ハリウッドが惚れ込んだ"存在感"、三船敏郎は今も世界を圧倒する。

菊千代、三十郎、真壁六郎太、宮本武蔵、吉井虎長、山本五十六...

架空のキャラクターにも、実在の人物にも、演じる際には全力を注ぎ込んだ、今は亡き日本を代表する名優・三船敏郎
没後19年の今年、彼の「伝説」が、再び強い脚光を浴びています

米国ロサンゼルス、市の最も栄える観光スポットは、
沢山のスターたちの星形プレートが埋められてるハリウッドの大通り。

現地時間2016年11月14日午前11時30分、
「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム/WALK OF FAME」、"名声の歩道"と呼ばれる
その道に用意された特設ステージで、2594番目の「星」が披露されました

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その星に刻まれた名前は、

"TOSHIRO MIFUNE"

三船敏郎さんのハリウッド殿堂入りです

ハリウッドの商工会議所が運営する「ウォーク・オブ・フェーム」の殿堂入りは、
映画・テレビ・音楽・ラジオ・演劇などエンターテインメント界で成された功績を讃えて認定するもので、
長いハリウッドの歴史の中で、日本人では早川雪洲さん(『チート』『戦場にかける橋』)、マコ岩松さん(『砲艦サンパブロ』『コナン・ザ・グレート』)に続いて3人目となる快挙です。
※俳優以外では怪獣ゴジラのプレートもあるので、それを含めると日本関連の「星」は4つ目。

この嬉しいニュースに、米国の映画ファン、三船ファンたちからはネット上でも、

Long overdue! Wish it had been earlier.(待たせすぎ!もっと早く讃えて欲しかった)

Banzai!(万歳!)

Well deserved!!(当然です!!)

Beautiful(美しい)

といった数々の賛辞が飛び交いました。

殿堂入りのセレモニーは、平日にもかかわらず、沿道の多くのファンたちに見守られる中、
無事に開催されました。

セレモニーには、三船敏郎さんのご子息である三船史郎さん、奥様の三船暁美さん、
最新ドキュメンタリー映画『MIFUNE THE LAST SAMURAI/ミフネ:ザ・ラスト・サムライ』で
コンサルティング・プロデューサーを務めた三船力也さん(敏郎さんのお孫さん)、
同映画の監督として抜擢された日系監督スティーヴン・オカザキさん(『Days of Waiting~待ちわびる日々』でアカデミー賞ドキュメンタリー作品賞を受賞)、
さらに『ミフネ:ザ・ラスト・サムライ』エグゼクティヴ・プロデューサーの中沢敏明さんと奥様で脚本家の山岸きくみさん、
同作プロデューサーの後藤太郎さん、
東京レストランツファクトリー株式会社代表取締役の渡邉仁さん、
そしてハリウッド商工会議所のチェアマンであるファリバ・カランタリさんらが出席。

ゲストには、在ロサンゼルス日本総領事の千葉明さんご夫妻、
『北北西に進路を取れ』『スパイ大作戦』の名優で殿堂入りを果たしているマーティン・ランドーさん、
また海外作品での三船さん遺作となった『ピクチャーブライド』で
昔懐かしい弁士役を演じた三船さんと共演を果たしているタムリン・トミタさん、
同作の日本側キャスティングを手がけた高田ゆみさんら、
100名を超えるVIPが招かれました

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三船さんが生涯で約150本の映画に出演し、黒澤明監督とタッグを組んだ16本の作品が世界にその名を轟かせたこと、
1920年に中国で写真館を営む両親の生まれた生い立ちや、
戦時中は陸軍航空隊の写真班に配属され、のちに撮影部志望のはずだった東宝撮影所で、なぜか俳優部門の面接を受け、
やがて日本が誇るスターとなり、海外作品でも活躍する地位を築いていった...

