渡辺謙出演! トニー賞ノミネート作品、威厳と気品にあふれた色あせぬ名作 『王様と私』

威厳は演じることができない。
そこに居る、そこに立つ。
その瞬間に、王者の風格を観客の頭ではなく、心に届けないといけない。
「なんだか、いるだけですごい」
この「なんだかすごい」という説明不可能な感情を抱かせることが、
『王様と私』のシャムの王役に課せられた最初の難題だ。

 

総合芸術施設リンカーン・センターには、演劇だけでなくオペラやバレエなどの劇場、コンサートホール、そして芸術学校がある。ブロードウェイの劇場街とはまったく違う雰囲気の場所だ。そこに一歩入ると空気が変わる。何もかもが一流で、洗練された場所...という緊張感が漂うのだ。
その一角にあるヴィヴィアン・バーモント劇場で『王様と私』は上演されている。舞台を囲むようなすり鉢状の客席で、2階席でも舞台がそれほど遠く感じられない。
洗練された空間に身を置く贅沢にひたっていると、突然、オーケストラ・ピットで演奏が始まる。『王様と私』に登場するナンバーのちょっとしたメドレーだ。
「さあ、始まりますよ。(シャム王国への)旅の準備はいいですか」と、音楽に後押しされるように、観客の心は舞台へと自然に向いていく。

そして幕が開く...。

オープニングは、王家の家庭教師として雇われた主人公アンナが、息子と共に船でシャム王国に到着した場面だ。いきなりダイナミックな演出!
船が到着し、シャムの街が現われ、一気に世界に引き込む。
演出のバートレット・シャーは、ブロードウェイでも屈指の名演出家であり、世界的なオペラ演出家として名高い。同じく古典作品で名高いミュージカル『南太平洋』をリバイバルでよみがえらせ、トニー賞に輝いている。期待通り、オペラ風の豪華で優雅な演出で、『王様と私』の世界を創りあげている。
そしてアンナを演じるのは、今回で通算6度目となるトニー賞にノミネートされているケリー・オハラ。さすがトップ女優は違う。登場しただけで観客が盛り上がる人気ぶりだ。

大掛かりな演出とケリーの歌でオープニングから圧倒されたが、そうなるとドキドキするのが、"王様"の登場だ。

リンカーン・センターという場所の空気、オーケストラのイキな演出、豪華なオープニング、それをすべて引き継いで"王様"は登場するのだ。

そして、渡辺謙が演じるシャム王登場!
緊張の瞬間だ。
思わず、会場が息を飲む。
そこには、確かに王者がいた。
いるだけで、威厳がある。
そして、観客が拍手で王を迎える。
さあ、役者はそろった。物語が始まるぞ―--そんな風に、渡辺謙演じる王の登場で空気が変わったのだ。

本作は、伝説的な俳優ユル・ブリナーの王役で有名な古典作品だ。通算4000回以上、舞台で王を演じたユルの存在があまりにも大きすぎて、なかなか再演できなかった作品である。
その王役に渡辺謙が抜擢されたとき、おそらく多くの人の頭に「無謀」という言葉が浮かんだだろう。
しかし、登場した王の背中を見た瞬間、ユル・ブリナーの亡霊は消えた。

圧倒的な王としての存在感があるからこそ、王がふと独りになった時に、自分の迷いを吐露するナンバー「A Puzzlement(困惑)」が生きてくる。
時代が変わり、近代化へ向かおうとする過渡期。
彼の歌から、"王"という特別な立場、その責任の重大さ、そして何よりも彼がより良い王になるために葛藤が伝わってくる。
彼の威厳は、こうした悩みから逃げず、真っ向から対峙しているからこそ生まれてくるのだとわかる。

さらにこの葛藤は人間的な魅力につながる。
王は自分で自分のことを語らない。
王のことを語るのは、第1王妃だ。
王妃は「Something Wonderful」で、
"This is a man who thinks with his heart(王は心で考える方です)
His heart is not always wise(でもその心がいつも賢いとは限りません)"と歌います。
だからこそ、アンナの助けが必要なのだと。この王妃の言葉により、アンナが変わっていく。これは、王の人柄と素顔、そしてアンナの気持ちを変える重要なナンバーだ。第1王妃を演じたルーシー・アン・マイルズが、助演女優賞にノミネートされたのも納得だ。

最初は、東洋と西洋、イギリスとシャムというカルチャー・ギャップだと思っていたアンナだが、実は"王様"と"私"という個性の違いの問題だと気がつく。そして個性を受け入れ、互いを尊重するための努力が始まるのだ。
アンナが、王の個性を引き出すにつれ、王の人間味がどんどんあふれだしていく。
そして第2幕のクライマックス「Shall We Dance?」へ。
王様とアンナが、男と女になる場面だ。
強気で、自立した女性であるアンナを、この瞬間ばかりは、渡辺謙演じる王が、かわいい女にする。
このダンスシーンは、息をのむ美しさだ。

 

古典作品の難しさは、観客は物語の結末を分かっていることが多いことだろう。それでも観客の心に何か"お土産"を渡さねばならない。
結末は伏せておくが、今回の舞台を観て、初めて王様の最後の役目がスッと心に落ちてきた。王はもちろん、アンナや王妃など周りの女性たち、そして王子の心の流れが、ごく自然に入ってきたのだ。それは映画では味わえなかった感覚だった。やはりミュージカルには、生の舞台だからこそ味わえる魔法があるとしみじみ感じた。
王様の葛藤は、最後には未来につながっていく。それは次世代につなげる責任だ。最後まで王の役目をまっとうした渡辺謙の王様に、心から敬服し、強いリーダーの姿に心が熱くなった。

もちろん最後は会場総立ちのスタンディング・オベーション!
古典作品ならではの、上品で、知的で、威厳がある世界に酔いしれることができた。(6月4日ソワレ鑑賞)

☆渡辺謙さんにサインをいただきました!そして、王子を演じたジョン・ヴィクター・コルプスにもいただき、王と王子のサインをそろえました。

 

第69回トニー賞授賞式は6月8日(月)8:00より、WOWOWプライムで生中継!