夏目漱石をして「平凡にして活躍せる文字を草して技神に入る」、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)にして「シェイクスピアにも比すべき存在である」といわしめたイギリスの女流作家ジェイン・オースティン。キーラ・ナイトレイが主演した映画『プライドと偏見』は、ジェイン・オースティンの『自負と偏見(高慢と偏見)』が原作だ。
さて、この5月と6月の2カ月にわたり、ジェイン・オースティン原作のドラマを特集してくれているのが、LaLa TV。ジェイン・オースティン原作のTVドラマとくれば、やはりイギリス本国での製作が◎。映画『プライドと偏見』を見て、物足りなさを感じたのであれば、TVドラマ版『高慢と偏見』をおすすめしたい。そのほかにも、『ノーサンガー・アベイ』『マンスフィールド・パーク』『エマ』『分別と多感』『説得』などジェイン・オースティンの作品がここぞとばかりに紹介されている。
では、ジェイン・オースティン原作のTVドラマ作品を紹介していこう。
『高慢と偏見』
ジェイン・オースティンの原作の映像化作品としては最高峰!といってもよい作品。とある姉妹の資質の違いが、彼女たちの未来を左右していくという、オースティン流皮肉があちこちに散りばめられている。ダーシー卿を演じたコリン・ファースがその後、『高慢と偏見』の原題版『ブリジット・ジョーンズの日記』のダーシー役として出演したのは有名なエピソード。
『ノーサンガー・アベイ』
アベイ(アビー)というのは、修道院という意味。『ノーサンガー・アベイ』は、以前修道院だったという大邸宅ノーサンガー・アベイで繰り広げられるオカルト風味ラブコメディ。当時流行していたゴシック・ロマンスをパロディ化しているあたり、ジェイン・オースティンの真骨頂発揮か。しかし、TVドラマではパロディであること自体がわかりにく構成となっているのが、少々残念。
『マンスフィールド・パーク』
アッパー・ミドル・クラスというものを、より一層理解できる?一作。アッパー・ミドル・クラスだからといって、みながみな、お金があるわけではない、そんな貧しい家に生まれた娘が、玉の輿に乗って准男爵夫人となった伯母の家、マンスフィールド・パークに引き取られ、従兄妹たちとともに成長していく姿を描く。もちろん、マンスフィールド・パークでで繰り広げられるのは、想像通りの恋愛喜劇。
『エマ』
自分を利口で勘が鋭いと思い込んでいる主人公エマ。エマがおせっかいすると、それまでは順調に進んでいたものごとが途端に不調になる。そのくせ、そのことにまったく気づかないという馬鹿さ加減をこと細かく描いている。オースティンの原作にはさまざまな女性が出てくるが、ここまでアレレ?な女性が主人公というのは珍しい。とはいえ、最後にハッピーエンドを用意しているところがオースティン流の気遣いか。
『分別と多感』
『高慢と偏見』と同様、姉妹たちの資質とその人生(を示唆)に迫る一作。ここでもイギリス独特の遺産相続の問題が提起される。当時のアッパー・ミドル・クラスにとっていかに年収・遺産・階級が大切だったかがわかる。この作品は『いつか晴れた日に』という題名でも映画化されており、エマ・トンプソン(脚本担当、相当なオースティン好きと思われ)、ケイト・ウィンスレット、ヒュー・グラント、アラン・リックマンといった俳優たちが好演している。
『説得』
オースティン作品の中では、一番地味なキャラクターである(?)アンという女性が主人公。周囲を気遣うあまりに婚期を逃したアン(それでもまだ20代!)が、再び幸せをつかむまでを描く。『説得』とは、アンの"決定"が自分自身による判断基準ではなく、周囲の思惑と説得によって判断されていた、ということが"よくない"ということから始まるが、最終的には、結局最終判断するのは自分だよね、ということが伝わってくる(と思う)。
このように、ジェイン・オースティンが描くのは、自分自身と同じようなアッパー・ミドル・クラスの女性たち。しかも裕福ではないことがほとんど。オースティンにとって、"自分が経験していないことは書けない"らしく、たぶん、小説のほとんどは実体験からでたものなのだろう。そのへんが、自分のロマンティックな空想を昇華させたブロンテ姉妹の作品とは異なるところだ。ちなみに、シャーロット・ブロンテは、ジェイン・オースティンの作品を情感がない、詩がない、としてばっさり伐っているが、"情感と詩"を持ち合わせただけで名作が生まれるのかどうかは不明なところ。
ところで、ジェイン・オースティンが生きたのは、イギリス帝国が絶世を極めた19世紀のヴィクトリア朝を直後に控えたリージェンシー(摂政時代)とよばれた時代。"上品であること"が最大命題?だったヴィクトリア朝とは異なり、リージェンシーは快楽主義がモットーといわれたジョージ四世(ジョージ三世時代には摂政)がお手本だったというのだから、まあ品がよいとはいえない時代だったようだ。
そんな時代に生まれたジェイン・オースティン、アッパー・ミドル・クラス、つまり中流階級の上に属する家に生まれた。6人の兄弟と、『分別と多感』『自負と偏見』のように仲のよい長姉カサンドラがおり、カサンドラとジェインは2人とも生涯独身で過ごした。といって浮いたウワサがなにひとつなかったわけではなく、さすがリージェンシーに生きたオースティン、やりたいことはやっていた模様。
オースティンの主人公たちが、恋愛と結婚を最大命題としつつも、周囲を冷静に見る眼を持ち(一部例外はあり)、冷静に判断しようと努力しているところがよく描かれているのは、このようなオースティンの生きかたが影響していると思われる。「抜け目なく観察しているだけ」なんてシャーロット・ブロンテにいわれようとも、その観察眼がこのような作品群を生み出しているのだ。
さて、イギリスでのオースティン人気だが、『ブリジット・ジョーンズの日記』以降、オースティン作品が再び脚光を浴びつつあるという。それまで、教科書にのっている作家の1人(日本にもいるいる!)、というイメージが強く、オースティンに洗練されたイメージを持つヒトは少なかったとも聞く。はたまた、オースティンっていわゆるハーレクインロマンスの走りでしょ?なんてのたまう輩まででる始末。
いいえ、違います。
オースティンがもし、現代に生きていたら...。『SEX AND THE CITY』なんかよりももっともっと、女性としての確かな目で現代女性をとことんまで描いてくれることでしょう。
ところで、ラフカディオ・ハーンは、日本の大学で行った文学の講義中、ジェイン・オースティンの作品について「あなたがたにはオースティンのよさは本当に理解できないのではないか」と言ったというが、さて、オースティン作品のドラマを見ることで、オースティン的世界を少しでも理解してもらえるとうれしい。
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