という主な経歴がセレモニーの進行役から紹介されると、

最初に、『ミフネ:ザ・ラスト・サムライ』の監督スティーヴン・オカザキさんが紹介を受け、壇上へ、

「...ロサンゼルスで育った私は子供の頃、近所の子らと西部劇や『ウエスト・サイド物語』なんかを真似て遊んでいましたけど、
黒澤明監督の『七人の侍』や稲垣浩監督の『宮本武蔵』3部作を見てからは、みんな侍になりたいと憧れるようになりました(中略)...。
50年代、60年代には、三船さんのような本当にパワフルさが漲る、スクリーン上の存在感のあるアジア人俳優など
まったくいなかったんです」

と、オカザキ監督は映像の中の三船さんとの出会いの衝撃を語りました。

続いて、ロサンゼルス市13地区議会議員ミッチ・オファレルさんが登壇すると、

「...映画の美しさは、言葉がバリアーにはならないことです。
偉大なる芸術作品や、三船さんが演じたキャラクターの真実味は、映画の力を通して表現されるのです。
自信を持って言えるのは、彼はどんなジャンルをも越え国籍をも越え、
映画に優雅さを与えることのできた、史上最も完成された俳優の一人だということです」

と、熱のある口調で語りました。
そして三船さんのご家族、友人、仕事の仲間の方々と一緒に、この度の栄誉を讃える喜びに触れた後、
三船家を代表して、一番若い世代の力也さんがステージ上に招かれました。

力也さんには、ロサンゼルス市のリーダーたちから三船敏郎さんの世界的遺産と貢献に対する感謝の意を記した証書が送られました。
それを手にし、カメラや出席者の前に立つと、ご家族やプロデューサーやゲスト、そして沿道のファンから温かな拍手が送られました。

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写真提供: 合田純子 @GoJunko

そして力也さんは三船プロダクション代表として紹介され、演台のマイクの前へ。

「三船家より、この場の皆様やゲストの方々に、三船敏郎にとっての非常に記念すべき日に
世界中から駆けつけ、この式典を支援して下さったことに心から感謝申し上げます。
来年で三船がこの世を去ってから20年を迎えますが、彼の成し遂げてきたことが今でもこうして認められ
評価していただけることを嬉しく思います(中略)...。

この式典が、彼の生前に行われていれば...と正直思います。祖父は私が9歳の時に他界したので
彼についての想い出は、祖父としての姿です。
彼が家で優しかったのを覚えています。話す時には荒々しく男らしい感じで、姿勢が良く、家でも本当に侍のようでした。

祖父の俳優としての部分については、『ミフネ:ザ・ラスト・サムライ』の製作過程で沢山のことを発見できたと思います(中略)...。
今月末からは劇場公開も始まりますので、是非多くの方々に見ていただきたいです。
この難しい題材に取り組んでくれたスティーヴン・オカザキ監督に感謝しています。
この仕事に、彼以上に相応しい人はいませんでした。
家族も僕もとても映画の完成を誇らしく感じており、きっと祖父も同じように思ってくれているはずです。
スティーヴンは制作プロセスのすべてに尽くしてくれました。
撮影セットでは、
彼も真のサムライである、と感じました。

それから、この映画の発案者であり、エグゼクティブ・プロデューサーを務めて下さった、中沢敏明さんにも御礼申し上げます。
彼は日本映画の黄金期に、三船プロダクションにおいて三船敏郎と長年仕事をしてきました。
ご自身の会社、セディックインターナショナルを設立後は、『十三人の刺客』『喰女 -クイメ-』
そして第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『おくりびと』といった数多くの力のある日本映画を製作してきました。

これからも日本の映画界が、ゴジラ、ジブリ作品、そして黒澤作品のように、
力強くグローバルに支持される映画を生み出し続けることを願っています。
三船敏郎の遺したものを生かしていきながら、日本を背負っていくような、国際的に受け入れられる作品を創っていくことが自分の使命だと感じています。
映画の持つ力、そして映画が国境を越え、言葉、文化、人種の違いをも越えていくことを強く信じています...」

と、堂々と語り、
さらにNYの地にレストラン「三船」をまもなくオープンさせる東京レストランツファクトリー株式会社の渡邉仁さん、
この日のセレモニーの実現を支えたプロデューサーの後藤太郎さん、
そして最後に"ミフネのサムライ・スピリット"に命を与え続ける世界中のファンに感謝の気持ちを伝えました。

僕は、ちょうど力也さんらの真後ろの招待席で、この光景を見つめていました。

長き歴史の中で日本人ではわずかに3人目の認定ですから、
今後、またすぐに見れるようなシーンではないかもしれません。
何年かに一度、ひょっとしたら何十年かに一度、あるかないか、
そういう稀な時間であったことは間違いありません

