SPECIAL 特集

ハリウッドを支える日本人たち

衣装デザイナー メアリー・ローズ

ハリウッドで40年近く活躍する日本人女性がここに!

ハリウッドでTVや映画の仕事にかかわることがいかに大変かは、日本人で働いている人がほとんどいないという状況からもよくわかる。技術と英語力はあって当たり前、アメリカを始め世界の国々からやってきた同僚、ライバルたちと対等にやり合える精神力も必要だ。

そんな厳しいハリウッドで、組合のリーダーとして、業界を引っ張る日本人女性がいる。メアリー・ローズ(本名/大井川俔子・おおいがわちかこ)さんだ。今年76歳になるメアリーさんは、1969年にふとした出会いがきっかけで、ラスベガスの舞台衣装デザイナーを経て、ハリウッドの衣装デザイナーに。TVドラマシリーズを中心に衣装デザイナーとして第一線で活躍後、2007年から衣装デザイナー組合(コスチューム・デザイナーズ・ギルド)の会長に就任した。現在700人を抱えるハリウッドの衣装デザイナーのまとめ役が、日本人のメアリーさんなのだ。


目次

渡米、結婚、そして仕事…アメリカのクラシックな時代を生きてきた
Photo

メアリーさんは、高校卒業後に単身で米留学。進学したサンフランシスコのカリフォルニア州立大学では美術を専攻していた。第二次世界大戦が終わって間もない1950年代初めのことだ。日本でも放送されている『マッドメン』の舞台が60年代初め。メアリーさんが留学したのはそれ以前、アメリカのクラシックな時代を想像していただきたい。

大学卒業後、同地で結婚し2人の子どもに恵まれた。家庭科嫌いを自認していたメアリーさんが、自作の服を子どもたちに着せるようになったのは、「当時アメリカの子ども服がかわいくなかった」から。そのうち大人の女性向けにドレスを作り出すのに時間はかからなかった。
「そのころのお金を持っている人は、ドレスメーカーに頼んで洋服を作ったの。私の場合はデザインもするでしょう。私は絵描きだから、簡単にできた」。
やがて離婚。住み慣れた地サンフランシスコではなく、新天地をロサンゼルスに求めた。衣装デザイナーかつ2人の子持ちシングルマザー、メアリーさんの活躍はここから本格的に始まる。
ファッション会社に勤めた後、映画関係者も多く住む“バレー”とよばれるハリウッドの山を越えた北側に家を購入、ドレスメーカーとして念願のスタジオを開いた。メアリーさんがデザインしたショーウィンドのドレスを目当てに、お客さんがやってきて、自分の寸法に合わせ作ってもらう。いわゆる“プレタポルテ”の店である。

TOP TOP

運命の出会いが、ハリウッドへのドアを開いた
Photo

ある日のことスタジオに1人の紳士が入ってきた。当時のスター女優アン=マーグレットのマネージャーだったアラン・カー(映画「グリース」の脚本家)だ。マーグレットに気に入られ、やがて彼女のラスベガスの舞台衣装を手がけるようになる。そのうち、映画関係のお客さんが増えてきた。
「初めの10本の映画なんて、人に知られたくない」と笑うメアリーさん。駆け出しのころは、あのロジャー・コーマン監督の映画によく参加していた。
「今有名になってる監督は、みんなあの人と働いたのよ。彼はいつも『君がここで長く頑張れば、きっといつか素晴らしい映画を作れるようになる』なんて言ってたけど、ウソばっかり(爆笑)。だけどすごく勉強になりました」。
当時彼の元で働いていた監督・俳優志望の若者たちといえば、スコセッシ、コッポラ、キャメロン、ニコルソン、デニーロ、ホッパー…。奥様方にドレスを作るより、彼らと映画作りをする方が楽しくなってきたのである(そりゃ当然だろう…)。

