「あなたの知らないアカデミー賞へ!」放送後記 Vol.2 本年度のオスカーに横たわっていた"問題"とは何なのか!?

(※読者の皆さまへ。このコラムの中での俳優や監督らのお名前は、極力、
英語または米語の発音に寄せた表記にしてあります。ご了承下さい)

第88回アカデミー賞授賞式は、皆さんいかがでしたか?

 

何と言っても!!!今回はやはりレオの笑顔、彼の初受賞に尽きましたね!!
ついにあのステージでオスカー像を手に握り、出席者全員から祝福と敬意の拍手を受けた瞬間には、
思わず涙が出そうになりました。
彼がスピーチで雄弁に語った「自然と共存、その重要性」も素晴らしいものでしたが、
さらに最後の最後に伝えた、

この今夜(の受賞)のことも、僕は当たり前だとは思ってはいません

という強い志の言葉に僕は胸を打たれました。
実力的に言えば、1993年の『ギルバート・グレイプ』で見せた心を揺さぶる演技で、
ティーン・エイジャーの時に助演男優部門のオスカーを受賞していてもおかしくなかったのですから
決して当たり前にこういう瞬間を迎えられたのではない...という深い思いが伝わってきました。

アカデミー賞受賞を境に、作品選びの傾向が変わってしまって、
上昇カーブを描けなくなる俳優・女優も決して少なくないのですが、
レオに関しては、きっとまたさらに素晴らしい演技を見せ続けてくれるだろうという
期待を抱かせる、素晴らしい受賞の光景でした。

 

【関連記事】「あなたの知らないアカデミー賞へ!」放送後記 Vol.1 本年度の未放送インタビュー&中継秘話を初公開!!!

主演女優部門は、ブリー・ラーソン(『ルーム(ROOM)』)が、下馬評通りに見事受賞。
まったく芝居っぽく見えない自然な演技を、ジェイコブくんという幼い子供を相手に体現した
素晴らしい仕事をフィルムに刻んでいますから、当然の結果でしょう。

助演女優部門は、やはり今年の"勢い"は彼女にあった
アリシア・ヴィキャンダー(『リリーのすべて(THE DANISH GIRL)』)が
ケイト・ウィンスレットを抑えて初受賞。
彼女とエディ・レッドメインの二人の美しく繊細な演技に、僕は映画館で涙しました。
それだけに嬉しい結果です。

助演男優部門は、スタローンの個人賞受賞への期待を打ち破り
マーク・ライランス(『ブリッジ・オブ・スパイ(BRIDGE OF SPIES)』)が初の栄誉に輝きました。
彼の受賞には驚きの反応もあったようですが、作品に重厚さとスリルをもたらした顕著な功績が
彼の演技にあったこと、そして純粋に1本の作品だけで比較すれば、
ライランス受賞のパーセンテージは決して低くなかったのです。
むしろアカデミー会員の好みから考慮すれば、五分五分か、それ以上でした。

 

授賞式で際立ったのは『マッドマックス 怒りのデス・ロード(MAD MAX FURY ROAD)』の最多受賞6冠!
過去アカデミー賞ではアクションが主体の作品が評価され難かったことは中継でも述べましたが、
この作品の世界観の創造性、洗練された映像と編集、そして圧倒的ハイレベルのスタントの連続に、
見る者すべてが唸ってしまったという証明でしょう。
ハリウッドのスタント関係者が監督や俳優を巻き込んでいる
アカデミー賞スタント部門賞設立の嘆願書への署名は、現在75000名を超えています。
俳優組合賞(SAG賞)では、何年も前にスタント・アンサンブル賞を設立済み。
アカデミーにも、きっとできるはずなのです!

