今、鋭い視点で"もう一つの世界"を映し出す『高い城の男』の魅力とは?【中編】

(※注意:このコラムの文中のキャラクターの名称や、監督名・俳優名・女優名などは、原語または米語の発音に近いカタカナ表記で書かせて頂いています)

10月5日よりシーズン3が配信スタートしたAmazonオリジナルドラマ『高い城の男』。フィリップ・K・ディックの同名小説を原作とした本作は、「もし、第二次世界大戦でナチスドイツと大日本帝国の同盟が敗北せず、米英の連合国軍を打ち破って勝利し、北米を占領していたら!?」という設定で仮想の1960年代を描いたSFドラマである。その魅力を、シーズン3から出演している尾崎英二郎が3回に分けてご紹介。

(※わずかではありますが、第1・2・3シーズンのネタばれを本コラムは含みますのでご注意ください)

【関連記事】このコラム【前編】はこちら

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〈独特の抑制されたトーンとリズム〉

好評だった第1シーズンであっても、物語の滑り出しは「展開がややスローだ」という指摘は少なくなかった。しかし主人公の白人女性ジュリアナ・クレイン(アレクサ・ダヴァロス)がサンフランシスコから中立地帯へと入り込み探っていく時間は、権力に追われた者たちが「逃避できる生存圏の存在(しかしそのエリアさえも手放しで安全というわけではない!)」を視聴者に体感させるのに必要なプロセスだった。
日本人視聴者にとっては、第1シーズンの第3話から皇太子殿下ご夫妻が日本領であるサンフランシスコを来訪するという展開があるので目が離せなくなる。日本の皇族が、取り巻きの政治家や軍人とは異なる静粛な空気の中で登場するあたりも、海外のドラマとはいえ、リサーチされた考察が生きている。このエピソードの中では短いショットでありながら、ある高名な軍人の追悼碑を見せるシーンもあり、詳細に世界観を見せようという本気度が伺える。

映画やドラマファンの方々は、このシリーズを手掛けているのがリドリー・スコット率いるスコット・フリー・プロダクションという制作会社であることもご存知かもしれない。『高い城の男』はリドリー自身が初めは映画化を構想していた企画で、英BBCでミニシリーズとしてドラマ映像化の試みもありながら結実せず、最終的にアマゾン・スタジオがネット配信ドラマ化権を獲得した案件で、リドリーも製作総指揮として名を連ねている。

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原作者フィリップ・K・ディック作品のモチーフの特徴とも言える"現実とは異なる現実""懐疑的な造られた世界"を見事に映像化して近未来SF映画の金字塔を打ち立てた『ブレードランナー』(リドリー自身が監督)や、その後を描いた続編『ブレードランナー 2049』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)で、特に序盤、じっくり淡々と細かなリアリティーを積み上げていくあのリズム、抑制の効いた、しかしやがて迫ってくる激しい攻防までの道のりを堪能したという方は、この『高い城の男』の作劇の手法にもきっとハマる。
大げさに、劇的に演出されない、日常のリアルなトーンがまず確立されてこそ、この"改変された世界の存在"の残酷さと恐ろしさが身に沁みてくるのだ。
同様にSF映画の傑作であるリドリー監督の『エイリアン』でも、前半の宇宙船内のごく日常の飛行士たちの会話、生活ぶり、自然さ溢れた演出がずっと続いていくからこそ、のちに控えている未知の生命体との極限の戦いの危機が際立ってくるのだ。

そういう意味では、シーズン1とシーズン2で築かれた世界観と蒔かれた世界の危機の種、全ての伏線が、このシーズン3で激しくドラマチックな展開を見せるのは盤石のラインだと言える。
珠玉の映像を生み出し、本ドラマの第1&第2シーズン連続でエミー賞にノミネートされ、初年度は見事に受賞も果たした撮影監督のジェームズ・ホーキンソンは、リドリーと『ブレードランナー』、そしてフィリップ・K・ディック作品のファンであることを公言している。
演出や映像美にリドリー・スコットのトーンや雰囲気が感じられるのは、決して偶然ではない。

