えられました。

ところが、2018年のアカデミー賞では残念ながら作品賞候補としても、監督賞候補としても、スルーされてしまったのです。

その年のオスカーは、監督賞の候補が全員男性でした。

『ザ・ライダー』は、非常に高い評価を得ながら、なぜアカデミー会員たちの目に留まらなかったのでしょうか?

かなりの低予算作品だから? 組合加盟のプロの職業俳優たちを起用していないから? 題材が、「ハンディキャップを抱えたロデオの乗り手」というニッチなものだったから? それとも、監督がアジア系で、しかも女性だったからでしょうか...?

ここで、アカデミー賞で受賞しやすい作品の要素と傾向をまとめておきます。

1.観る者の心を揺さぶる物語、表現、技術が顕著。

2.業界内と、批評家たちの間での評価が圧倒的に高い。
(必ずしも興行成績の高低は問われず、芸術的な観点からジャッジされる)

3.演者や、製作者や、スタッフが、業界内で信頼され、尊敬されている。
(つまり、新参者は比較的に受賞が難しい)

4.「この人に賞を捧げたい!」「題材が時代にマッチしている!」という気運が、業界や世間に醸成され、賞を授与することで盛り上がる。

5.配給会社が「受賞・ノミネートに向けた宣伝キャンペーン」に力を入れている。(宣伝に予算を注ぎ込める作品が有利になる)

ジャオ監督にとって、これらの条件を『ノマドランド』は満たし、機は熟しました。(彼女の偉業を見落とす形になった前作のケースをアカデミーが償う意義も含め)今回の作品賞と監督賞は、"鉄板"と目されている、と僕は考えます。

 

◆ アジア系を「見つめる眼」は、育まれるのか?

話は変わりますが、皆さんは、東アジア系(日系、中国系、韓国系、台湾系など)の男優・女優がアカデミー賞"受賞"を果たした例が何人いて、それがいつのことかをご存知ですか?

それはマーロン・ブランド主演の『サヨナラ』の助演(1957年)で受賞したミヨシ梅木、ただ一人。実に64年も前のことです。

同部門のノミネートは直近のケースでも、『ラスト サムライ』(03年)の渡辺謙、『バベル』(06年)の菊地凛子が最後ですから、すでに15年の歳月が過ぎています。

今年『ミナリ』で、助演女優賞に本命視されている韓国女優ユン・ヨジョンが、下馬評通り受賞を果たせば、1957年以来のアジア勢の快挙となるわけです。

さらに主演部門では、92回に及ぶアカデミー賞の歴史の中で、東アジア系俳優の受賞及びノミネートは、なんと過去0人。『ミナリ』のスティーヴン・ユァンが主演男優部門にノミネートされているのは、韓国系アメリカ人としても初ですが、東アジア圏の血筋の俳優としても初となるのです。

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ここで、問いたいと思います!!

「この64年間、あるいは92年間、オスカー像を手にすべき絶対的な才能は、東アジア系の血筋の男優・女優にはいなかったか!?」

本当に存在しなかったのでしょうか?

いや、いたはずです。

それに値する素晴らしい俳優はもちろん、いっぱいいます。

ただ、そこに意識を向けて《見つめる眼》を育むことが、今までは十分ではなかっただけです。

現在、米国内のアジア系人種の人口は、わずかに約6パーセント(これは太平洋諸島の人々を指すパシフィック・アイランダーなども含めたアジア系全般を含めた数字)。この少なさから、アジア系を中心とした映画やドラマを作っても、米国内にはマーケットが無いとずっと思われてきたのです。

あらゆる人種やジェンダーについて、【Diversity(多様性) と Inclusion(包み含めていくこと)】という言葉が強く叫ばれるようになったのは、2000年代に入ってかなり過ぎてからのことです。

僕自身が渡米してきた2007年頃には、まだ業界内では聞かれない単語でした。「Oscars So White」という皮肉を込めたフレーズで強くアカデミー賞が糾弾され始めた後も、"People of Color" =有色(つまり白人でない)の人種といえば、常に黒人のクリエイターや
男優・女優たちのことが主に取り沙汰されていました。ヒスパニックや東西のアジア系や中東系は、まだまだどこか蚊帳の外...。これは、実際にアメリカの産業内で、ずっと肌で感じてきた印象です。

この何年かの間、極めて積極的に「起用機会の平等」の声を上げてきた黒人アーティストたちの才能の台頭の結果は目覚ましいものです。

近年では、『それでも夜は明ける』(2013年)、『ゲット・アウト』(2017年)、『ブラック・クランズマン』(2018年)など、重要な役柄を黒人俳優が演じる作品は確実に増え、さらに『ブラックパンサー』(2018年)や本年度の『Judas and the Black Messiah(原題)』、『ザ・ファイブ・ブラッズ』、『あの夜、マイアミで』のように主要キャストのほとんどを黒人男優・女優が占める作品が賞レースでノミネートされることが当たり前のようになってきています。

