たまに日本に帰国して、テレビを眺めていると、

"subtle""calm"なニュアンスをまったく感じさせないドラマを目にしたりする。

もちろん、優れた作品も中にはある。

だが、セリフに必要以上に抑揚がついてしまっていたり、仕草が大袈裟だったり、声の張り(俳優と俳優の間の距離感にそぐわない)が強過ぎるものが非常に多い。あまりに説明的な演技やセリフ回しになっていると、気恥ずかしささえ感じる。小劇場系の人気俳優たちが台頭し、テレビ界に多く進出してきた近年は、その傾向がより強まっているのかもしれない。その違いは、世界の映画祭で評価されている映画作家による日本作品群と、日本国内のみでしかヒットしない(主にTV局主導の)日本作品群の演技クオリティーを比較すれば、きっと僕の言う意味合いがわかって頂けるだろう。

日米の作品をいろいろ見ていて面白いのは、アメリカ人は日頃、結構身振り手振りや表情が派手なのに対し、演技では"subtle"と"calm"に心掛ける。

一方、日本人は日頃、感情を表に出さないし、割と落ち着いて冷静に物事に反応しているのにもかかわらず、芝居やTVドラマや映画になるとよく叫ぶし、怒鳴る。演技のタッチを "much"(多め)で "loud"(大音量) にしてしまいがち。

何年か前に、『◯◯で愛を叫ぶ』的なトレンドが流行ったが、愛は叫ばなくたって伝わる。現に日常で、愛を叫んでいる日本の国民を滅多に見ることはない。つまり、ドラマや映画が過剰にデフォルメされてしまっているということだ。

確かに、思いっきり叫んだり怒鳴ったりするのは、演じる側は気持ちのいいもの。でもこれがあまり多過ぎると、自然さと真実味の欠ける作風になってしまい、世界のマーケットでは通用しなくなることをプロデューサーは悟らなければならない。最近特に増加しているマンガ原作を、(現実感を抜きに)マンガそのままに映像化しようとする監督の責任も大だ。

ちなみに、"much"で"loud"な演技スタイルは、アメリカにだって存在する。30分のホームコメディ(シットコム)を見れば、それは顕著だ。

映画俳優やドラマの人気俳優も時にシットコムにゲストで出演したりするので、その演技アプローチは巧みに切り替えている。もしシットコムの様な大きなサイズの演技を、映画館の大スクリーンで2時間見させられたら、皆さんは疲れ、うんざりするはずだ。

「もういいよ、あなたたちは面白いよ、わかったよ...」
と。

では日本には、"subtle"と"calm"な俳優がいないのか? (その3に続く