最初にTVと関わったのは、『From here to eternity』(ここより永遠に)。映画版からTVのミニシリーズと(連続)シリーズへのリメイクだ。
「ミニシリーズでは、デボラ・カーの役をナタリー・ウッド演じたの。ナタリーがシリーズをやりたくないと言うので、その役はシリーズではバーバラ・ハーシーになった。それからハーバラのやる作品にひっぱり出されるようなったんです。(バーバラは)難しい人でみんなが嫌がったの。すごいメンタルアクターだから。彼女に言わせれば、何でも演技に関係があるのよ。だけど私とは不思議と話が合った。私が我慢したようなものだけど(笑)」。

TOP TOP

衣装デザイナーという“お仕事”

では、メアリーさんの仕事である“衣装デザイナー(Costume Designer)”とは、一体どんなことをするのだろう? メアリーさんの担当したTVシリーズから、『私立探偵マイク・ハマー』を例に挙げてみよう。

Photo

まず、番組の立ち上がり、パイロット版の撮影前に脚本を熟読し、主人公(ハマー)の人物像を理解しておいた。
「(ハマーは)いつも同じ服しか着ない人と、一番初めに決めたの。監督とプロデューサーに、私のコンセプトはこうで、この人はこんな感じの人だからと自分の考えを売り込むわけ。たとえば(今風でカジュアルな)ヒューゴ・ボスなんかよりも、ブルックス・ブラザースみたいにもっとコンサバティブなスーツの方がいいんじゃないでしょうか? 色は黒じゃなくて、細い縞の方がいいんじゃないですか?と。監督とプロデューサーにOKが出たら、今度は俳優にそれを売りつけないといけない。私たちの仕事は脚本を何回も読んで、この登場人物は一体どんな人間なのかということを把握して、その後でこの人はこんな性格で、こんな生活状態だから、こんなような服を着せると決めるわけです」。
“売りつける”というのは、この場合、監督やプロデューサー、俳優たちに衣装デザイナーが考えた衣装でOKをもらうということ。どんなに苦労してデザインしても、「最終的に俳優が『これは着ない』なんて言われたら、それまで(笑)」。「今はもっとひどいんだから…」と、俳優のわがまま?に対抗する衣装デザイナーのテクニックとは…。
「私はアシスタント・デザイナーに若い男性を雇うことが多かったんだけど、それが人当たりのいいゲイの男性だと、なお良かったわね。女優ってね、何ていうんだろう? 私たちがいくら衣装を勧めても『これは…』なんて渋るんだけど、セットの脇でコーヒーを作っている人のところに行って『この衣装どう思う?』って聞くの、失礼ですよ(笑)。だけどアシスタントの彼が『まあ、よくお似合い』なんて言ってくれたら、それで終わり。気難しい女優には、私たち女性のデザイナーが何回言ったって同じことよ」。

TOP TOP

日本流“スタイリストさん”という仕事はハリウッドにはない!?
Photo

日本ではよく“スタイリスト”という職業を耳にするが、衣装デザイナーとスタイリストは、少なくともハリウッドでは全く異なる仕事だ。
「スタイリスト(の仕事)というのはコマーシャルとか雑誌とか、あとレッドカーペットでしょう。こういう服が欲しいと言われたら、(ブランドから)持ってくるような」。
確かに衣装デザイナーの場合は、その役の衣装用にデザイン画を描いて、全く新しい衣装を作り上げることも多いのだから、スタイリストの仕事とは違う。たとえば『バトルスター・ギャラクティカ』の衣装を一からデザインして作り出すのは衣装デザイナーの仕事だし、『グレイズ・アナトミー』のメレディスとクリスティーナの病院以外での衣装、それがショップで購入してきたものであっても、それぞれの人物像を表すものでなければならない。衣装デザイナーは、そういった前提の下、1人で番組に出演する俳優たちの衣装を全部決めていく。もちろん全て限られた予算内でやりくりしなければならない。
「大変よ。だから私が衣装デザイナーのギルド(組合)に入ったときは、たぶん150人くらいだったと思うけど、今は700人くらいいる。仕事が増えたから。今、普通一時間のドラマは、週末を入れないで7日間くらいで作るのよね。(衣装は)その撮影が始まる日には全部用意できてないといけないでしょう。それが終わってホッとする前に、もうその撮影が始まったら、次の週の脚本を読んで用意しないといけない。それなのに、この頃は脚本が出来上がるのが遅いの。私たちは『どうしたらいいんですか?(次の撮影までに)3日して残ってないのよ』なんて」。

