Netflixが制作するドラマ版『トワイライト』は、原作第1作をエドワード視点で描いた小説「ミッドナイト・サン」を映像化する。物語を現代化する声もある中で、あえて変更すべきでない要素が存在するとScreenrantが挙げている。
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エドワードは「執着的で支配的」な存在?
ベストセラー小説を映画化し、世界中を熱狂の渦に巻き込んだ大ヒット映画シリーズ『トワイライト』。クリステン・スチュワート演じる女子高生ベラとロバート・パティンソン演じる吸血鬼エドワードとの禁断の恋を描き、全5作製作されるほどの世界的ヒットを記録。
原作第1作が刊行されたのは2005年、映画第1作の公開は2008年。時代背景や価値観が大きく変化した今、ドラマ版には「現代化」を求める声もすでに上がっている。だが、制作陣はある重要な要素について、安易に手を加えるべきではないと考えているようだ。
原作や映画でエドワードは、眠っているベラを見守り、尾行し、行動を制限するなど、執着的かつ支配的な行動を取ってきた。この描写は長年、「支配や精神的虐待を美化している」と批判されてきた。しかし、この要素を削除すれば、キャラクターと物語の根幹が崩れるため改変するべきではないとScreenrantは意見している。
「ミッドナイト・サン」では、エドワードの内面が明確に描かれる。ベラの血は、理性を破壊するほど強烈で、吸血鬼としての本能を暴走させる。他人の思考を読めるエドワードにとって、ベラだけが“読めない存在”であり、それが強い執着の原因となる。
この文脈があることで、彼の行動は単なる恋愛描写ではなく、吸血鬼という存在の副作用として理解できる。原作小説や映画では、「彼女の血は特別」「彼女の心が読めない」といった事実は断片的にしか語られなかった。ドラマ版では、エドワード視点で語られることでさらに彼の内面が明確になる。
ドラマ版は、エドワードを理想的な恋愛対象ではなく、道徳的にグレーな反英雄として描くことが可能だ。彼自身も自らの行動を嫌悪しており、その葛藤を描くことで物語に奥行きが生まれるだろう。
物議を醸した要素を消すのではなく、文脈と視点を与えること。それこそが、Netflix版『トワイライト』が物語のDNAを守りつつ、現代に適応するための鍵である。
(海外ドラマNAVI)