そして今回の作品賞。
事前の予想では、ゴールデン・グローブ賞や英国アカデミー賞でも気を吐き、
勢いを見せた『レヴェナント:蘇えりし者(THE REVENANT)』が優勢といった空気でしたが、
やはり最後まで読めなかったアカデミー賞の面白さ...と言っていいでしょう。
『レヴェナント』は監督賞・撮影賞・主演男優賞という主要3部門を制したものの、
この夜の頂点の栄冠を奪ったのは『スポットライト 世紀のスクープ(SPOTLIGHT)』でした。
『スポットライト』は公開当初から映画評論家の支持が非常に高く、数々の批評家賞に加え、
SAG賞でもベスト・キャスト賞を獲得していました。
膨大なリサーチを経て、緻密な脚本で「ジャーナリズムが正常に機能することの力と意義」を
観客に再認識させたこの作品は、やはり年齢の高いアカデミー会員の好む傾向の作風であったとも言えます。
出演者たちが魅せた、絶妙に息の合った演技のアンサンブルも、作品賞ノミネート8作品のうちでも輝きを放っていました。
リアリズムに徹し、貫いた勝利です。
これから「観てみよう!」という方も多いと思いますが、
エンディングの、静かなるカタルシスが最高の逸品です。

さて、ここからは中継の間には語れなかった、
しかも日本に住む映画ファンの皆さんにはやや体感し難いかもしれない
アカデミー賞... ハリウッド... いや、アメリカ国内にくすぶる問題についてお話ししましょう

今回、授賞式ホストを務めたクリス・ロックの進行ぶり、いかがでしたか?
「ノミニーが白人ばかりで真っ白だ!」と物議を醸した今年のオスカーを、アフリカ系アメリカ人の目線で
人種の"多様性"問題】を次々とジョークに絡ませ、総じて巧く運んだのではないかと思います。
彼の底抜けに明るいキャラクターでなければ、出席ボイコット問題にまで発展した
事前のハリウッド業界の重苦しさを吹き飛ばすことはできなかったかもしれません。
米国で開催される著名な「ピープルズ・チョイス・アワード(観客の人々が選ぶ映画・テレビ賞)」に引っ掛けて、
今年のアカデミー賞を「ホワイト・ピープルズ・チョイス・アワード」とのっけから言い放った度胸には唸りました(笑)!
全国ネットであれだけ言える。差別に対抗する、"表現の自由"が許されていますよね

しかし... 同時に、授賞式を観続けていて何か違和感があったのも事実です。
それは、【人種の"多様性"】って、白人と黒人だけの問題なの???っていう事です。
クリス・ロックが主に語っていたのはアフリカ系アメリカンのことばかり。(決して悪いことではないものの)式のプレゼンターに
アフリカ系がやや多めにキャストされたことも少し露骨な気がしました。

そして式の途中のコメディのスキット(寸劇)タイムに、
クリス・ロック自らが、スーツを着させメガネをかけさせたアジア系の子供たち3人を
ステージに引っ張り出した時、せっかくのお祭りムードは少し冷めました。

少なくとも、全米でこれを観ていたアジア系の人々の心の中で...。

最初は「可愛い子たちが出てきたな...」と思ったのです。
でも、ジョークの内容は僕らを落胆させるものでした。
クリスは彼らをアカデミー賞の投票を計算する会計士に見立てて

「献身的で、正確で、非常に勤勉な人たちをご紹介します。
(中略)... このジョークに腹を立てた方は
皆さんの携帯からツイートして下さい。
でもその携帯もこの子たちが作っているんですよ!」

ここで大きな笑いが起きました。しかし、非常にステレオタイプ的な、後味の悪いジョークでした

ほんの冗談でしょ?"勤勉だ"って褒めてるじゃん?と思った方もいるかもしれません。
でも、世界200ヵ国以上に放送され、【人種の"多様性"】を強く訴えていたはずの今年のオスカーで、
こんな人種ネタの「笑い」は明らかに無神経なのです。意識が完全に古い。
そこにアジア諸国への配慮やデリカシーはありません

いったいいつまでハリウッドは、

「アジア人は数字に強く計算ができる、とにかく身を粉にして働く。だからメガネをかけている」

という風なイメージを発信し続けるのでしょう...。しかも、子供たちが工場で労働力にされている... という話は、
子供たちを公衆の面前に連れ出してまで「笑い」にするべきネタでしょうか?

