キューバ危機の舞台裏で繰り広げられた衝撃の実話を基に、米ソ核戦争回避に命を燃やした"名もなきセールスマン"の葛藤と決断をサスペンスフルに描いたスパイ映画『クーリエ:最高機密の運び屋』。諜報合戦のリアルな緊迫感もさることながら、主演を務めたベネディクト・カンバーバッチ渾身の演技に魂を激しく揺さぶられる。【映画レビュー】
米ソ冷戦真っ只中の1960年代、セールスマンとして頻繫に東欧を訪れていたグレヴィル・ウィン(カンバーバッチ)に目をつけたMI6(英国秘密情報部)は、彼をくどき落とし、"ある情報"の運び屋としての役割を依頼する。グレヴィルは家族の反対を押し切りながら、ソ連側の内通者オレグからの情報を命懸けで運搬し続けるが、それがキューバ危機を乗り越えるためのミッションであることを知り、愕然とする...。
緻密な戦略のもと、グレヴィルに近づき次第に彼を追い詰めながら、スパイ活動をやらざるを得ない状況に追い込むMI6の恐ろしい圧力! 「すべては世界平和のため」と言われてしまえばそれまでだが、平々凡々と暮らしてきたグレヴィルにとっては寝耳に水だ。MI6側にすれば、この作戦で万が一、彼が命を落としても、戦争を阻止できればそれでよし、というのが極論としてあるのだろうが、この映画は、結果、キューバ危機を救ったグレヴィルの姿を通して、逆に一人の人間の「命の重さ」を問いかけているように思えてならない。
自らの命を危険に晒しながらも、グレヴィルがMI6の運び屋を続けたのは、組織の圧力だけでなく、自身の中で覚醒した正義感もあった。そのきっかけを与えてくれたのが、ソ連の内通者オレグとの友情だ。国を敵に回してでも「戦争はあってはならない」という強い意志は、グレヴィルの思考や生き様を大きく変えていく。
やがて、オレグは裏切り者として抹殺されるが、グレヴィルがその後いかなる妨害にも屈しなかったのは、オレグという一人の「尊い命」から、ハガネのような使命感を受け継いだからではないだろうか。劇中、壮絶な拷問シーンがあるが、あの苦痛に耐え抜くグレヴィルはもはや雇われの運び屋の姿ではない。それはまるで、命の重さ、尊さを自ら証明してみせる伝道師のようにも見えてくるのだ(ゴミのように扱われ、どんどん痩せ細っていくカンバーバッチの壮絶な姿がリアルすぎて涙が止まらない...)。
本作の予告映像で「ジェームズ・ボンドのリアルな姿」(SHOWBIZ CHERT CHEET)という評価コメントがあったと思うが、カンバーバッチ演じるグレヴィルが命の危険に晒されながらスパイ活動に加担していく姿に、スーパーヒーローのような余裕も強さも秘密兵器もない。そこにあるのは、一人の人間としての葛藤と決断...。だが、そこから生まれる本物の緊迫感は、観る者の胸に深く深く突き刺さる。図らずも『007』最新作の公開が迫る中、MI6の"リアル"な諜報合戦の裏側を活写した本作は、スパイ映画好きなら絶対に観ておくべきだ。
『クーリエ:最高機密の運び屋』は、2021年9月23日(木・祝)より、TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー。
2023年2月1日(水)より、Netflix、Amazon Prime Videoなどで配信スタート。
(文/坂田正樹)
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『クーリエ:最高機密の運び屋』
配給・宣伝:キノフィルムズ
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