これまで、ハリウッドの映画やテレビドラマの製作の舞台裏や仕組みを何本ものコラムに書いてきたが、米国のオーディションの形式や、その重要性については、本格的に語ったことがなかった。そこで、実際にはどんな形で進行され、その行程が作品にとって、また俳優たちにとって、どれほど大切なプロセスであるか を、今日は綴ってみたい。

 

"オーディション" と聞くと、皆さんはどんなイメージが頭に浮かぶだろうか?

会場となる部屋の審査員席にプロデューサーや監督たちが座っていて、
1次審査では、まず俳優たちが数名ずつ呼ばれて入っていき、
番号順に自己紹介し、1人ずつ、またはペアを組んで、
セリフの読みをさせられたり、特技を披露したりする...
(※ もちろんこれは一例だが)

もしかすると、そんな感じのイメージが一般的なのではないだろうか?

確かに、そんな形で進むオーディションは世の中には沢山ある。
日本で仕事していた時代にそういう手法で人を選んでいくオーディションを、
僕自身も何度となく経験したものだ。

実際、

「"オーディション" とは、普通そういうやり方のものなんだ」

と思っていた。

ところが、

米国作品のオーディションを受けてみると、
そのイメージはまったく変わる。

〈ある役のために、俳優を吟味し、絞り込んで選ぶ〉

という目的は同じ。

では、何が違うのか?

自分の体験に基づいてお話ししよう。

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映画『ラストサムライ』『硫黄島からの手紙』、
テレビドラマ『HEROES/ヒーローズ』『フラッシュフォワード』
『TOUCH/タッチ』『WEDDING BAND』、
シットコム『ママと恋に落ちるまで』、
ゲーム『ザ・クロニクルズ・オブ・リディック:ダークアテナの攻撃』
(ヒット映画が原案)etc...

といったものが、僕が過去に関わった主な出演作品だが、
これらの、"役" の選抜のオーディションは、

◆1次審査から、すべて「1人ずつ」審査された。

それが基本。
映画でも、ドラマでも、シットコムでも、ゲームでも同様。

※『ラストサムライ』に限っては、侍のアクションメンバーの選抜(東京で開催)の際は多くの俳優たちが同時に審査されたが、それに先立ってロサンゼルスまで行って挑んだ "役" のオーディションは、1人ずつで行われた審査だった。

通常オーディション(一次審査)に呼ばれると、
会場の部屋には、キャスティング・ディレクターが1人でいるか、
またはアシスタントと共に2人でいる。

まず、

◆1次審査で、プロデューサーや監督が自ら立ち会うということは、あまりない。

特に、大作映画の場合、監督が始めからいることは皆無だ。

※ テレビドラマなどの急ぎの配役決定のため、担当者が人数を絞り込んで俳優を呼ぶ場合であれば、プロデューサーたちが最初から審査する場合もある。
(『フラッシュフォワード』は珍しく、監督もプロデューサーらも立ち会った上での、一度きりの審査だった。常に、一発勝負で力を発揮する用意も必要ということが言える)

よくある形式は、
キャスティング担当のチーフが1人でいて、カメラを回すケース、
アシスタントだけがいてカメラを回すケース、
そして、カメラを回さずに演技を見るだけのケースなどがたまにある。

大抵は、ビデオカメラが1台回され、
その前で、演じることになる。

最初に、自分の宣伝材料の写真(ヘッドショットと呼ぶ)を担当者に渡す。
名前を伝える。

そして、

◆99%、いやそれ以上の確率で、"自己紹介" や "自己PR" タイムは、無い。

「僕は、この作品に賭けています!!一生懸命やります!!」

などという、意欲を告げる時間が一切無い。

そういう "やる気" などの部分で審査することはがないのだ。
意欲なら、誰でも本来持っているのが当然であり、
高い意欲があれば、ちゃんとセリフをすべて覚えてきていたり、
シーンの設定を深く理解していたりという姿勢に、
表れるはず。

だから、無用の自己PRなどは、かえって疎まれる。

あくまでも、

◆演技の能力と、その役に適しているかが問われている。

もし、セリフが1行の役なら、
オーディションは、ものの1~2分で終わってしまう。

「えっ!?それだけで、何がわかるの?」

と言いたくもなるが、シーンが1分間の場面なら、
それで充分なのだろう。

会社の入社試験やバイトの面接ではないから、
"人柄" などの内面を探るわけではないのだ。

いや、言い換えよう!