そして、その大変さは視聴率が悪ければもっと厳しくなる。
「(プロデューサーたちは)すごく視聴率に神経質なの。視聴率が悪いと、どこかにしわ寄せが来るけれど、だいたいワードローブね。『格好が悪いからだ』なんてことになってくるわけ。『ルックスを変えろ』と、必死になっちゃう。パイロットなんて一番すごいわ。服ががらっと変わったり…、そうしろと言われるんだけれども…」。

TOP TOP

衣装デザイナー組合の会長に就任 シビアになる業界を憂う

90年代に入り、仕事はさらに熾烈になり、経費の引き締めも厳しくなった。打ち合わせもインターネットを通して行われるなど、TVの製作も大きく変容した。メアリーさんも再婚したこともあり、第一線から退くことに。しかし、のんびり過ごすことなんてできないのが、メアリーさんの性格。そのころから衣装デザイナー組合の仕事に加え、エミー賞を主催する全米テレビ芸術科学アカデミーの理事の1人として、別の側面から業界を支えることになったのだ。前述の通り、2年前から衣装デザイナー組合の会長を務めている。景気停滞の今、会長として目下の悩みの1つは、組合員たちの生活苦である。
「製作予算$200ミリオン(約180億円)の映画を、私の友だちの衣装デザイナーがやることに決まって、配役も決まっていたの。ところがお金が借りられなくれて、ダメになっちゃった。今、そういう大きな映画にはグリーンライト(製作開始のGOサイン)が出ないのよ。」
映画製作にあたり、巨額の製作費を集めることができなくなっているため、製作が進まない。幸いTVは撮影が順調に進んでいるが、全体的に番組が減っているため、組合員の中には会費さえ払えない人もいるご時世。夢の世界ハリウッドにも、現実はそのまま反映している。

Photo

ハリウッドで仕事を始め40年近くになる。これからも組合リーダーとして、アカデミー理事として、業界にかかわるつもりだ。「日本人で初」とよく紹介されるメアリーさんだが、おそらくその仕事を継げる「日本人で二番目」の人もなかなか出てこないのではないか。
ハリウッドを夢見る「日本人」にとって、ぜひ誇りに思っていただきたい存在、それがメアリーさんなのだ。

TOP TOP


Photo

Photo

Photo

Photo

Photo


メアリー・ローズプロフィール
衣装デザイナー メアリー・ローズ(Mary・Rose)

福島県いわき市生まれ。東京の高校を卒業後、サンフランシスコへ留学。1967年にはロサンゼルスへ。

その後、ロサンゼルス郊外のスタジオ・シティでブティックを経営、そのころからラスベガスなどの舞台衣装を手掛けるように。女優バーバラ・ハーシーとも親交があり、彼女の『スタントマン』『エンティティ・霊体』などの映画の衣裳も手掛けた。

TVで手掛けた作品も数多く、1970~1990年代にかけて『T.J. Hooker』『Mike Hammer』『Fantasy Island』などの作品を手掛ける。

現在は、日本人では唯一のハリウッドの組合リーダーとして、政治的な力を持つ数少ない日本人として、活動しているほか、全米有数のファッション・デザイン専門学校FIDMが毎年開催しているエミー衣装展のほか、マリリン・モンロー展、映画衣装展など日米カナダ等で開催された展示会のキュレイターでもある。

また、エミー・ボード・メンバーの前理事、現在も小委員会の委員長であり、コスチューム・デザイナーズ・ギルド(衣裳デザイナー組合)会長を務める。




PAGE UP