実在するアメリカ最古の探偵社の活躍を描く、痛快ミステリーアクションドラマ『荒野のピンカートン探偵社』。本作のケンジ・ハラダ役で準レギュラーを務め、NHK連続テレビ小説『あさが来た』にも出演中の国際派俳優、ディーン・フジオカさんに直撃インタビュー! 本作のこぼれ話や、世界各国で活躍されることについて、貴重なお話を聞かせていただきました。
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――本作への出演については、どんなふうに思っていらっしゃいますか?
僕にとって『荒野のピンカートン探偵社』は、アメリカ、北米では、俳優としての初仕事だったので、すごく特別な想い出のあるプロジェクトです。ケンジ・ハラダというキャラクターもすごく特殊なキャラクターだったと思うんです。この時代、日本とアメリカはまだ国交も整備されていなくて、日本からは密航して行くしか方法がなかった時代に、「父親の仇!」って言って、地球の裏側まで行っちゃったみたいな、決意の固いケンジという役を通して見るアメリカの社会っていうんですか...。当時は南北戦争が終わったばかりで、奴隷制が残っていて、白人以外の人種は社会的には人間じゃないとみなされていた時代に、有色人種が一人で乗り込んで、いろいろとやらかして。でも、そこでいい出会いがあって、探偵としてチームでやっていくというか、アメリカナイズされていくというのが印象深いです。
北米には学生の時に住んではいましたけど、仕事をするのは初めてだったので、本当に勉強になったことがたくさんありました。仕事をしていくうちに、クルー、キャストと仲良くなってリラックスしていく過程は、ケンジが物語の中で辿ったものとオーバーラップするものもあるので。それらを踏まえて観てもらえると、また楽しみが増えるんじゃないかなと思っています。
――ケンジは本当に面白い役ですよね。西部開拓時代のアメリカに、武道の達人で刀を使える日本人ということで。一瞬「あれ?」と思いますが、作品を観ていてとても馴染んでいた印象を受けましたが、監督やプロデューサー、クリエイターの方や、出演俳優の皆さんと「こういう風にしたらいいんじゃないか」といったような日本人像づくりというのはあったのでしょうか?
僕、基本的に意見はなるべく自分では言わないようにしたいんです、俳優としては。だから、求められた時に、自分だったらということで、アイデアをシェアさせてもらうことはありますけど、この作品に関しては、周りにアジア人が誰もいなくて。もちろん日本人もいないし、それで、監督やアクション・コレオグラファー(アクション指導者、アクション監督)の方に関しても、刀の使い方がわからないという状況で。オーセンティックに「侍だったらどう刀をさばくのか」とか、立ち居振舞いに関しては、すごくそのカルチャーに対するリスペクトを持って意見を聞いて取り入れてくれていました。監督たちも、興味があったと思うんですね。自分たちとは全く違うところから来たケンジというキャラクターについて、僕が他の国でやってきたことを聞かせてほしいって言ってくる人もいたので。「なんで君は今ここにいるんだ?」って。他の人たちは全員、スタッフも含めて欧米の人たちでしたから。ケンジというキャラクターを作っていく上で、一番最初は父の復讐のために渡って来たんだけど、だんだんと馴染んでいくっていうのは、作品もそうですけど、自分が現場でどういう風にしているかっていうのも組み込んでもらったのかなと。オーバーラップしている部分もあったりすると思います。
――自然の流れでどんどん馴染んでいったという感じですね。
そうですね。あと、少しインプロバイゼーション(即興・アドリブ)というか、ウィルやケイトと話をして、「あなたがそうするんだったら私はこうするわ」みたいな感じのやり取りも後半になると少し増えていったりしたので。そこはもちろん、監督のリクエストがあった場合ですけどね。「どう?」みたいな感じで。具体的にケンジという役が形になっていった中で、すごく役に立ったんじゃないかなと思います。
