2009年夏に、同じタイトルのコラムを書いた。
あれから3年が過ぎ、当時書いた内容が、今のほうがより肌で感じられる。
"ドラマ" を取り巻く環境が、かなりの勢いで変わりつつある現在、
もう一度、「ドラマ輸入国にならないために!」という提言を綴りたい。
インターネットの勢いが台頭して久しい。
iTunesなどの米国アカウントを持っていれば、ハリウッド製の最新ドラマをダウンロードできてしまったり、Youtubeでも主演スターらのインタビュー/メイキング/新着の予告編などを容易に見れるようになった。Gyao!のような動画サイトでも、日本や海外の過去作品などの無料配信も進んでいる。ポータブルの端末(iPadやスマートフォン)の革新によって、"映像" の取り込み、持ち歩きはさらに気軽なものになっている。
人々は、世界各地からの映像や情報を、リアルタイム(最速)で手にできるようになった。たとえば、事件、ゴシップ、スポーツイベントの経過や結果などを知るには、新聞よりもテレビよりも(もしくはネットのニュースサイトよりも)、Twitter が速い。今日 Twitterで読んだことが、翌日の朝テレビで報道されている、などということが頻繁に起きている。
そのスピードの快感を一旦手に入れた人々は、既存のメディアへの依存度が減っていくだろう。
外出から帰宅すると、テレビのスイッチを入れるより前に、まずパソコンの電源を入れる。この習慣は、より一層定着しているのではないだろうか? 一人暮らしを始める若い人たちは、テレビを買うより、新聞を購読するより、パソコンやポータブル端末の購入を優先するに違いない。子どもたちも早々と学校教育の中でパソコンに触れるようになった。家でも"遊び" としてのツールの一つになっている。
これらの若い人たちは、「ダウンロード世代」だ。メカ音痴の僕でさえ、iTunesやamazonで最新ドラマを購入して見たりするのだから、"未来の大人たち"はもっとその便利さを満喫するようになる。
映画やドラマ(比較的、新しい作品群)を、多くのユーザーがダウンロードや無料配信で見ることで、煽りを喰らうのは、DVDレンタル店、映画館、そしてテレビ(地上波などの無料放送)である。
米国ではすでに、街のDVDレンタル店は軒並み閉店し始めている。かつて "レンタル" は便利だったものが、スピードが重視される今では"借りに行く行為" は不便に感じられるようになった。レンタル料金の高さも、完全にネックであった。この流れは、きっと近い将来日本にも訪れる。(※ DVDなどの"セールス" は「ドラマならまとめて一気見したい!」というファンが多いし、「気に入った映画は所有したい!」というコレクター的な余裕のある人が多いので、急には落ち込まないだろう)
映画館はどうか?これも長い目で見れば確実に減少する。それは単純に、映画館という文化に子供たちが触れる機会が昔より少なくなったこと(映画館以外に、親子で楽しむ娯楽が沢山ある)も大きな要因であるし、やはり"未来の大人たち"はネット中心の生活を送るようになるからだ。但し、映画館という施設&配給ビジネスも、簡単に消えてしまうわけではない。館内の設備の向上、IMAXや3D対応の完備などが進めば、テーマパークの様なワクワク感のイベント性は提供し続けていけるからだ。大スクリーンでしか楽しめない題材になら、人は必ずお金と時間をかける。それはきっと近い未来も変わらない。
一番厳しい状況が待ち受けているのは、テレビ業界だ。
テレビというメディアは、これまで「今、起きていることが見せられる」という特徴を売りにしてきた媒体だ。それはニュースやスポーツ番組を見れば明らかだが、新聞などよりも情報伝達が早く、映像で瞬時に理解させられることが革新的だった。当然、国民皆の視線がテレビ(無料の地上波)に集まった。多くの視線が集まるからこそ、大企業はそこにCM広告費を払ってきたわけだ。
しかし、そのビジネスモデルはすでにここ何年かの間に傾き始めている。テレビでなくとも、先に述べたTwitter は文字や画像情報で「今」を提供出来るし、各種ストリーミング配信では動画で「今」を提供出来るようになった。旬のニュースはまずネットで伝わることが増えている。人々の視線がインターネットにさらに集まるようになり、企業はネット媒体に興味を抱き、広告費を使い始めた。
つまりテレビは、製作費の大半となる広告費をもはや独占出来なくなっているのだ。ネットによる広告費の浸食はさらに進む。
売り上げが下がれば、ビジネスは縮小の方向に向かわざるを得ない。
テレビ局が映画製作に力を入れ始めてきたり(自局のドラマの映画化)、イベント事業の拡充を図っているのは、本来テレビ局を支えるはずの広告費の売り上げが減っていきてるからだという分析もある。
インターネット台頭の勢いはアメリカでも同じである。