しかし【Diversity と Inclusion】とは、ただ単に、有色人種や様々なジェンダーの出演者のパーセンテージを上げることだけではありません。

カメラの前だけでなく、カメラの後ろで作品を支えるスタッフ、製作やクリエイター陣、脚本家たちが、より多彩な人々や、細やかな瞬間や出来事に一層目を向け、多様化させ、包括していく必要があります。

ほんの10年、20年前までは、奥行きがあって、受賞対象になりそうないわゆる「良い役」というのは、それらが白人の男優・女優たちに真っ先に与えられていても、世界中の多くの観客は「普通の機会のバランス」と捉え、業界内でも特に激しい異論の声が上がることはありませんでした。

今現在でも、撮影現場のスタッフのほとんどを白人の才能たちが占めることが頻繁にあります。(ちなみに僕が米国を拠点にして以来、何百回と受けてきたオーディションで出会ったキャスティング・ディレクターたちの中で、黒人の担当者は3人前後、アジア系の担当者は4人前後...)

それほどに"People of Color"を包み込んでいく道は長いのです。

ここからの未来は、あらゆる立場の人々を《見つめる眼》に加えて、あらゆる境遇や歴史が《認知に値するだけの物語として描かれる》ように、勇気と広い視野のある書き手や製作者たちを支え、育んでいかなければなりません。

今年は、近年で最も多彩な物語が出揃った、新たな時代への一歩目かもしれません。

良い意味で飾り気を完全に削いだ『ノマドランド』がある一方で、プロの演者やスタッフたちの磨き抜かれた技量が際立って光る『Mank/マンク』や『シカゴ7裁判』があり、『ザ・ファイブ・ブラッズ』と『マ・レイニーのブラックボトム』の2作で、それぞれ映画的&演劇的な演技で人々を最期まで魅了したチャドウィック・ボーズマンを讃える気運があり、認知症で記憶が錯綜していく演技で圧巻の実力を見せつけた『ファーザー』のアンソニー・ホプキンスと、『サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~』で突如耳が聞こえなくなるドラマーという非常に困難な役を生々しくリアルに演じきったリズ・アーメッドの二人も、年度が異なれば主演賞を獲得するであろうと思うほど最高の演技を見せてくれます。

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映画通をも唸らせる巧みな脚本を書き上げて、『プロミシング・ヤング・ウーマン』を監督した気鋭のエメラルド・フェネル(『ザ・クラウン』カミラ役)。その監督の期待に応え、絶えず予測を裏切る鮮やかな演技を見せたキャリー・マリガンが、ヴァイオラ・デイヴィスとフランシス・マクドーマンドを抑えて受賞できるか?にも注目です。

登場した瞬間から、とてつもない威厳とオーラを纏っていた『ジューダス・アンド・ザ・ブラック・メサイア』のダニエル・カルーヤには、助演部門ではなく主演に推せるほどの価値があり、『ミナリ』で、移民家族の妻として複雑な立場と心境を担ったハン・イェリは、惜しくもノミネートからは漏れたものの、スティーヴン・ユァンと同等かそれ以上に切ない演技を見せてくれました。

白人であれ、黒人であれ、アジア人であれ、どんなジェンダーの俳優たちやスタッフであれ、《良い物語》を垣根を越えて《優れた才能たちが創ってくれること》が、映画ファンにとって最も望ましいこと。

画のフレームや装飾、光、音、カメラワーク、演技などの表現の素晴らしさは、本来は特定の人種やジェンダーが占める「パーセンテージ」などでは測れないものです。

【Diversity(多様性) と Inclusion(包み含めていくこと)】がさらに進展していくことによって、米国業界やアカデミーの会員の方々の「見つめる視野」が一層の広がりを見せていくことに期待を込めながら、どうか本年度のアカデミー賞を楽しんで下さい。

コロナ禍で、かつてないほどの苦境に喘いだこの1年の映画界、その締めくくりにどんな希望や活力を抱かせてくれる授賞式になるのか?

隅々までじっくりと、皆さんの「眼」で見つめてみて下さい。

第93回アカデミー賞授賞式は日本時間4月26日午前9時頃より開催!

(文・尾崎英二郎)

Photo:

『ノマドランド』(C) 2020 20th Century Studios. All rights reserved.
『ザ・ファーザー』© NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION
CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINÉ-@ ORANGE STUDIO 2020
『プロミシング・ヤング・ウーマン』©2020 Focus Features
Netflix映画『マ・レイニーのブラックボトム』独占配信中