米国の何社ものメディアのカメラが、三船敏郎さんの「星」を競うように写真に撮り、
その場のすべての視線が三船史郎ご夫妻や力也さんに注がれていることは、日本人として
本当に誇らしいことでした。

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写真提供: Eric Calderon

今の若い世代の方々には、三船敏郎さんの演技と作品が、ハリウッドに、世界に、
どれほどの影響力を及ぼしたかが、なかなか肌で感じ難いかもしれません。
三船さんは映画作品だけでなく、米国では1980年に社会的なブームを生んだジェームズ・クラベル原作のNBCテレビドラマ『将軍 SHOGUN』(エミー賞ミニシリーズ部門作品賞受賞)で、
虎長という殿様役を演じたことで、全国区の人気と知名度も獲得しています。
むしろ日本での映画ファンの尊敬度や関心度以上に、外国、特にハリウッドでの三船敏郎さんへの信奉は深く熱いと言えます。

ファンだけでなく、業界人らの憧れや畏敬の念は、少しも弱まることがありません。
"ミフネ"や"クロサワ"は、彼らにとって今も「神」、そう言っても過言ではないでしょう

11月14日は、その眩しさをあらためて目撃した日であり、このときめきは
忘れることのできないものです

この日、世界に向けて披露された三船さんの星形プレートは、
スターたちの手形でも知られるチャイニーズ・シアターの真向かいの歩道で見つけることができます。
アカデミー賞の会場であるドルビー・シアターからも、すぐ近くにあります。
5kmほどの周囲の広域エリアに、2500を超える星形プレートが敷き詰められている、その中で、
一番観光客が賑わいを見せるこの二つのハリウッドの劇場の真ん前に
今回、三船さんのプレートが設置されました

そこには、ハリウッドの業界の、
他のスターたちとは別格と言っていい、
深い尊敬の念が、表されているのです。

*      *      *      *      *

そして、その"ミフネ"の凄みを再認識させ、人柄の奥深さを教えてくれるのが、

前日13日の夜に、AFI FEST(※AFI/アメリカ映画協会が毎年主催する有力映画祭。
賞シーズンの口火を切る時期の開催なので話題作の上映が多い)で、ロサンゼルス・プレミア上映を行った、

前述のドキュメンタリー映画

『MIFUNE THE LAST SAMURAI/ミフネ:ザ・ラスト・サムライ』です。

会場となった劇場には、入場のために多くの映画ファンが列を作って並んでいました。
このことだけでも嬉しかったのですが、シアターの席に座ってからの興奮した空気、
上映直前の観客の盛り上がる歓声など、

「皆、本当に三船さんのファンで、観に来ているんだなぁ...」

と実感させられ、映画への期待度は急上昇しました。
あたたかな雰囲気の中、上映がスタート...。

観る前は、世界で「侍」の代名詞ともなった三船さんの黄金期の姿を
ふんだんに見せる映画なのだろうと、僕は思っていました。

しかし、それだけではないのです。

"チャンバラ"という呼び名、日本の活劇のルーツにも触れながら、
三船さんの俳優としてのスケールが、それまでのスターたちといかに違っていたのか?
黒澤&三船の「奇跡のペア」が時代劇に、映画に起こした、革命的な違い、は何だったのか?
三船さんの生い立ちと、彼自身が戦争の地で経験してきたことが、
その後の俳優としての仕事ぶり、勤勉さ、生き方にいかに影響しているか?
元々は俳優志願ではなく、撮影部希望者だったのにも関わらず、
俳優業に、役柄に、ひたすら没頭し打ち込んでいった、その姿勢を貫かせたものは何だったのか?