――ディーンさんが演じるケンジは、父親に対する敬意の気持ちがすごく強い人間だなと思ったんですけど、ディーンさんにとってお父様には、どのような想いやエピソードがあるんでしょうか。
いい質問ですね! まず、僕の父親は日本人なんですよ。国籍は日本で、中国で生まれたんです。でも、僕DNAチェックをしたらちょっと中国の血も入っていたんですけどね(笑)。僕にとって父は、外の世界に興味を持つきっかけをくれた人という感じです。小さい時から、父が出張のときに「お土産買ってきてくれ」っていうと、アメリカのお土産や、映画だったり音楽だったり...、父方のおじいちゃんおばあちゃんの家に行くと、中国語の本だったりがあって、日本以外のものに触れ合う家系だったんです。父はまだ日本でもインターネットがあまり広まっていない時代から、モデム回線でインターネットにアクセスしていたような、そういう仕事をしていたので、すごく新しいものや、外の世界のものに対する興味があったんだと思います。地球儀を買ってくれたりとか、そういうところで、好奇心をうまく引き出してくれた父親だったんだなあって。今、自分が父親になってみてそう思いますね。
――お父様がそういう好奇心をいろいろ与えてくれた環境の中で、ディーンさんがワールドワイドでエンターテイメントの仕事をするという考え方になっていったのは、何かきっかけがあったのですか?
まず、俳優になるかどうかっていうのは、僕にとって最初から明確に目標があったわけではないんです。流れで、生きていくためにいろいろやった結果、こうなったというのが強いんですね。活動を始めた地点が香港だったから、日本との接点がほとんどなかったというんですかね...。もちろん、向こうで何か作品をやって、日本で公開される際に日本のメディアに取り上げて頂いたということは、この10年間何度もあったんですけど。日本だと、どうしても東京に住んで、日本のエンターテイメントの芸能事務所に所属して、それがまず前提条件みたいなのがあるじゃないですか。それはそれで別に構わないと思うんですね。ただ、自分は東京に住む気はあまり無かったりするので...今も東京はホテルですし。日本で仕事をしたいというのは、最初からずっと思っていましたし、でも東京に住みたいとは思わなかったから...自然とそういう機会もなかったのかな、という感じです。
――北米へのチャレンジについてはいかがでしょうか?
「俳優」の仕事に関して言えば、ある程度、自分の人生はこういう人生なんだなっていうのが、わかってくるじゃないですか。自分にとって俳優という仕事が、香港での社会との接点を持つ、ひとつの自分の役割というか、俳優として仕事があるから、社会との接点が持てたみたいな...。自分が属することができるコミュニティができた、みたいな感覚でした。いい意味で言うと、本当に一番わかりやすい工程ですよね。ドライに言ってしまうと、自分の想いや夢なんて関係ないんですよね。人に求められて、それに自分が感謝の気持ちを持って応えられるかみたいなことでしかないので。「これだけやりたい」って思っていても、「それをやってほしい」と思われなければ、ただの我儘でしかない...。始まりはそこですね。いろんな国で仕事ができる機会を持てるようになって、もちろん、北米でいつか俳優としてやってみたいな、というのは、途中で思うようになったんですけど、こんなに早くそういう話が頂けるようになるとは思ってもみなかったので、びっくりしました。もちろんチャンスを掴むために自分がやってきた作品も観てもらって、面接試験も合格して、っていうことを経ているので、そこに対するモチベーションというか、演じることに対するパッションは自分の中で確固たるものがあったし、どうせやるんだったら、もっとさらに大きな舞台へって思うのは、自然なことだと思います。そこに対して努力を続ける...。それは北米以外でも常にそういう風に思ってやってきたから...という感じですかね。
――ディーンさんは北京語、広東語、英語、日本語、演じていて気に入っている言語はありますか? 台詞を言う時に「心地いいな」とか「やりやすいな」とか。