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〈このドラマのキャラクターたちが戦うもの。彼らを取り巻くドラマの力点〉

チーフ・ディレクター兼エグゼクティヴのダン・パーシヴァルは語る。
「今の時代の人は、ファシズム(独裁権力による抑圧された国家体制)がどんな光景なのかを知らない。もし自分たちがそれを受け入れてしまったらどうなるか? ファシズムは初めは民主主義から起きていく。歴史が証明しているけど、1年の間にでも、一変し、自由や権利が奪われてしまうことがあるんだ」

このドラマのエグゼクティヴ・プロデューサーの一人に、イサ・ディック・ハケットがいる。イサは、フィリップ・K・ディックの実の娘さんだ。彼女はハッキリと述べている、「父、フィリップの作品には反ファシズムの思いが貫かれている」と。

例えば、実際の独裁者ヒトラーが率いたナチスドイツの人種政策の一つに、「優生思想(選民思想)」というものがある。アーリア人(Aryans)を最高の人種と定めて、人種的に優秀と認める者しか生きる価値と権利がないと見なす方針だ。例えば、不治の病にかかってしまった人や障害を抱える人、生殖機能を失った人やアーリア人以外の人々を社会的に排除していくという、人権無視の思想である。
ここでいう「優生思想」とは、アーリア人であるゲルマン民族には優越性があり、ヒトラーはアーリア人を文化の創造者、ユダヤ人を文化の破壊者と捉えていたことだ。日本民族は文化の伝達者に過ぎず、創造者よりは劣り、いずれ衰退すると考えられていた。

フィリップ・K・ディックは「高い城の男」を執筆するために、ナチスドイツの優生思想において"不適格"と判断された人間たちが社会から抹殺された非道な体制についてリサーチしていた時、のちの人気小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の中のアンドロイドたち(=『ブレードランナー』で身を追われるレプリカントたち)のアイデアを想起した、と語っている。映画の舞台設定はロサンゼルスだが、原作小説「アンドロイドは~」の舞台がサンフランシスコであることも、ディックのこだわりを感じさせる。彼の作品群には、独裁主義や全体主義へのアンチテーゼが、根底に共通して流れているのだ。

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ドラマ『高い城の男』でもこの「優生思想」を理想とした社会で葛藤し苦しみ抜く人間たちに焦点を当てている。
マイノリティーの弱者たちだけでなく、ナチスドイツの社会の中にもこの在り方に疑問を感じ、ルールに背いていく人々がいる。一方、帝国主義が続く日本が支配する領土でも、旧アメリカ合衆国の反乱軍や過激派を鎮圧するために憲兵隊が猛威を振るい、時に非常に残忍な拷問や暴力シーンを見せる。しかし同時に、忠誠心や平和主義を重んじる政府関係者の存在や、軍拡に反対し平和デモで訴える日本人たちの姿も描かれたりしている。
特に日本人社会は、最終的に世界規模の完全なる支配と人種の統一を目指すナチスドイツの侵攻の脅威に晒されており、"抹殺される側"に転じ得る局面を打破しなければならないという綱渡りの立場に立たされている。

このドラマは、大ナチス帝国のナチスドイツの人間たちや日本太平洋合衆国の人間たちが、単に「邪悪な存在」や「悪役」として描かれているのではなく、中立地帯を含む、どの地域や国家の内側にも、理知的な人々、良識ある人々、慈悲深い人々、好戦的な人々、狡猾な人々、卑劣な人々がいることを浮き彫りにし、

理想とは何か?

誰にとっての理想なのか?

人が生きていく上で「真の理想」とは何なのか?

「自由」を手に入れるためにどう戦うのか?

生き抜いていくには、何をすべきか?

を観ている我々に問いかけてくるのだ。

このコラム【前編】はこちら
このコラム【後編】はこちら

(文/尾崎英二郎)

Photo:『高い城の男』