歴史を扱った海外ドラマや洋画は数多く存在するが、それを見ていて背後関係や前提がちょっとわかりにくいと思ったことが誰しもあるのではないだろうか。本連載は、関連の映像作品に解説を絡めて、そうした疑問やモヤモヤを少しでも解消することを目指している。記念すべき第1回は、英国の女王ヴィクトリアを取り上げたい。
19世紀に国内外で繁栄を極めた大英帝国を象徴する女王ヴィクトリア。その治世は「ヴィクトリア朝」と呼ばれ、子孫が欧州各国の王族と婚姻を結んだことで「ヨーロッパの祖母」とも称される彼女だが、その人生についてはあまり知られていない。63年7ヵ月と、歴代イギリス国王として現在のエリザベス2世に抜かれるまで史上最長の在位を誇った女王について見ていこう。
■「ドリナ」と呼ばれていた理由
ドラマ『女王ヴィクトリア 愛に生きる』(2016年~)で1837年に18歳という若さで即位する前のヴィクトリア(『ドクター・フー』のジェナ・コールマン)は「ドリナ」と呼ばれている。これは、王位をめぐる争いが理由だった。1819年5月24日、ジョージ3世の四男エドワード(ケント公)と、ベルギー国王の姉ヴィクトリア・オブ・サクス=コバーグ=ザールフィールドという両親のもと、ロンドンのケンジントン宮殿で誕生した彼女の本名はアレクサンドリナ・ヴィクトリア。ロシア名「アレクサンドリナ」とドイツ名「ヴィクトリア」はのちの英国女王に付ける名前として理想的とは言えないが、これは父親のケント公が「エリザベス」といった女王向きの名前を付けたがったのに対し、弟の子どもに王位を与えたくない摂政皇太子ジョージ(のちのジョージ4世)が、洗礼式に同行させたロシア皇帝アレクサンドル1世の女性名である「アレクサンドリナ」とあえて命名したため、ケント公は仕方なく娘のミドルネームを母親と同じ名前にしたという経緯がある。
このように名前ひとつをとっても王位をめぐる争いに巻き込まれていたヴィクトリアは、放蕩三昧の生活を送っていた当時の王族の影響を受けさせまいとする母親の意向で、外の世界とは隔絶された状況で育てられる。即位するまでの18年間、自宅の階段を一人で昇り降りすることすらできず(必ず大人が付き添って手を取った)、母親と同じ寝室で寝かされていた。
生後8ヵ月で父を亡くし、隔絶された世界で兄弟もいない一人っ子のヴィクトリアの趣味は画を描くことで、自画像のスケッチなどを残している。女王になる可能性が高いことを自覚したのは11歳の時。家系図を見て、当時の自分が王位継承者として2番目の位置にいることを知ったのである。こうした幼少から20代までの時代については、前述の『女王ヴィクトリア 愛に生きる』や映画『ヴィクトリア女王 世紀の愛』(2009年)が詳しい。
ヴィクトリアが女王となった暁には摂政として彼女を牛耳ろうと企む母親とその相談役、サー・ジョン・コンロイに何かと指図されて育った彼女は、伯父であったウィリアム4世の死を受けて即位するや否や二人を遠ざけ、当時首相だったメルバーンを相談役とする。女王と一時噂のあったメルバーンは映像作品でルーファス・シーウェル(『高い城の男』)やポール・ベタニー(『ビューティフル・マインド』)が演じていたように魅力的な男性として描かれているが、二人の関係はあくまで親子のようなものだったという説もある。
■プロポーズは女王から、がルール
そんなヴィクトリアが結婚相手に選んだのは、母方のいとこである同い年のアルバート。英国との関係強化を狙うベルギー王の計らいで引き合わされた二人は恋に落ち、1839年にヴィクトリアがアルバートにプロポーズする形で(女王へ男性から求婚することはできなかった)婚約し、翌年2月に結婚。ドイツ人公爵との結婚は最初は国民に受け入れられなかったが、9人の子ども(4人の息子と5人の娘)に恵まれた上、公務でも力を合わせる二人はいつしか理想のカップルと呼ばれるようになった。
なお、即位するまでずっと指図されていたことの反動か、女王となってからのヴィクトリアは強情な面を見せることが度々あったようで、ドラマや映画でもその模様が描かれているが、穏やかな性格で賢明なアルバートはあまり出しゃばらない形で妻を支えた。ちなみに、『ヴィクトリア女王 世紀の愛』では銃を持った男に暗殺されそうになったヴィクトリア(『プラダを着た悪魔』のエミリー・ブラント)をアルバート(『HOMELAND』のルパート・フレンド)が身を挺してかばい重傷を負うという一幕があるが、これはフィクション。身重の彼女が狙われた時にアルバートが居合わせていたのは本当だが、実際にはアルバートは彼女が撃たれないよう素早く馬車の中に引き込み、おかげで二人とも無傷で済んだという。とはいえ、アルバートの賢明な判断が彼女を救ったのは事実だと言える。
1861年にアルバートが病死すると、悲嘆のあまりヴィクトリアはその後ずっと喪服を脱がず、表舞台からほぼ姿を消す。晩年のヴィクトリア(『恋におちたシェイクスピア』のジュディ・デンチ)が亡き夫の従僕ブラウン(『ラスト サムライ』のビリー・コノリー)と心を通わせる様が映画『Queen Victoria 至上の恋』(1997年)で描かれているが、新しい夫を迎えることはなかった。
産業革命を迎えて大きく発展した英国はカナダ、オーストラリア、インド、さらにはアフリカ諸国や南太平洋の国々にまで領土を広げ、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれた。その女帝であるヴィクトリアは「慈愛」「賢母」のイメージで植民地でも尊敬を集め、身長150㎝台のジェナ・コールマン、ジュディ・デンチが演じたように小柄だったにもかかわらず、大きな存在感を発揮した。晩年はインド人の臣下とも親しくなったと伝えられており、その模様は『Queen Victoria~』に引き続いてジュディ・デンチが女王を演じた映画『Victoria and Abdul(原題)』(2017年)に描かれている。
1900年のクリスマスを南東部のワイト島で過ごしていた時に体調を崩したヴィクトリアは、ロンドンへ戻れぬまま、翌年1月22日に81歳で死去。その死を受けて、作家のヘンリー・ジェイムズは「今日は我々の誰もが母を亡くした気分だ」と発言した。ヴィクトリアは現在、ウィンザー城で夫アルバートと並んで眠っている。
『女王ヴィクトリア 愛に生きる』(全8回)はNHK総合にて毎週日曜23:00より放送中。
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Photo:
女王ヴィクトリア
(C) The Granger Collection/amanaimages
『女王ヴィクトリア 愛に生きる』
(C) Everett Collection/amanaimages
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『ヴィクトリア女王 世紀の愛』
(C) Capital Pictures/amanaimages
『Queen Victoria 至上の恋』
(C) Mary Evans/amanaimages