今回『あさが来た』で、僕は薩摩弁がすごく好きだってことに気づきましたね(笑)。薩摩弁もっとやりたかったな、みたいな。
他の言語で難しいと思うこと...それぞれありますよね。難しいことって。文化によっては、怒る時にグワっとスピードあげる言語もあれば、一個一個はっきり念を押すような言語もあればみたいな。なんて言うんですかね、あの感じって...。たぶん、どれだけ経験するかだと思うんですよ。慣れもあるし、経験値がたまっていけば、自然と引き出しも増えてバリエーションも、なんかこう技が増えていくみたいな感覚と一緒で。だからやっぱり、中華圏のやり方、演技の仕方、言語能力と演技の仕方は別ものじゃないですか。その掛け合わせで自分のストックっていうか、演技の幅みたいなものを持っていくっていうのは、その分だけ掛け算になっていくから、すごい筋力が要るっていうんですか。今後英語のお芝居とか、もっと経験値を増やして、自分が演じられる幅、役の幅が広がっていくように頑張って行かなきゃなと思います。それは日本語でも同じだし、中国語でも一緒なので。ただ、ひとつひとつの言語や文化の形で表現の形が全く違うんですね。それが離れすぎるとわからなくなる部分ってあるので、自分がずっと日本を離れていて、日本語があまり流暢に使えなくなっていた時期があるのと同じで、中国語を最近ずっと使っていないから、どうなっているのかなと思うし、言語って使えば使うほど上手くなるし、使わなければ忘れていくものなので。
――ディーンさん、今後の展望があればぜひお聞かせください。
"戦略"っていう視点から考えると、ひとつのことに集中していった方が効率がいいわけですよね。ただ、自分が人生ずっと俳優だけやりたいかっていうと、そうではないので。なんかこう、これがいい影響なのか、散漫になってしまうのか、どうなるかわからないんですけど、双方向にプラスになったこともたくさんあるし。例えば日本語で漢字を使っているから、中国語に馴染みがあって、とっつきやすかった、というようなことと、すごく近いですよね。ここからいきなり、経済評論家になったりとか、学者になったりとかは不可能だと思うんです。今まで自分が選択してきた流れと、自分に残された時間の中で、そういうことを選んできてもいないし、そこにモチベーションもないし。ただ、クリエイティブするとか、表現するというところに何か共通項があることに関しては、エリアという意味でもそうだし、リージョンという意味でもそうだし、表現のカテゴリーというかジャンルというのも含めて、自分で決めないようにしたいですね。それ決めた方が楽なんですけど、それ決めちゃうと終わっちゃうから。そこで止まっちゃうから、だからなるべくニュートラルでいたいというか。ちゃんとそういうしるしというか、シンボルみたいなのが目の前に現れた時に気づけるように、そういう心持ちでいたいなというのは、常に思っていますね。
――『あさが来た』の反響が日本ではすごく大きいんじゃないかなと思うのですが、今後は日本で、お見かけできるようになる感じでしょうか?
そういう流れに今現在あるのはすごく嬉しいですね。やっぱり、求められて自分が存在できる仕事ですから。俳優は特に。これがまた映画監督とか、ミュージシャンとかだと、ちょっと違うと思うんですよ。自分が創って行くという、ある意味より自我を強く持たなきゃいけないっていうのと、俳優とは、ちょっと違うと思うので。そうやってお話を頂けるのであれば、ありがたいなって思うから。その気持ちとともに全力でその役の背景というか、役作りを深めていけたらなと思いますね。
■『荒野のピンカートン探偵社』商品情報
<セル>
2016年1月13日(水) DVD-BOXⅠ(12,000円+税)
2016年2月3日(水) DVD-BOXⅡ(10,000円+税)
<レンタル>
2016年1月13日(水) DVD Vol.1~6
2016年2月3日(水) DVD Vol.7~11
発売・販売元:アミューズソフト
Photo:『荒野のピンカートン探偵社』
(C)Pink Series, Inc.