これまで米テレビ界は視聴者たちの"視線"をつなぎ止めるために改革を試みてきた。
地上波テレビ各局は、最新エピソードが放送された直後から、番組のウェブサイト上で視聴できるようにしている。たとえば、NBCなら『Smash』や『ザ・ファーム』、FOXなら『Touch』や『FRINGE/フリンジ』、ABCなら『リベンジ』や『ミッシング』、CBSなら『グッド・ワイフ』や『HAWAII FIVE-0』といった人気番組が即ウェブで見ることができる。最新エピソードだけではなく、通常そのシーズンの過去の数エピソードに遡って鑑賞できるようになっている。また、各局が提携する動画専門サイトでもそれらの番組が遅くても数日後から見られるという、便利なシステムが完全に普及した。そして、それらの配信にはインターネット用のCMが挿入されているため、すべて"無料"なのだ!! CMがあるということは、テレビ局はこの配信によって利益を生んでいる。テレビ放送後も、コンテンツで広告収入を得続けるシステムが確立されているのだ。
そして視聴者たちも、この配信により、テレビ放送をうっかり見逃してもウェブですぐ物語にキャッチアップできる。その後のシーズンも見続けるという行動を促進させる効果もある。
このシステムは、局に良し、ファンにも良し、なのだ。
あるいはテレビの電源を入れずとも(あるいはテレビを持っていなくても)、パソコンなどがあれば、テレビ局製作のお気に入りの最新ドラマを、毎週、しかも自分の都合のいい時間帯に見続けられる。"テレビのビジネスモデル" はもはやそういう時代に入っている。
米国の大手スタジオ&プロデューサー連盟は、監督/脚本家/俳優といった各組合と、ネット配信の際の利益分配率についても何年もかけて交渉を重ね、新たなルールを作って来た。
この「利益分配」と「ネットCMに絡むルール&配信体制」が、米国は圧倒的に進んでいる。
日本はどうなのか?
日本では見たいテレビ番組(ドラマでもバラエティでも)を見逃した場合、最新エピソードを番組サイトで見ることがまだまだできない。録画しそびれたら再放送の時期を気長に待つか、あきらめるしかない。
なぜだろう?
日本では、テレビ番組の「ネット無料配信」が進んでいない。
これには様々な理由が混在するが、考えられるいくつかの大きな理由は下記のようなものだ。
◆テレビ業界自体がネットとの融合を避けてきたため、「ネットで配信してしまったら、もっとテレビ離れが進むだろう」という恐れの意識が、テレビ関係者には少なからずある。
◆ネット用のCMで生まれる広告収入の利益分配の、業界全体のルール作りに、時間がかかっている。
(業界内に、プロデューサー/監督/脚本家/俳優などの「労働組合」が無いので、産業全体としての意見をまとめ難い。一本化した価格設定のルールを生めないかぎり、各企業スポンサーとの契約交渉も面倒になる。)
◆番組の著作権に関わる権利者や権利団体の数が多く、複雑すぎる。
◆無料配信するとDVDの売り上げに影響が出ると考えている。
(※ ちなみに米国では、ドラマの"シーズン2" を放送する頃には、"シーズン1"の配信をストップし、"シーズン2"放送の直前に"シーズン1"のDVDボックスを発売したりしている)
◆配信の技術コストがまだまだ高い。
米国のテレビにできる「ネットとの融合」が、なぜ先進国の日本に実現できないのか、僕は常々不思議に感じている。
まず、古い意識を変えることが大切だ。
今でも芸能ニュースで「最終回の視聴率が20%を超えた!」といった話題が取り沙汰される。しかしそれは、昔のようにテレビしか娯楽がなかった時代に家族皆でテレビの前に座っていた時の"20%"とは違う。テレビを以前ほどは点けない、持ってさえいない人も増えた今、その20%が意味するものは、「テレビを持っていて、テレビを普段から見る人たちの中の"約2割"の世帯が見た」ということにすぎない。しかも、今の時代は家族全員でテレビを見るわけではない。視聴率のサンプルとなっている世帯の中で、家で一人だけで見ている世帯も多くあるはず。だとすれば、まるで「国民の2割が見た!」かのような印象を与えるニュースは視聴者をミスリードしている。その世帯で本当は何人が見たのか? 録画して後から番組を見た人たちはどれくらいいるのか? その実数を割り出さない限り、視聴率の数字にはあまり意味が無くなってきているのだ。
広告効果の「実数」が得られないテレビに対して、インターネットはアクセス数がカウントできる。宣伝の波及の度合いがより目に見える形のインターネットで番組が配信できれば、その番組中に流れるCM枠に今後高値が付くのは必至だ。近い将来、テレビ放送番組の広告枠の値段とインターネット配信番組の広告枠の値段が逆転する日が来るかもしれない。その未来を見据えれば、日本のテレビ業界はインターネットと融合し、「無料配信」を進めることが急務だろう。
もし、それを怠ってしまったら?
