社会の規範や人々の価値観が大きく変わったこの20年。ゴシップとスキャンダルに彩られた人気ドラマ『デスパレートな妻たち』を今あらためて見返すと、「よく放送できたな…」と目を疑うようなシーンの連続に驚かされる。当時、お茶の間を賑わせたこのドラマに、一体どんな衝撃的な瞬間が隠されていたのか? 時代と共に色褪せてしまった、あるいは時代にそぐわなくなった5つのシーンを紹介しよう。
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8シーズン放送され、日本でも大ヒットを記録した米ABCの『デ …
未成年との不倫、ガブリエルとジョンの危ない関係

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シーズン1で、ガブリエルは忙しい夫カルロスとのすれ違いから孤独を感じ、別の場所での刺激を求め始めた。その相手が、まだ10代だった庭師のジョン・ローランドだ。二人の関係は、ショーの中で幾度となく再燃する。最終的にガブリエルはジョンではなくカルロスを選んだが、シーズン6の時点でもジョンはまだ彼女に未練を抱いていた。
二人の関係は、年齢差もさることながら、ジョンが彼女に未練があるように描かれる点など、すべてが居心地の悪いものであった。二人の不倫が発覚した際、ジョンの母親は当然のように衝撃を受けるが、父親はほとんど嫉妬しているように見え、そのことが事態をさらに厄介なものにした。ジョンはその後、ビジネスに成功し婚約もするが、それでもガブリエルへの未練は続いた。
黒人一家をめぐる人種差別的な描写
シーズン2で、ベティ・アップルワイト(アルフレ・ウッダード)は息子のマシューとケイレブを連れてウィステリア通りに引っ越してきた。ベティは、マシューの元恋人を殺した犯人がケイレブだと信じ、地下室に監禁し罰を与えていた。しかし、殺人を犯したのはマシュー自身であり、彼がブリーの娘ダニエルと付き合い始めると真実が明らかになる。最終的にマシューは致命傷を負い、ベティとケイレブは街を去っていった。
本作のクリエイター、マーク・チェリーは、このアップルワイト家のストーリーライン全体が誤りだったと認めている。この物語には、ケイレブが鎖につながれていることや、マシューが警官に射殺される場面、そしてブリーが娘の部屋に黒人男性がいることに恐怖を抱くなど、人種的に問題のあるシーンが多く含まれていた。アップルワイト家がこのドラマに登場した最初の主要な黒人キャラクターであったことを考えると、この描写は多様性の欠如と、より繊細な表現の必要性を浮き彫りにしたと言えるだろう。
自己中心的な母スーザンによる、娘の選択への介入

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最終シーズン、スーザンの娘ジュリーは妊娠を明かし、その赤ちゃんを養子に出すつもりでいた。しかし、スーザンはこれに強く反対。ジュリーが養子縁組の家族と親密にならないようにと嘘をついて妨害。さらに、赤ちゃんの父親がリネットの息子ポーターであることを知ると、スーザンはポーターに赤ちゃんの法的権利を要求するよう説得。この行動はジュリーを激怒させた。
最終的にジュリーは自分で赤ちゃんを育てる決心をする。スーザンによる、娘の選択を奪おうとする行動が、本来であれば温かい瞬間になったかもしれない場面を曇らせてしまった。この妊娠は、母娘関係のさらに大きな問題を浮き彫りにしている。ジュリーは人生のほとんどの間、スーザンの母親役を演じてきたのだ。おそらく、これはスーザンが娘を助けようとした数少ない瞬間の一つだったが、その動機は自己中心的で、ジュリー自身の望みや必要を考慮していなかった。この出来事は、ジュリーの方がはるかに責任感があり成熟していることを改めて示していた。
太っているから不幸? 肥満への侮辱的な視線
シーズン6のエピソード「時をかける妻たち」は、主要キャストたちが「もしも」別の選択をしていたらどうなっていたかという内容である。スーザンの「もしも」は、元夫カールと一緒にい続けていたらというもの。カールは結婚中ずっと浮気を繰り返し、そのストレスによってスーザンは体重が増えていたという展開だった。その結果、マイクを誘惑しようとして失敗するというシーンがある。
このドラマにおける体重問題の扱いは、総じて良いとは言えない。ガブリエルがホワニータに痩せさせるために車を追いかけさせたり、ガブリエル自身の体重増加がカルロスの世話を怠った道徳的失敗と見なされたりもした。しかし、スーザンのケースは、カールと一緒にいる理由が「太って不幸であること」と結びつけられ、その二つが同一視されてしまう点で、今振り返るとさらに問題が大きいように思える。
友情とは一体…? 視聴者に後味の悪さを残すイーディの最期

@lofficielturkiye
イーディ・ブリットは、マイクを脅したり、自殺の偽装や他の女性の夫と関係を持つなど、トラブルメーカーとして描かれてきた。しかし、他のキャラクターたちも決して完璧ではないにも関わらず、エディはスーザン、ガブリエル、リネット、ブリーたちから嘲笑の的や責任転嫁の中心にされることが多かった。特に、彼女がブリーの秘密を暴露しようとしたとき(他の女性たちも互いに秘密を抱えていたのに)、完全に村八分にされた様子は、まるで高校生の派閥が外部の者に敵対するようなものであった。
このパターンは、イーディがシーズン5で車の事故と電線のトラブルによる異常な事故で亡くなるまで続いた。スーザンたちは彼女の死を悼み、これまでの扱いを後悔した。しかし、その後も女性たちは互いに敵対し続け、とりわけシーズン8でのブリーとの出来事が顕著だった。ブリーは心を病み大量に飲酒し、見知らぬ男性と関係を持ち、自殺未遂に近い状態に陥った。最終的に彼女たちは和解するが、視聴者にはその友情がどれほど深く本物だったのか疑念を抱かせ、後味の悪さを残したのだ。
令和の今、ウィステリア通りの住人たちの友情をどう見るか
『デスパレートな妻たち』は、ゴシップとスキャンダルに満ちた物語の中で、女性たちの友情と連帯を強く描いた。しかし、今振り返ると、描かれた内容は時に倫理的に問題のあるものが多く、多様性への配慮や体型への差別的な表現など、現代の価値観とは相容れない部分が目立つ。
特に、イーディへのいじめのような扱いや、主要キャラクターたちの身勝手な行動は、視聴者に「これが本当に友情なのか?」という疑問を抱かせる。当時のテレビドラマとして見れば、刺激的でスリリングな展開は視聴者を惹きつけたかもしれないが、現代の視点から見ると、彼女たちの行動は単に自己中心的で、互いに責任を押し付け合っているように映る。
それでもなお、本作品が今も多くの人々に愛されているのは、そのダークなユーモアと、誰にも言えない秘密を抱えるという普遍的なテーマが、人間の本質を突いているからだろう。令和の今、SNSなどで人々の行動がすぐに可視化され、炎上リスクを背負う時代だからこそ、このドラマが描いた「デスパレート(必死、絶望的)」な世界は、かえって私たちの目を引くのかもしれない。
現在、製作が進められているリブート版『Wisteria Lane(原題)』がどのような内容になるのか今から楽しみだ。
オリジナル版『デスパレートな妻たち』はDisney+(ディズニープラス)で配信中。(海外ドラマNAVI)