これが残念ながら、昔も今も、アメリカの多くの国民がアジア系の人々を見ている目線の一例なんです。

このジョークは逆に言えば、アジア人は数字にばかり長け、経済活動に身を捧げていて、
アートや文化への造詣は浅いかのような誤解を招きます。
本当はアジアにも、東西南北いろいろな彩りを持った魅力的な国々があり、
多様な人種がいるにもかかわらず。
メディアを通じて伝わるイメージというのは、影響力が非常に大きい。だから慎重に扱う必要があるのです

さらに追い打ちをかけたのは、プレゼンターとして登場したサシャ・バロン・コーエンが、
映画『ミニオンズ』になぞらえて、"非常に良く働く、イエローの、◯◯のちっちゃな人々が..."という、明らかに一瞬、黄色人種について
語ったかのようなジョークを(彼が個人的に用意したアドリブだと願いますが)投げ込んだことです。
こういうことを平気でメディアで語る、"繊細さ"の無い人々がいるから、
いつまでも「有色人種(※この言葉も好きではありませんが)」についてのイメージは変わらず、
男優・女優たちには、"繊細な"、ノミネートに値するような重要度の役柄や機会が、
映画の脚本の中で、20年経っても30年経ってもなかなか増えてこないという現実があります。

僕らアジア系の、"黄色"と言われる俳優・女優たちは、その「壁」と常に戦っているのです

この二つのジョークは、本年度のオスカーだからこそ!!、とてもではないですが見過ごせない、
かなり「残念な汚点」でした

日本では、一部でしか報道されていないと思いますが、この、「人種への"無知""無理解"」とも言えるジョークに対し、
米国では25名のアジア系俳優やクリエーターのアカデミー会員たちが、
すぐさまアカデミー本部に抗議文を送りつけました。
送り主の代表には、アカデミー賞受賞者であるアン・リー監督、俳優のジョージ・タケイさん、女優のサンドラ・オーさんなど。
そしてその訴えに対し、アカデミー側も代表がすぐに謝罪文をメディアを通じて発表しました。
動きが速いですね(これに関しては、双方に対して感心しました)!!
良くも悪くも、ここまでの問題として意識されるのが、アメリカに常に横たわっている人種問題なのです。

これは決してアジア系だけを巡る問題ではありません。過去何年間かを振り返っても、
ノミニーたちの顔ぶれにアフリカ系(黒人)俳優はいても、ラテン系は滅多に見られないはず。
中東アラブ系が選出された記憶は?
今年は、『レヴェナント:蘇えりし者』の中に、非常に重要なポジションでアメリカの先住民が登場しています。
でも彼らのような民族が、過去に映画の脚本の中でどれほどちゃんとした人格として描かれてきたでしょうか。

今年の【人種の"多様性"】問題は、去年の授賞式から一層強く叫ばれてきたことですが、それは決して
"近年"だけの問題でもなければ、アカデミーの組織だけが抱える問題でもありません。
USC(南カリフォルニア大学。映画学科が名門であることで特に知られる)のジャーナリズム部門の研究の統計によれば、
ハリウッド映画の中で各人種が「主役」に起用されている割合は、
白人が78%、黒人が14%、ラテン系が2.7%、アジア系は1.3%、それらに属さない人種が3.4%だそうです。

映画やテレビ界のプロデューサー、監督、脚本家、キャスティング・ディレクター、
その他スタッフや俳優たち自身の意識、もっと言えば社会全体の意識が変わっていかなければ、
「スクリーン上に描かれる役柄の人種の比率や内容」は変わってはいきません。
ハリウッドの映像世界では、白人なら、例えば繊細なラブストーリーが溢れかえるほどに存在しますよね?
でも、アフリカ系なら? ラテン系なら? アラブ系なら?
アジア系はどうですか? その比率は明らかに低くなります。
作り手に限ったことではありません。
映画という商品に料金を払う、ファンの目線もこの先は変わっていく必要があります。
確かな需要が無ければ、供給がされることはないのですから

 

さて同時に、
《アカデミーを擁護する意見》も、公平に書いておきます。

確かに、現在のアカデミーの体制・構成にやや古い面はあります。
全会員メンバーのうち、白人が90%以上を占め、黒人は約2%、アジア系は1%にも満たないのが現状だそうです。
平均年齢は、2012年の調べでは60代。
ただこれはアメリカという国の成り立ちの歴史と時代時代で映画が描写してきた題材や役柄によって
形成されてきた割合だとも言えるので、アカデミーのみを責めるわけにはいきません。
この比率を変えるには、ここからの国づくりや、人口比率の変化、「未来」に
向けた意識の在り方に期待するしかありません