映画のカメラの裏側でしか知ることのできなかったことが、彼の家族・スタッフ・後輩俳優たち
(土屋嘉男さんや加藤武さん、他)の言葉を通じて紐解かれていくのです。

非常に珍しい、殺陣師・宇仁貫三さん(あまりにも有名な『用心棒』『椿三十郎』の殺陣・剣技指導を担当した久世竜さんの弟子)が明かす、
三船さんとの立ち回りの怒濤の勢いと向かい合い、追われ、斬られる時の怖さや痛みの話からは、
実際に手合わせをした宇仁さんだからこそ感じられるダイナミズムが伝わってきます。

それでいて本来は繊細で、几帳面で、共演者やスタッフを気遣う穏やかで紳士な態度も、
香川京子さん、司葉子さん、八千草薫さんらの証言から、判ってくるのです。
品位に溢れる共演女優の皆さんが、三船さんの優しさを懐かしんでいる言葉は、胸に沁みます。

スティーヴン・スピルバーグ監督は、『1941』という戦争コメディに三船さんを起用しています。
大作であったにもかかわらず同監督の輝かしいキャリアの中では埋もれがちなこの作品での、
三船さんが演じた時の真摯で楽しげな印象を聞けることも、とても貴重です。
三船さんは台本の喜劇的な意図、スピルバーグさんの演出意図をとてもよく汲み取っていたと言います。

『ミフネ:ザ・ラスト・サムライ』の米国版予告編には、

"彼は、献身、高潔さ、侍の精神を体現し、
映画のヒーロー像を生み換えた
"

と、(英語で)言葉が刻まれています。

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スティーヴン・オカザキ監督とタムリン・トミタさん

上映後の質疑応答では、監督のスティーヴン・オカザキさんと三船力也さんが、
それぞれ、ストイックで真面目さが垣間見えるエピソードを明かしてくれました。

「ドキュメンタリーを撮る中で、皆が口を揃えて言ったのは、撮影初日に三船さんは
台本を現場に持ってこなかったこと。すべてセリフを頭に叩き込んでから来たんだ、と。
自宅に遺されている彼の台本は、演技プランの書き込みだらけでしたよ」

「父に聞いたんですが、練習する姿はほとんど家族に見せなかったそうです。
でも、庭には明らかに刀の立ち回りを練習した跡が地面にあったと...」

司葉子さんは、映画の中で三船さんをこう言い表します、

「三船さんってね、海みたいな人。とっても広くてね。
...けども、ある時は、凄い、海って荒れるでしょ」

スピルバーグ監督は評します、

「ミフネは、凄い勇気を持っていて、スクリーンで爆発させるんだ」

本作のナレーションを務めたキアヌ・リーヴスは静かに語ります、

「(もしミフネとクロサワがいなかったら...)
『荒野の七人』という名作も生まれず、
クリント・イーストウッドのキャリアに『荒野の用心棒』という作品は加わらなかった。
ダース・ベイダーのモデルが侍であることもなかったんだ」

と。

ハリウッドの、世界の、俳優たちは、彼に夢中になりました。
俳優だけでなく、マーティン・スコセッシさん、ジョージ・ルーカスさん、フランシス・コッポラさんといった
巨匠監督をはじめとする、すべての映画作家たちも。
(※スコセッシ監督は本ドキュメンタリーの中で独自の描写でミフネを語っています!)
それまでのスクリーンのヒーローになかった仕草や奥行き、迫力と輝きを三船敏郎さんは放っていたのです。

スピルバーグ監督はさらに映画の中で評します、

「演技に真剣に取り組む俳優たちは、彼のことを研究するんだ...
...沢山の人々がミフネを真似ようと試みる。でも、誰にもできないのさ」

三船敏郎さんの作品を何度となく見返してきた人も、
"世界のミフネ"の偉大さにこれから触れる人も、
このドキュメンタリーを観れば、一気にその眼光に、魅力に、存在の力に、
吸い込まれてしまうでしょう。

観終わった時に、もしも"後編"があるならば、もっと観ていたい!!!
そう感じさせるほど、時間を忘れてしまった映画でした

上映後、大きな祝福の拍手で包まれたこの作品、
日本での公開をお楽しみに。

*     *     *     *     *

(※11月13日の上映と14日の式典には、本当に稀なご縁から、三船力也さんと三船プロダクションのご厚意で個人的に出席させて頂いたのですが、
この2日間の体験を日本の映画ファンやドラマファンの皆さんにお伝えせずにはいられない...と思い立ち、本コラムの場をお借りして、掲載させて頂きました。関係者の皆様に心から感謝しております)

(写真・取材・文/尾崎英二郎)