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"人柄や性格" は演技に滲み出るものだ、だから演技ですべて判断できる。
よって、1分のシーンなら1~2分の審査時間でいいということ。
1分間に、いかにその場面設定に適した自然なパフォーマンスを提示できるか?
その瞬発力にかかってくる。
(昨年放送された『WEDDING BAND』は、まさに1~2分間のオーディションだった。瞬く間だ。それで本番当日に、主演のブライアン・オースティン・グリーンといきなり共演させられるわけだから、準備と勇気が試される)

幸運にも、
(たった1分のチャンスであっても)
キャスティング担当者があなたに興味を持てば、

「もっと、こんな感じで演じて欲しい」

「もう少し、抑えた表現でやってみたらどうなる?」

といったような注文が出て、再度演じるようリクエストが出る。
それは "ダメ出し" などではなく、期待感の表れだ。
誰にとっても〈時間=お金〉なのだから、
あなたに多くの時間が割かれることは、好感触のサインなのだ。

本当に "この人はダメだな..." と思われた場合は、
すぐさま、

「Good!! 会えて良かったわ、ありがとう!」

とサラッと流したように挨拶され、帰されてしまう。

俳優の存在と演技が魅力的であれば、
たとえ役のイメージに合わない場合でも、2~3度は演じぶりを見てくれる。
そして結果的に、キャスティング担当者はその俳優に4~5分、
長いセリフの場面であれば10分、15分と費やしていく。
そういう手応えがあれば、
演技の後のお喋りにも花が咲き、いろいろな質問をしてくれたりするものだ。

そうなった場合、
後日コールバック(二次以降の審査)に呼ばれる可能性は高い。

もっとハッキリしたケースなら、
演技を見せた直後に

「明日来て、プロデューサーの前でもう一度演じられるかい?」

と、イミディエート・コールバック(即、再審査決定!)になることもある。

明確なプロセスで、手応えや成果がすぐに感じられるというのは、
俳優にとってはありがたいことだ。

◆端役なら1次審査で決まる場合もあり、主演や助演級の役なら、5次、6次、と呼ばれるケースもある。

大体、このような形が一般的なオーディションによる選抜の行程である。

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先に述べたハリウッドの一般的なオーディションの手法には、

実は、合理的で、大切な要素がいっぱい詰まっている。

第1に、

演技テストを「1人ずつ」受けさせるということ。

俳優という職業は、"個性" が最大の売り物だ。
だとすれば、複数で同時に受けさせて、他者の演技に影響を受けてオリジナリティーを失うのはよくない。
他者より目立とうとつい思ってしまう気持も、純粋な演技の邪魔になる。

それに俳優の中には、非常に繊細で、シャイなタイプの人間も少なくない。
そういう人たち一人ひとりの「フルの可能性」「フルの表現」を見極めるには、競争相手の目を気にして遠慮させるような環境作りは間違っている。

例外として、ブロードウェイのような舞台や、コンサートのダンスメンバーを選出するのなら、大勢を一気に見定めるのは当然であり、正解なのだと思う。
それは「多くの人間の中にあっても、一 際輝いて見える!」という特性を見極めるためであり、人を並べて技術を直接比較する、という意図がしっかりとあるからだ。

しかし、
【映像の演技】で問われる能力とは、
レンズを通した時にどう映るか?
クロースアップで寄った時に目の表情が、喜びや悲しみの感情が、どう滲み出るか?
セリフを発している時、聞いている時に、心の奥には何が見えるのか?
が最重要ポイントであることから、複数の人間を同時に審査するメリットというのは実はあまり無いと言える。

米国のオーディションでは、2次、3次と審査が進めば、
相手役との相性を見るため、"俳優同士の組み合わせ" を試されることがあるが、1次審査の段階では "ペアを組んだ" 状態で能力を判断されることはまず無い。
運悪く、下手な相手と組まされたら、それはアンフェアであるし、
演者にも悔いが残ってしまうだろう。