テレビ局は番組放送の広告費のみでは、やがて立ち行かなくなる。それでも、"ダウンロード世代"以外の年長者たちはまだまだテレビを見続けるのでテレビ局や番組そのものが急激に無くなるようなことはないだろうが、番組の制作環境は当然打撃を受ける。
そこで【ドラマ】はどうなるか?
広告費=製作費であるので、それが減少すれば、人、セット、機材、etc の確保と、ハイコンセプトを生むことが、困難になってくる。
ドラマはバラエティー番組と違って拘束期間が長い。俳優やスタッフの人件費が割高だ。人件費を抑えるために、ベテランより経験の少ない者を起用する傾向になる。熟練した技/知識/風格を備えた俳優を多用する歴史大作や時代劇は、番組編成から消えていく。凝ったセットを建てるのも、ロケ地を選び借りるのも制限され、スタジオ内で短時間でできる簡易なセット、シンプルな照明などに頼らざるを得なくなる。
脚本は、オリジナル作品を構想する時間と人材に費用がかけられなくなるので、人気小説やマンガとしてすで に原作がある物語に偏るようになる。このサイクルにより、骨太な作品の脚本を書ける若手は育たない。
マンガ原作なら、キャラクターデザイン(衣装/ヘアなど)をゼロから手がける必要もない。テーマ音楽などにも同じことが言える。番組独自のテーマが書ける作曲家を雇うより、最新の人気歌手の曲をオープニングとエンディング曲に使うほうが手軽である。
つまり、"オリジナルのコンセプト" を欠いた番組作りが続いていくことになる。(※ 上記の問題点の数々は、もう何年も前から見られることだが、今後この傾向には拍車がかかるに違いない)
この悪循環では、テレビファンの心はつなぎ止められない。
エンターテインメントは、ファンがあってこそ存在する。
業界全体が協力し合って、ファンにとってより良い環境と番組を提供していかなければならない。
視聴率の数字だけを追いかけ、実はファンを見つめていないのでは、やがて真のテレビファンを失う日が来る。
この3年間を振り返って驚くのは、米国のドラマや他の海外のテレビ作品が、日本の市場に入っていくスピードが非常に速まり、放送やDVDリリースなどの時期の本国との時間差がどんどんと狭まっているということだ。
J・J・エイブラムズの『ALCATRAZ / アルカトラズ』が米国でのプレミア放送からわずか数ヶ月で日本でも放送開始になったり、当サイトでも触れたばかりの『リベンジ』の真田広之さんの登場回がもう日本の視聴者に届くなど、近頃のドラマビジネスの展開は本当に目覚ましい。この配給ネットワークの、なんと動きの速いことか。
一方で、2009年のコラムで語ったように、米国市場では日本のテレビドラマを見れる機会は、一部日本語チャンネルを除いて、ほぼない。こちらのDVD販売店で、日本の連続ドラマのDVDが売られていることは皆無である(※ 邦画の優れた作品は売っていますよ!!)。
依然として、日米間の映像ソフトの貿易では、"テレビドラマ" というジャンルに関して言えば、日本は一方的な100%輸入国である。
「100%輸入国」とはどういうことか?
