本年度のエミー賞で"透けて"見えた「現在」、そして"確かな"未来への「希望」。~後編~

《 Less is more. 良質な演技、その威力》

生中継時にも、東京のスタジオ(AXNジャパン)に電話でお伝えしたが、今年の大きな見どころの一つはなんといっても、7シーズンでその華麗なる歴史を閉じた『マッドメン』(AMC)が有終の美を飾れるか!? という点だった。

本年度のエミー賞で"透けて"見えた「現在」、そして"確かな"未来への「希望」。~前編~ はこちらから

もう一度、作品賞に返り咲くのか?

過去7回、同作の主演でノミネーションを受けていたが無冠だったジョン・ハムが8度目でついに受賞できるのか? (※ 他番組のゲスト男優賞なども加えると、実に今回で16度目のノミネート!!)きっと多くのファンがやきもきして見つめていたに違いない。

彼だけではない、同ドラマで助演女優賞にノミネートされていたクリスティーナ・ヘンドリックスも授賞式前にレッドカーペットで間近で見かけたが、「勝負ドレスで来たんだろうな!」と思えるほど、素晴らしいオーラで輝いていた。

マッドメン』は、放送開始から4年間、連続でドラマ・シリーズ作品賞を獲得し続けた優秀作品だ。毎年、毎年、このドラマを破れる作品はなかなか出てこないのでは!? と思わせる印象をテレビ界に与えた。以降、多くのドラマ作品にとってのお手本であり続けたのだ。

第7シーズン最終話の、最後の瞬間は、(日本ではまだ未放送なのでネタバレはしないが)「なるほど、こう来たか...」というエンディングに清々しささえ感じた。それはジョンが演じたドン・ドレイパーが迎える心の形と、広告業界の未来を巧みに絡めた終着点だった。

授賞式前の下馬評では、今年の競争相手たちを眺めた時に、もちろん強者揃いではあるが、ジョン・ハムの受賞の可能性は高い...と言われていた。皆が期待し、僕も彼が受賞する姿をこの目で見てみたかった。

そして、ついにその時は訪れた。
プレゼンターのティナ・フェイから読み上げられた名前は、「ジョン・ハム」だった。

 

ジョンは階段を上がらずに、舞台の真っ正面から壇上によじ上った。そんな意表を突いた、殻を破った行動も、積年の彼の思いが表れているようで喝采を呼んだ。
僕は、観客席の真ん中よりやや後ろに座っていたのだが、皆と共に自然と立ち上がり、拍手していた。涙が出そうになった。

ジョンがマイクの前に立った。

「...これはきっとひどい間違いなんだ。ありがとう。あり得ない。こんな偉大な紳士たち(ノミネート者たち)と名を連ねるなんて。あり得ないんだ、ここに立っているなんて。
あり得ないほど素晴らしい作品を作ってくることができた、素晴らしいキャスト、素晴らしい人々、素晴らしい脚本家、素晴らしいスタッフと共に...(中略)
...個人的にも、あり得ないほど負担をかけてきた人生で、ここに僕を連れてきてくれた人たちにも感謝したい。なぜか僕を家族として選んで、受け入れてくれて、この不思議な道のりを一緒に歩いてきてくれた...」

そして家族一人一人の名前を挙げた後、

「あなたたちが居なければ、僕はここに立ってはいなかった。そして、作品を観てくれたすべての人に。ありがとう」

彼は、静かに語った。観客も、その謙虚過ぎるほどの感謝の言葉を一つ一つ受けとめた。決して派手ではない語り口だが、胸に響き、聴き入った。

今年はさらに1本、強い印象を残した作品がある。リミテッドシリーズ(昨年まではミニシリーズと呼ばれた)/テレビムービー部門で、監督・脚本・主演女優・主演男優の主要部門を総ナメにしてしまった『Olive Kitteridge』(HBO)だ。
ピューリッツァー賞受賞の小説をもとに映像化し、田舎町に住む人嫌いの主人公とその夫と息子を中心に繊細に心の機微を綴った感動作だ。

出演者全員が、実に巧い。家族にも、家族以外の人々にも冷たく当ってしまう元教師を演じたフランシス・マクドーマンドの演技は言うまでもないが、反対に誰にでも優しく温かく接する薬剤師の夫を演じるリチャード・ジェンキンスの演技も本当に素晴らしい。
この二人の性格の差が、生活の中にも溝を生んでいく。淡々と過ぎていく日々を描いているのに、胸が苦しくなるほどのドラマ性には、目を見張るものがある。