なので、
相手役のセリフは、必ずキャスティング担当者あるいはアシスタントが読む。しかも、ほとんど感情を込めずに、かなり速いスピードで読んでくる。
平板な読み方であっても、それにいかに対応して、まるでその場で初めて聞いた言葉のように生々しく受け止め、発する演じ方ができるかどうか、
それがいい俳優とダメな俳優との明暗を分けるのだ。

第2に、

1次審査に監督たちが立ち会わないことにも、良い面がある 。

言うまでもなく、プロデューサーや監督らが始めからオーディションに同席しない最大の理由は「そんな時間は無い!」ということなのだろう。

しかし、もし大作で、巨匠の監督が始めから目の前に座っていたら、
経験の浅い俳優はどうなるだろうか?
緊張でガチガチな演技になり、力が出せないで終わってしまう人が続出するのは想像にかたくない。
1次審査では、極力リラックスした状態で、その俳優の特性を存分に引き出すことも、キャスティング担当の大事な役割でもあるのだ。

第3に、

自己PRなどをさせず、"演技" の力と、その役に合うかだけを見る(演技だけをビデオ撮りする)こと。

仮に5分で1シーンを審査するとしよう。
無駄な社交辞令やトークを省き、てきぱきと録画作業のみを進めれば、
1時間で10~12人程度をこなせる。午前中の3時間で30人以上、
昼食を挟んで午後の4時間には最大50人近くまで。
これを本気で続ければ、キャスティング担当は月曜から金曜の5日間だけで、400人前後の俳優たちを見定め、プロデューサーや監督に対し、より多くの選択肢を提示することが可能となる。

ハリウッドの映画やドラマの審査の際、1つの役に数百人を呼ぶことがざらなのは、こういうや り方が標準になっているからだ。

当然、競争率が高くなるわけで、
俳優たちにとっての条件としては厳しい。

しかし、勝ち残った人間の演技クオリティーはその競争によって高くなり、それはそのまま、作品の深み/真実味/面白さに反映されることになる。

ましてや、このプロセスを主演や助演級の場合なら、
6次テスト、7次テストと続けてふるいにかけていく訳だから、
審査される総数は数千にも膨らむことがある。
その結果、無名の人間からでも、

《とんでもない輝きや個性の持ち主=スターの原石》

を発掘する裾野や確率が大きく 広がり、世界を驚かせるキャストの配役を実現できるのだ。

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そして最後に、
オーディションでフェアに配役を決めていくというシステムの重要なメリット、その意義として、僕が俳優として一番に挙げたいのは、

助演であろうが、ゲストスターであろうが、たった1行のセリフの役であろうが、

「こんな短時間で、いったいどこを見てるんだ?」

と思うようなオーディションであったとしても、
役に選ばれて、撮影本番の日に迎える際には、

「自分は、監督たちから、演技を気に入られ、信頼され、この場に呼ばれているんだ...」

と自信を持って仕事に臨める状況/環境が整うということだ。

誰でも、初めての現場では緊張する。
しかしその現場で、オーディションでは出会えなかったプロデューサーたちが

「君のオーディションビデオの演技、とてもよかったよ!」

と、次々と向こうから声をかけてきてくれるようなことが起こると、
本当に励みになり、助かる。
こういう一言が、俳優に大きな力を与える。
この人たちのために、今日は全てを注ごう!と覚悟できるのだ。

オーディションで勝ち抜き、しかも数十人、数百人の中から選ばれたんだ、
という堂々とした誇りが、俳優の心に余裕を与え 、リラックスさせてくれる。
自信とリラックスは、自然で信じられる演技を生み出す。

「オーディションで、役に最適な人を選ぶ」

というのは、当たり前のように聞こえるが、
そのプロセスには相当の時間が要る。

しかしそこに投下される時間と選考する熱意は、
逸材を発見し、育て、秀作を構成する駒を揃えるために、
製作陣が欠かしてはいけない、
絶対的な要素なのだ。