日本の置かれている状況を、読者の皆さんによりわかり易く("今、そこにある危機"を実感して頂くために)、スポーツ映像のコンテンツを今回も例に挙げよう。
日本は80年代まで、経済成長に眼を奪われ、映像や音楽やスポーツのエンターテインメントを世界に普及させようという発想をまだ持ち得なかった。しかし90年代から現在にかけて、日本が生んだ人材が米メジャーリーグに挑戦したり、ヨーロッパのサッカーリーグに移籍したりして、一気に数多くのスポーツ選手たちが世界の舞台で闘うようになった。今まさに米国野球界を盛り上げているダルビッシュ選手、イチロー選手、黒田選手、サッカー界ではドイツの香川選手、イタリアの長友選手...、彼らの成功を刻む1試合、1試合の記録が、連日メディアを賑わす。
日本の国民は、かつてはオリンピックや世界選手権で、何年かに1度しか観られなかった「世界との真剣勝負」を日頃から目の当たりにするようになった。日本最高のアスリートたちが、奮迅する表情、挫折する様、栄光を勝ち取る姿に一喜一憂する日々だ。つい応援のまなざしがそこに注がれるのは、人情である。
しかしその一方、
厳しくもレベルの高い、濃密な映像が次々と海外から届くようになったことで、眼が肥えた視聴者は自国のスポーツ放送/報道に物足りなさを感じるようになった。国内リーグのテレビ観戦者数(視聴率)は低下の一途を辿った。特に、この何年間かでのプロ野球のテレビ中継の減少には驚きを隠せない。子どもの頃から見ていた、あれほど当たり前に存在した各局のプロ野球巨人戦の中継が、ゴールデンタイムからほぼ姿を消したのは衝撃であった。残酷だが、テレビ局の編成が決めた事実である。
日本では今、海外のサッカーや野球の試合をテレビで観る需要が高い。確実に人気がある。でも逆に、米国やヨーロッパの地の視聴者が、日本のスポーツの試合をテレビで観戦する習慣や需要があるかといえば、それは無い。たとえ過去に、米国の地のWBCという大会で日本が2連覇を果たしていても、日本のプロ野球コンテンツをテレビで観る一般のアメリカ人はいないのだ(もちろん放送もしていないが)。
つまり、日米間のスポーツ放映権ビジネスでは、"野球"というジャンルに関して、日本は一方的な100%輸入国であり続けている。それどころか、本来野球ファンの多い国民であるはずなのに、日本のリーグ戦さえも、僕ら国民は気軽にテレビで観れない(観ない)状況にさえ陥っている。
この「現象」を"ドラマ"に当てはめて考えてみよう...
今後、インターネットやホームシアター設備の拡充で、視聴者一人ひとりが好きなものを好きな時間帯に観るライフスタイルがもっと進んだら、あるいは各国のドラマや映画作品がさらに速いスピードで国境を越え、無料でのネット配信が容易に進んだら、人々は何を選んで観るようになるだろう...。
もし、日本の俳優陣がさらに海外での活躍の場を広げたらどうなるだろう?
その挑戦は容易ではないが、目に見えて増えている。
映画では『バトルシップ』『マイティー・ソー』『インセプション』『硫黄島からの手紙』『バベル』『さゆり』『ラストサムライ』テレビド ラマでは『リベンジ』 『Touch』『LOST』『フラッシュフォワード』『HEROES』...
"生粋の日本人出演者たち"が、数年間でこれだけの数の映画やドラマシリーズに起用され続けている流れは、2000年代から始まった。それ以前のハリウッドの歴史では決して起きなかったことだ。
今後、日本が生んだ人材たちが、米国の映画や人気ドラマシリーズに次々と起用され、緻密な脚本の面白さに加えて「日本の同胞ががんばっている」というニュース性に興奮できるとしたら、非常に魅力的なコンテンツになるに違いない。
スポ-ツの世界では、一足先にそれが起きた。
近年まで日本を代表するスポーツとして、娯楽コンテンツのトップに君臨していた日本のプロ野球界に起きた現象が、テレビドラマ界には絶対に起きないと言えるだろうか? 有望な俳優たちが世界市場に進出し、様々な作品に登場し、評価される未来が訪れたら、果たして 日本の視聴者たちは、国内のテレビ局のドラマコンテンツを見続けるだろうか? 日本のドラマ番組に、日本人が注目しない(新番組を見たくても見れない)時代が来るかもしれない・・・。絵空事のようだが、そうではない。
日本がドラマの「100%輸入国」にならないためには、
◆クオリティーが高く、オリジナルで、普遍的な物語を生める脚本家を育てること。
◆助演級から端役までを(場合によっては主役も!)可能な限りオーディションで選抜し、"役にピッタリ合った俳優"を発掘していくこと。
◆(下請けの)製作会社の権利を向上させ、利益を充分に分配し、モノ創りへの士気を高めること。
◆リアルな演出ができる監督&撮影監督を積極起用すること。
◆作品を国外にも売り出す意識の持てるプロデューサーを育てること。
◆著作権の絡みを単純化し、直ちにネットとの融合を図ること。
といった改善点に向き合う必要がある。
世界の観客を魅了できる人材をキャストした、良質なコンテンツを、放送だけでなくネットでも配信できれば、"テレビ"の未来はまだ明るいはずだ。そのための手をなんら打たず、古い慣習を変えず、さらに何年も国内市場だけのビジネスとルールに終始すれば、テレビ界(テレビドラマ)は衰退していってしまうに違いない。
まだ掘り起こされていない、世界市場にいるであろう「未知の日本ファン」に向けた作品作りを目指すこと、そして配給/配信すること。
日本が「100%ドラマ輸入国」にならないためには、
テレビ局や芸能業界全体が力を合わせ、新たなルールと製作&配信環境を築き、作品のクオリティーを上げ、《輸出できるソフト》に転じる勝負をすることだ。