フランシスは、受賞時のスピーチでも味気ないほど言葉数が少ない。しかし、監督やリチャードらが舞台上で感謝を述べた時には、彼女は目を潤ませて真剣に見つめていた、その表情だけで、いかにこの作品に愛を注いでいるかがよく伝わってきた。

この作品で助演女優賞にノミネートされていた若手ゾーイ・カザンに、僕はレッドカーペットでたまたま運良く遭遇したので、彼女に賛辞を贈った。ゾーイは、リチャードが経営する薬局の従業員を演じ、彼との心の交流を深めていく。決して美人タイプではなく、地味だが純粋に映る不器用な役柄を、見事に演じていた。

「あなたの演技、感動しましたよ!」と言う僕に、「ありがとう」と照れくさそうに驚いた笑顔で、小声で応えてくれた。

今年、授賞式の前に観た様々な秀作ドラマやコメディの中で、僕が一番気に入ったのはこの作品である。日本の皆さんにも心からおススメしたい。

確かな演技力と、練られた脚本があれば、美男・美女ばかりを揃える必要は無く、派手なパフォーマンスも要らず、心を揺さぶる作品を生めるのだ。信じられる、生身で、「心」を駆使した演技は、見る者の心の琴線をかき鳴らす。

何事にもよく使われる、

Less is more.

という言葉がある。

控えめで抑えたほうが、より多くのものをもたらすものだ

とでも訳したらいいだろうか。この言葉は、演技の指導や評価にもよく使われる。

Olive Kitteridge』の出演陣、『マッドメン』の作品の落ち着いたトーン、ジョン・ハムの居方、『Transparent』(amazon studios)の明け透けで嘘のない自然さ...、そしてドラマ・シリーズの主演女優賞を『殺人を無罪にする方法』(ABC)で獲得したヴァイオラ・デイビスの無表情の時に目の奥に何かが強く語られる深み...

今年は、これら 「誇大な表現をしない、演技の威力」がモノを言った!という印象を、僕は強く抱いた。

《「機会」が与えられることの重要性》

今年は冒頭のモノローグでも、司会のアンディ・サンバーグが Diversity(多様性)について触れた。 近年、作品作りに少しずつ取り入れられている、様々な人種の起用方針のことだ。

「本年度は、エミー賞の歴史で最も(人種の)多様さが現れたノミネート者のグループ(The most diverse group of nominees in Emmy history)です!」

と語られた言葉は、受賞の行方にも色濃く反映される結果となった。

レジーナ・キング(リミテッド・シリーズで助演女優賞『American Crime』ABC)、ウゾ・アデゥバ(ドラマシリーズで助演女優賞『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』NETFLIX)、そして前述のヴァイオラ・デイビス

心の底から訴えかける彼女らの、それぞれの受賞スピーチは感動を呼んだが、社会的にも最も話題となったのは、ヴァイオラの言葉だった。

彼女は、ハリエット・タブマン(Harriet Tubman:19世紀の奴隷や女性解放の運動家)の言葉をスピーチの最初に引用した...

「私の心の中には線があるのです。その線の向こうには、緑の野原があり、愛らしい花が咲き、美しい白人の女性たちが、私にその線を越えて来いと手を広げているのです。でも、どう越えて行けばいいのかが見えない。その線を越えられるとは思えないのです」

そして、ヴァイオラ自身の言葉でさらに続けた、

「言わせて欲しい。有色の女性たちを、他のすべての人から隔てる、たった一つのもの、それは"機会"よ。役が存在すらしなければ、エミーを手にすることも起き得ないの!」と。

この言葉を発するヴァイオラは目は鋭かった。66年間、アフリカ系アメリカ人女優のドラマ・シリーズの主演賞の受賞が無かった事実。そしてヴァイオラとタラジ・P・ヘンソンによる、有色人種の女優が複数同時で主演枠にノミネートを受けることも今年が初めて。ノミネートを受けるような、人種を問わずに人々の胸を打つ普遍的なテーマで、賞の評価に値する役柄を、脚本家が書かない限り、プロデューサーたちがそういうドラマを生み出さない限り、キャスティングしない限り、俳優女優に仮にそれに値する能力が備わっていたとしても、社会から認識され、称賛されるような運命は起きないのだ。