それに、会員のほとんどが白人だからといって、アカデミーが白人にしか注目せず、
白人にしかノミネーションや受賞の栄誉を与えない... なんてことは決してないのです

むしろ、過去の受賞者やノミネート者やそれに準ずる推薦を受けた者で主に構成されている会員たちの
見識は深く、当然映画の専門のプロたちなわけです。
トップ級の人材ばかりの集合体であることには間違いないのですから。
その「鑑賞眼」には確固たる説得力が、やはりあります。

今年は、授賞式ボイコットにまで事態が発展してしまいましたが、88年間のアカデミー賞の歴史のうち、
直近の"わずか2年"のノミネート結果だけを過剰に注視する動きには、僕はやや違和感を覚えます。

僕がレッドカーペットのインタビュアーとして間近で見てきた6年間だけでも、
『ヘルプ』のヴァイオラ・デイビス、『キャプテン・フィリップス』のバーカッド・アブディ、
『ハッシュパピー ~バスタブ島の少女~』のクワベンジャネ・ウォリス、
『それでも夜は明ける』のルピタ・ニョンゴやチウェテル・イジョフォーらが評価されてきたことを鮮明に思い出します。
ノミネートだけでなく、受賞者もいます。
演技が初体験だった者でも、年間数百本にも上るアカデミー賞対象作の映画群の中から、
たった5人の中に選ばれているんです。

たとえアカデミー会員の90%が白人でも、真に素晴らしい演技であれば、誰をもノミネートする眼があり、
現実にそうなっています

直近の2年間を見て、「黒人が一人もノミネートされていないじゃないか!!」と騒ぎ過ぎるのも、
それはそれで偏った見方であると思うのです。

監督賞に目を向けて下さい。2年連続でメキシコのアレハンドロ・イニャリトゥが受賞しました。
撮影賞の部門は、なんと3年連続でメキシコのエマニュエル・ルベツキが独占です。
3年前の作品賞を制したのは黒人監督スティーブ・マックイーンの作品でした。
その結果を見て、白人会員たちが、「なんだよ! 白人の監督や撮影陣が、このところ受賞し難いじゃないか!」とは言いません。

長編アニメーション部門にはジブリ作品が3年連続でノミネートされてきました。
米ディズニーの作品はほぼ毎年ノミネートもしくは受賞を果たしています。
それでも、アニメ関係者が、「最近は、ディズニーとジブリばっかりだよ!!」
と公に文句を言うことなど無いのです。

良い作品には、賛辞を贈るだけです。
その「見識、鑑賞眼」をアカデミーの会員たちは有しています

今年、ちょっとこれは不公平だな... と、僕が個人的な感想として抱いた部分を強いて挙げるとすれば、
『Concussion』という作品で、米NFLのフットボール界の問題を暴いたナイジェリア出身の
神経病理学者/医師という難しい役柄を、重みと知性と人物の器を感じさせつつ演じて見せた
ウィル・スミスがノミネート入りしなかったこと。これには僕も強く同情します。
実に素晴らしい演技でしたから!!
それから、キャリー・ジョージ・フクナガ監督の野心作『ビースト・オブ・ノー・ネーション』が
アカデミー賞では無視されてしまったことも。
でも、それらがたまたま選に漏れてしまったことは、
「出演者が黒人だから!」と完全に言い切れるものでもないと思います。
かなり話題になった『ブラック・スキャンダル』のジョニー・デップの
あの入魂の役作りであっても、最終の5人には入れませんでした。
それだけ、オスカーの選考基準が本当に厳しいということなんです。

オスカーへの道のりの競争が、熾烈だということ。
(※ディカプリオだって、過去にジェイミー・フォックスとフォレスト・ウィテカーに
主演賞を獲られている事実もあります。必ずしも、常に白人が有利なわけではないのです)

だからこそノミネート時や、受賞時に、あれだけの興奮と感動が生まれている
のだということを、忘れてはならないと思います。

アカデミーは、今年のボイコットなどの抗議を受けて、会員メンバーの投票権に
関するルールを大きく改訂しました。きっといろいろな面が将来変わっていってくれるはず。
そして、アカデミーだけでなく、映画界、テレビ界だけでなく、社会全体の認識を
変えていくのは、我々《未来を担う人材たち》です

皆で、今ある"図"を、書き換えていきましょう。

We all dream in gold.

We "all" じゃなきゃ、いけないですよね。未来は♪