『TRUE DETECTIVE』シーズン1が最高傑作と言われる5つの理由

米HBOの人気ドラマシリーズ『TRUE DETECTIVE/トゥルー・ディテクティブ』シリーズは、特にマシュー・マコノヒーとウディ・ハレルソンが共演したシーズン1にあたる『TRUE DETECTIVE/二人の刑事』の評価が高い。米Screen Rantが、その理由を分析しているので5つ紹介したい。

 

『TRUE DETECTIVE』シーズン1が最高傑作と言われる理由

シーズン1の舞台は、1995年のルイジアナ州。猟奇的な殺人事件の捜査を担当することになったラスティン・“ラスト”・コールとマーティ・ハートは、謎めいた事件を追ううちに、それぞれの過去や価値観と向き合うことになる。そして17年後、すでに別々の道を歩んでいた二人の元に新たな手掛かりがもたらされ、封印されていた真相が明るみになっていく──。

マシュー・マコノヒーの演技
『TRUE DETECTIVE』シーズン1が非常に優れている最大の理由の一つは、マシュー・マコノヒーの演技にある。ラストという役は、まるでマシューのために書かれたかのように感じられる。

『TRUE DETECTIVE』への出演は、彼のキャリアにおいて大きな転機となった。同シリーズに出演する前のマシューは、ロマコメ俳優として広く知られており、『ウェディング・プランナー』『10日間で男を上手にフル方法』『恋するレシピ ~理想のオトコの作り方~』などに出演していたが、その後本格的な演技派俳優としての地位を確立した。

ラストとマーティのダイナミズム
シーズン4まで製作されている『TRUE DETECTIVE』で特にシーズン1が高く評価されているのは、マシュー・マコノヒーとのウディ・ハレルソンの素晴らしいケミストリーが理由の一つだと言える。

哲学的な持論を展開するラストは、多くの問題を抱えたマーティをしばしば苛立たせる存在だ。ウディは典型的な刑事役を巧みに演じ、その堅実さゆえに、ラストの突飛で陰鬱な思想がより際立つ。二人はお互いの魅力を最大限に引き出し、『TRUE DETECTIVE』は二人にとって代表作となった。

キャリー・ジョージ・フクナガの演出
シーズン1では、監督を務めたキャリー・ジョージ・フクナガも注目され、エミー賞で監督賞を受賞した。シーズン2以降については、ウディとマシューが出演していないことに加え、フクナガの降板も大きな損失だと言える。フクナガは、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』や、Netflixのドラマシリーズ『マニアック』を監督した実力派だ。フクナガがシーズン2に復帰しなかった主な理由は、クリエイターのニック・ピゾラットとストーリーの方向性について意見が食い違い、二人の協力関係が十分ではなかったとされている。

説得力のあるセリフ
シーズン1は、キャラクターが喋るルイジアナの南部訛りが特徴的で、マーティとラストのゆっくりとしながらも洞察の鋭い会話が魅力だ。年老いたラストの印象的なセリフがいくつかある。「今日は木曜で、もう正午を過ぎた。木曜は俺の休みのうちの一日だ。休みの日は昼から飲み始める。それを邪魔するな」といった名セリフが登場する。また、「俺は自分が何者かを知っている。そして長い年月を経たからこそ、そこに勝利がある」という言葉は、ラストの内面を深く掘り下げる素晴らしいセリフの一つだ。

哲学的なテーマ
ラストのキャラクターで最も魅力的な点は、彼の幅広く哲学的な視点だ。彼は、皮肉な視点から悲観主義、実存主義、宗教などのテーマを深く掘り下げる。ラストのもう一つの名セリフとして、「この場所は誰かの町の記憶のようなもので、その記憶は薄れつつある。まるで、ここにはジャングル以外に何もなかったかのようだ」が挙げられる。ラストは、賢明かつ包括的で素晴らしくも奇妙な観察を続け、シーズン1が絶賛される理由の一つとなっている。

『TRUE DETECTIVE』シーズン1~4は、U-NEXTにて配信中。(海外ドラマNAVI)

Photo:『TRUE DETECTIVE』©︎2016 Home Box Office, Inc. All rights reserved. HBO and related service marks are the property of Home Box Office, Inc. Distributed by Warner Bros. Home Entertainment Inc.