『アクターズ・スタジオ・インタビュー』名司会者ジェームズ・リプトンが死去

1994年から放送される人気トーク番組『アクターズ・スタジオ・インタビュー』で、2018年まで製作から司会まで務めていたジェームズ・リプトンが、3月2日(月)に膀胱ガンによりニューヨークのマンハッタンにある自宅で息を引き取った。享年93。米Varietyなど複数のメディアが報じている。

多くのオスカー俳優を輩出したニューヨークの有名な俳優養成所「アクターズ・スタジオ」の副学長であるリプトンが毎回インタビュアーを務めていた『アクターズ・スタジオ・インタビュー』は、有名な俳優や監督がゲストとして招かれ、同養成所で学ぶ生徒たちを前にインタビューに答えるという形式。これまでにトム・ハンクス、トム・クルーズ、アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、ダスティン・ホフマン、ブラッド・ピット、ショーン・ペン、ヒュー・グラント、メリル・ストリープ、クリント・イーストウッドといった大物も含め約300人のゲストを迎えていた。

同番組でリプトンはゲストの全作品のチェックはもちろん、小学校時代の担任の名前まで把握するほどに徹底したリサーチを行い、思いやりとウィットにあふれたインタビューを通して、デリケートな話題にも切り込むことができた。さらに恒例の「10の質問」で好きな悪態ややってみたい職業も聞き出したりと、有名スターの新たな一面を引き出す同番組は日本を含む125ヵ国で視聴され、20年以上続く人気番組に。2018年に90代となったリプトンが司会役を降り、昨年10月に始まったシーズン23からは放送局を米Bravoから米Ovation TVへ移していた。

Ovation TVは彼の訃報を受け、以下のようなコメントを発表。「ジェームズ・リプトンは偉大な功績を残しました。彼は情熱、洞察力、演技への献身によって世界中で愛されました。『アクターズ・スタジオ・インタビュー』で演技の世界に長く続くほど大きな影響を与えたのです。家族や友人、そしてファンの皆様にお悔やみ申し上げます」

また、Bravoの親会社であるNBCU Lifestyle Networks社長のフランシス・バーウィックも声明で以下のように述べている。「ジェームズ・リプトンは映画とエンターテイメント業界の巨人であり、多くの人々に多大な影響を与えました。Bravo初のオリジナルシリーズであり彼の誇りと喜びが詰まった同番組で、私自身も20年にわたりジム(リプトン)と仕事をすることができました。彼の飽くなき情熱、作品への貢献、広範囲にわたるリサーチ、そして大物相手に最も親密なインタビューを実現させる能力をとても尊敬していましたし、楽しませてもらいました」


1926年にミシガン州デトロイトで生まれたリプトンは、6歳の時にジャーナリストだった父が家族を捨てたため、13歳で仕事をするように。高校生の時に新聞社デトロイト・タイムズでアルバイトを始める傍ら、地元の劇場やラジオドラマで俳優活動を始めた。第二次大戦では空軍に従事。その後、弁護士になるためニューヨークに引っ越すも、学費を稼ぐために俳優業を再開したことをきっかけに俳優を本業とすることにし、1951年にブロードウェイの舞台に立った。俳優、プロデューサー、脚本家、作詞家、そしてダンサーでもあった彼は、この『アクターズ・スタジオ・インタビュー』でエミー賞に20回ノミネートされ2013年に初受賞。1974年の『The Doctors(原題)』では脚本賞候補にもなった。名司会者役でおなじみとなり、『Glee/グリー』『ジョーイ』といったドラマやアニメ『ザ・シンプソンズ』に本人役で登場している。

リプトンは以前『アクターズ・スタジオ・インタビュー』の成功を予想していたかと聞かれ、「とんでもない。これは、多くの人々が汗を流して働いたチームワークの作品でした。私には3つの人生があったのです。1つはアクターズ・スタジオの学部長、もう1つはこの番組の脚本家、そして最後の1つはその司会業およびエグゼクティブ・プロデューサーとしての人生でした。16時間にも及ぶスケジュールを維持するだけで精一杯でしたよ」と答えていた。

業界に多大な功績を残したリプトンのご冥福を祈りたい。(海外ドラマNAVI)