この力強いメッセージは、彼女が言うからこそ、説得力に満ちていた。

もちろん、ハリウッドにおける白人の占有率は圧倒的にまだまだ高い。それはカメラの前でも、背後でも。授賞式の観客席を見回してもそれは明らかであるし、「人種の壁など感じない」とは決して言えない。それでも、アフリカ系やメキシコ系などの才能の台頭は顕著なものがあるし、ヴァイオラの言葉にあらためて何かを感じた人々は、業界を照らす新たな光を生んでくれるに違いない。

今後は、願わくば本年度の授賞式ではほとんど存在感を見せられなかったアジア系(日系アメリカ人や日本人を含む)のクリエーターやスタッフや演技者にも、さらなる"機会"が生まれることも願っているし、微力ながら僕自身も、機会を広げていく人材としての一翼も担っていきたいと心から思う。

さらに「多様性」とは、単に人種についてだけでなく、あらゆる境遇、あらゆる立場、あらゆる特徴の人々すべてについて語られるべきでもある。今年は『Transparent』という優秀なノミネート作品によってトランスジェンダーへの社会の理解が増し、昨年は『ノーマル・ハート』(HBO)という力作が同性愛者の活動家たちの闘いを世間に知らしめた。

今年『ゲーム・オブ・スローンズ』(HBO)の演技でドラマシリーズの助演男優賞の2度目の受賞を果たしたピーター・ディンクレイジは、軟骨発育不全による小人症で、身長は135cmしかない。レッドカーペット上で、彼にも会えたので声をかけさせて頂いたが、身体の小ささを目の当たりにすると、映像の中での大きな存在感の凄みを一層思い知らされる。彼は、自分の境遇や特徴をハンディとして捉えるどころか、身の小ささなどものともせず、むしろ俳優たちや社会の人々に勇気を与えている。

だから《機会》が大切なのだ!!!

ファンタジーを大人の鑑賞眼に堪えるレベルに昇華させ、5シーズン目にして最多受賞記録を生んだ『ゲーム・オブ・スローンズ』の12部門の受賞には、キャスティング賞(技術部門の授賞式で発表された)も含まれている。この点にも拍手を送りたい。

そして、ドラマ・シリーズ作品賞のプレゼンターとしてステージに登場し、『ゲーム・オブ・スローンズ』の名を読み上げたのは、昨年大型トラックによる衝突事故に巻き込まれ、一時は危篤状態とも伝えられたコメディ俳優トレーシー・モーガンその人であった。この日、最高のサプライズでもあり、大喝采とスタンディング・オベーションで迎えられた彼の一年以上ぶりのカムバックも多くの人々に感動を与えてくれた。

こういう素敵な驚きのキャスティングを、式の構成に組み込むことも忘れない、テレビ科学アカデミー関係者や授賞式のプロデューサーや脚本家たちの心意気もまたいい。

この夜、一番の"IT"S GONNA BE MAGICAL"を体現した瞬間だった。

 

2014ー15年のシーズンは、
新たな希望」を引き継ぐ節目であったのかもしれない。

一つの時代に別れを告げたような感慨深さを与えてくれた、ドラマ界のお手本『マッドマン』
あれだけの傑作も、AMCが製作にゴーサインを出すまでには、クリエーターが自ら持ち込んだ企画が他のいくつものメジャースタジオによって、

「素晴らしいけど、うちには作風が向かない」
「時代モノはやらないから」

と、何度も何度も断られ続けたのだという。今となっては信じられないような話だ。しかし同時に、その脚本の美しさを認めてくれる言葉もかけられたことが励みになり、信じる力になったそうだ。やがて企画に惚れ込んでくれたプロデューサーとも出逢えた。そして多くの人々の仕事を生み、幸せを生み、娯楽を生んだ。

このことも、《機会》をフェアに与えるということが、どれほど大きな意味を人々に、社会に、世界にもたらすかを物語っている。

《機会》は、生きる勇気を与えてくれるものなのだ。

今年のエミー賞は、そんなことを再確認させてくれる、大切な時間だった。

 

(写真・取材・文: 尾崎英二郎)