アメリカのお茶の間で人気上昇中のメディカル・サスペンス『レジデント 型破りな天才研修医』は、有名総合病院の腐敗した上層部に立ち向かっていく若き研修医たち(=resident)を中心にドラマが展開していく。製作総指揮は映画『マグニフィセント・セブン』(2016)をヒットさせ、2001年にはデンゼル・ワシントンをアカデミー主演男優賞に導いた映画『トレーニング・デイ』を監督したアントワーン・フークアだ。
舞台となるのは世界的に有名な私立チャステイン総合病院(架空)。そこに新入りの研修医としてやってくるのが、名門医大を卒業して自信過剰気味のデヴォン(マニシュ・ダヤル『LAW & ORDER クリミナル・インテント』)。だがルーキーの鼻っぱしらをへし折ってやろうと待ち構えているのが新米の監督役をつとめる先輩研修医コンラッド(マット・ズークリー『グッド・ワイフ』)だ。
デヴォンに対する扱いは辛らつ極まりなく、見てるこちら側としてはコンラッドが憎らしくさえ思えてくる。だがやがて明かされるのはコンラッドは患者を守るためなら院長にもたてをつく勇気(無謀さ!?)も持っているヒーローであるという事実。デヴォンへの扱いも新米研修医が究極の難関に耐えられるかを見極めるテストだったのだ。
「仲間同士を守る」という名目で、同僚医師の不正に眼をつぶるという不健康な文化がある医療界。第1話では、デヴォンとコンラッドの出会いと並行してショッキングなシーンからスタートする。名医として名を馳せているベルだが、手術執刀中に突然手が震えだし患者の大動脈を誤って切断、死に至らしめてしまうという重大な事故が発生する。恐ろしいのは、ベルが周囲の助手たちにほぼ脅迫まがいに沈黙を要請、事件を闇に葬ってしまう。
ベルの執刀した手術での死亡率が異常に高いことに疑念を抱いたコンラッドは、クビの可能性もかえりみずベルを問いただす。このシーンはカッコいい。もし実際にこんな不正があったら、コンラッドのように立ち向かってくれるドクターはいるだろうか。(いることを祈る!)『レジデント 型破りな天才研修医』は、お茶の間向けのドラマであるから、映画『トレーニング・デイ』のようなダークでギラついたタッチはない。だがテーマ自体はハッキリ言って『トレーニング・デイ』よりももっと身近でコワい。人の命を守るためのドクターが人を人とも思わなくなってしまう様が描かれているからだ。そんな状況を引き起こしている要因とは何か。お金である。
究極なまでに自由資本主義のアメリカでは人命を左右する病院や製薬会社までもが利益主義で、採算が合わなければ患者が必要とするケアを施さないことすらある。日本では信じられない話しだが、妥当な保険を持っていない患者は必要とされる医療ケアが高価すぎて受けられず、早死にする憂き目に遭い、富裕層のみが世界最先端のアメリカ医療を受けられるというのが現状なのだ。
恐ろしいまでに分かりやすい例がある。アメリカでエイズ・ウィルスHIVに感染した患者が服用しなければならないダラプリムという薬がある。それを製造する製薬会社の持ち主が変わった。その新しい持ち主というのが株で荒稼ぎをして成金になった30代だ。そのオーナーが一夜のうちに薬の金額を1錠につき13.50ドルから750ドルに跳ね上げた。約56倍である。日本では有りえない話しだ。この悪行は社会的な大問題となり、製薬会社の責任者は槍玉に挙げられやがて社会からも葬り去られた。だがこういった値上げ行為自体は違法ではないというアメリカの医療システムは異常である。おまけに、人間というのは金持ちになったり偉くなったりすると、無敵になったような感覚に陥りやすいようだ。『レジデント 型破りな天才研修医』を見るとこのおぞましい状況がよくわかる。だがこれ以上の詳細は皆さんが番組をご覧になるときのために伏せておこう。
日本とアメリカの医療システムは天と地ほどの差があるものの、医療界のスキャンダルは日本でも起きている。医者は絶対的存在ではないということが改めて思い知らされる。治療について質問すべきことは迷わず質問し、セカンド・オピニオンが必要であればそれを得て、最終的に自分の身体は自分で守らなければと、『レジデント 型破りな天才研修医』を通じて諭されるのである。
(BY: Akemi K. Tosto / 明美・トスト)